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2005年6月11日 (土)

「北欧神話」批判

昨日デンマーク史のゼミをしていたら、「先生のブログはパソコンのことばかりでチンプンカンプン」という誠に正鵠を射た批判を得ました。ごめんなさい。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし…ですね。これからはバランスよく発言していくことにします。深く反省させていただきますが…たまにはパソコンの話もさせてくださいね。

で、昨日のゼミの話題は「北欧神話」でした。「北欧」といえば北欧神話をイメージする方々は多いですし、学生のみなさんの間でもとても人気のあるテーマなのですが、近世・近代史を専門とする僕の目からすると、常に違和感を覚える対象でもあります。今日のゼミではその思いの丈をストレートにぶつけて見ましたが、ゼミ生のみなさんはどう感じましたか? 

何に違和感を感じているかというと、「北欧神話にキリスト教化される前のヴァイキング時代の北欧の価値観が反映されている」というありきたりな北欧神話イメージ。まぁ、北欧神話を文字として伝えている史料は実に限られているのですが、普通そうした史料の代表とされるスノッリ・ストゥルルソンの『新エッダ』などについて考えてみるならば、著者である彼自身はすでにキリスト教徒でしたし、また彼を取り囲んだ12〜13世紀頃アイスランドをめぐる状況、例えばノルウェーとアイスランドの微妙な外交関係だとか、キリスト教を理念的バックボーンとしながら拡張していたノルウェー王権の影響だとかを背景にして、北欧神話をとらえなおす必要があるわけです。

すでに北欧神話の研究者からは幾度となく指摘されているように、僕たちが聞き及んでいる北欧神話のさまざまなモチーフは、例えば新・旧約聖書の世界観に実に似通った部分が多いと思います。バルドルとロキの関係に象徴される光と闇の対比だとか(あるいはロキに唆されてバルドルを殺したヘズルとの関係はカインとアベルの兄弟殺しにも似ている)、ロキに見られる堕天使的なイメージ、ラグナロク(神々の黄昏…これだって最後の審判のようにも思える)の後の死せる光の神バルドルの復活のイメージなどなど…考え出したらきりがありません。

実のところ北欧神話については、17世紀に発見された『古エッダ』の信憑性を考えるとキリスト教流入以前の北欧神話の実態を伝える史料はほとんどなく、『新エッダ』などをもとに現在まで伝えられてきた北欧神話の体系が、キリスト教流入以前の北欧世界をどの程度反映しているのかさえ実証することは困難なのです。個人的な見解としては、現在知られる北欧神話はキリスト教理念流入後の北欧世界で求められた姿に適するように再構築されたものではないか…だからこそ聖書に見られる世界観にも似た部分が多いのではないかと思っています。

(例えば、主神とされるオーディーンでさえ、本来ゲルマン神話の体系のなかではほかの神々と同列の戦いの神に過ぎなかったのが、スノッリ以降主神扱いされるようになっているのですが、これはスノッリの時代に進行していた拡張する王権のイメージとあたかも合致するかのようにも感じます。)

北欧の約1000年に及ぶ(文献史料で跡づけのできる)「歴史」時代を振り返ってみるならば、北欧神話の意図的な解釈が行われた時期が二つあることに気づきます。一つは上で述べた中世北欧における王権とキリスト教信仰の拡張した時期と、もう一つは19世紀はじめのナショナリズムの時期です。僕たちは北欧神話のなかでも、オーディーンやトールといった荒々しい武勇の神々をヴァイキングのイメージと重ね合わせ、ヴァイキングの人々が尚武の精神や自由の精神を重んじていたと考えがちですが、はたしてそれが事実かどうかは検証する術を一切もちません。

こうした尚武や誠実、自由といった価値観を北欧神話から読み取り、そうした価値を重んじる点こそが「北欧」民族が他の民族とは異なる理由だと主張したのは、まさに19世紀はじめの「北欧」に生き、「北欧とは何か?」を模索した文学者や歴史家たちでした。スウェーデンのE.テグネールやデンマークのA. G. エーレンスレーヤなどによる北欧神話に取材した文学作品はとりわけ有名な例だと思いますし、スウェーデン国民史学の父であるE. G. イェイイェルの代表的著作『スウェーデン民族の歴史』では、神話の世界を延々と叙述したうえで19世紀に至るスウェーデン民族の起源を示そうとしました。そうした19世紀初頭の文化人が「国民」創出の道程でつくりあげる必要のあった「北欧」民族観が、いまだに僕たちの北欧神話イメージを大きく規定していると言って良いでしょう。

管見の限りでさえ、北欧神話は本来あった北欧神話の体系から上に述べた二度の大きな意図的な「読み替え」が起きていると考えられます。そうなると、もはや限られた数しか史料が残されていない中世(あるいはヴァイキング時代)に遡って北欧神話がどのようにヴァイキング時代の北欧社会を伝えているのかなどと「直球勝負」で攻め立てるような研究は、かなり困難であることが明らかに(そして容易に)予想できます。これからの北欧神話についての研究は、もう少し「ひねり」が必要ではないかということでもあります。例えば、現在的関心から重要な「国家」論的見地に立ちつつ、19世紀はじめの近代国家草創期にあって、北欧の知識人たちを突き動かし、そして彼らによって作り出された北欧神話の価値はどのようだったか…といった問題設定ですすめるといった感じですね。

門外漢が長々と北欧神話への違和感を明け透けに語ってみました。なにせ複雑な北欧神話のことですから、誤解等々があったら申し訳ありません。それはあらためてご指摘ください。

