ゲルギエフ賛
最近は大学で全力投球で仕事をしてヘトヘトになった帰りのバスや電車のなかでは、よくチャイコフスキーの「悲愴」交響曲を聴いています。とりわけ第四楽章…講義で興奮しきった心が癒されます。バーンスタインの1987年録音の20分近い「ろくろっ首」のような演奏(ふつうは4楽章は10分程度なんですよ…)も良いし、カラヤン晩年1984年のウィーン・フィルとの艶っぽく美しい演奏も良い。ときには冷戦期には「幻」と言われたムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのドライでクールな演奏も良い(…アサヒのスーパードライのような切れ味があるね…)。でも最近はワレリー・ゲルギエフ!
愛知県立大学にいらっしゃる伊藤滋夫さんは僕が学生の頃より敬愛する近世フランス史研究者ですが、先日久方ぶりに神戸の日本西洋史学会でお会いしたときにチャイコフスキー談義で盛り上がりました。(久々に「語り部」の面目躍如たる「伊藤節」全開といった感じで、学生の頃よく本郷の下宿や飲み屋で音楽談義や歴史談義に盛り上がっていた頃を懐かしく思い出しました。)
で、伊藤さんと僕との間で一致した見解は、チャイコフスキーの音楽はかつては「甘ったるい感傷過多の音楽」で「大人」の鑑賞に堪えうるものではなく、例えば三十路を越えた「大人」が「自分はチャイコフスキーが好きです」なんて言おうものなら、1980年代に一世を風靡したニュー・アカ連の視点に立つならば、「ダサっ」の一言で呆れかえられたものだったけれども、今はチャイコフスキーの音楽が「大人」にも十分受け入れられるように変わってきたねよぇ…ということでした。
もちろんチャイコフスキーのスコア自体に変化はないわけで、つまりそれはそれを演奏する演奏家の資質(ならびに受け手である聴衆の資質)が変化したということになるのだと思います。で、新たな「大人」のチャイコフスキー観生成の立役者、これは一も二もなくゲルギエフだよね…という点も伊藤さんと見解が一致しました。ゲルギエフのチャイコフスキーといえば、1998年のザルツブルク音楽祭におけるウィーン・フィルとの5番交響曲が凄い話題になりましたが、昨年の9月に彼の故郷である北オセチア共和国でのテロ事件が起きた直後にライブ録音された「悲愴」交響曲は、彼自身の悲痛な思いを反映させた演奏で、聴いているこちらも涙なしには聴けない壮絶な演奏です。
ゲルギエフは、古谷家ではそのあまりに変態っぽい外見(…失礼…だって演奏が終わる頃には、いつも髪の毛の分け目が乱れて、禿げた頭を覆っていた髪の毛が剥がれて、ヒラヒラとたなびいているんですもの…)が、妻にも子供にも“バカウケ”な指揮者ですが、彼のライブ録音に聴くことのできる、時に気が触れたかのような…酩酊しきったかのような…演奏はスリリング、全く予想不可能な展開に聴き手のこちらも、緊張感をもって臨まざるを得ません。だから彼のCDやラジオ放送は、いつも何が起きるか分からないので(…玉石混淆という感も拭えませんが…)、「今度は何をしでかしてくれるのか」と期待が高まり、いつも耳にするのが楽しみになります。
ライブにおいて直感的・本能的解釈のもと瞬間的に血湧き肉躍る演奏