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コメント

古谷さん
 「北欧神話」に対する近代史家としての見解、興味深く拝読しました。私は神話研究の専門家ではありませんが、一点だけ補足します。
 「スノリのエッダ」を「北欧神話」の根本史料として扱う場合、スノリ自身が13世紀人であったことを考慮すべきということは仰るとおりで、これは既に常識に属することと思います(ただし、スノリのメンタリティがどれだけ「スノリのエッダ」編纂過程に反映しているのかを現存する史料から引き出すことはなかなか困難です)。しかしながら、キリスト教流入以前の「北欧神話」を担保するのは、なにも文献史料だけではありません。ゴットランド島に集中して建立されている「絵画碑文」その他の考古学遺物にしるされる図像群は、それぞれは断片的ながらも、キリスト教流入以前の北欧人の神話もしくは宗教メンタリティを私たちに伝えています。ですから、少なくともこうした図像群から再構成される限りの「北欧神話」像は、歴史的事実として受け入れることにそう問題はないのではと考えます。

小澤くん、ご無沙汰しています。北欧中世史のご専門の立場から、有益なコメントを寄せてくれてありがとう。ゴットランドの絵画碑文など考古学的遺物の件については、小澤君のご指摘のように、キリスト教流入以前の「北欧」人のメンタリティを知るうえで確かに大変重要な史料群ですね。(もうしばらくすると、ゴットランド関係でとある仕事に着手せねばなりません。「観光」学というやつですが。)今、僕の「北欧の地誌」の授業で、スウェーデン語の学生がヴィスビーを調べていて、そこでも小澤君が指摘してくれた「絵画碑文」は大きな位置づけをしめると思います。

で、ここからはイコノグラフィなどに関する一般的な話なのですが、例えば絵画資料などを解釈するときの「公準」はいかにして設定されるのでしょうか…僕自身、いつもこの点悩むところです。例えばルネサンス以降のイコノグラフィーの場合、周辺領域における補足史料が豊富に残されている場合には同時代における表象の意味を措定する「公準」は周辺から与えられます。しかし「北欧神話」あるいはそれをめぐる「絵画碑文」の場合はどうでしょう…解釈のうえに解釈が上塗りされていく感も拭えません。この点、小澤君ならどう答えますか?

このあたりのことになると大阪外大の菅原邦城先生と、いつも帰りの車のなかで雑談していることです。小澤君をはじめ専門家から直接うかがう「耳」学問はとても大切だと思ってます。

またコメントをくださいね。

古谷さん
「絵画碑文」図像の解釈幅を限定する「公準」ですが、これは確かに難しい問題です。J. Lindow, Mythology and mythography, Id.(ed.), Old Norse-Icelandic Literature, Ithaca 1985, p.21-67. を見る限り、キリスト教流入以前のスカンディナヴィアにおける神話証言として確認される文字資料は、「エッダ詩」以外では、ヴェステルイェートランドにある二つの碑文(600年頃と8世紀)といくつかのスカルド詩のみのようです。いずれにせよ、そこで語られる内容が断片的であるため、「絵画碑文」の描写内容を一義的に固定することは困難で、どうしても比較神話学と「エッダ詩」の内容に頼らざるを得ないということになります。こうなりますと、学問としてははなはだ心許なくなりますね。古谷さんの仰るように「解釈の上に解釈が上塗りされてい」るわけです。ルネサンス絵画などはあれだけの文献史料がありながら、なお図像学的解釈の決着がついていないものが大方なのですから、況や「絵画碑文」をや。学問、とりわけ証拠の少ない分野とはそういうものだといえばそういうものなのですが…
 そういった状況を考えれば、神話の受容史(中世に関してはMargaret Clunies Rossというオーストラリア人研究者が既にやっております。私は未読なので内容の妥当性の判断はできません)を論じるほうが手っ取り早く生産的だとは思いますが、皆がそちらに走るのは中世史研究者として少し寂しくも思います。多くの若手や中堅が「想像の共同体」ばかりを論じて、「事実」の探求が疎かになったことを嘆いた、あるイギリス近代史家の文章をふと思い出しました。

はじめまして。北欧神話を囓りながら、中世の文献学を学ぶ者です。小澤さんのお名前に引き寄せられて参りました。

北欧神話研究についての近世史のお立場からの御意見を興味深く拝読致しました。
仰るとおり、19世紀に読替が起きていることは紛れもない事実で、小澤さんも仰るような受容史研究の入りやすさ(とはいえ、それ自体もかなり高いハードルだと思いますが)からそちらに進もうという学者が多いような印象もあるかも知れません。

しかし、受容史という点から考えますと、既に「中世」における「神話の受容史」としての文献学があり、さらに時代が下って近代〜国民主義的アプローチへという変遷があり、どの時代での「受容」を扱うかでも異なる立場やレベルがあるように思います。
いわゆる「異教時代」をどのように扱うかについては、留保しつつも探ろうとするClunies Rossの業績はある意味でフロンティア的だとすら思えます(Peter Ortonもそのような視点で紹介しているようです)。またWawnによる19世紀英国における受容史は、中世文学研究家としての彼の一つの頂点(=挑戦)と見るべきかも知れません。
文学研究の素材として見るのか、文献史料としてみるのか、あるいは民俗学的視点からどのように資料を扱うのかは、各々のdisciplineの中で決定されると思うのですが、如何でしょうか?

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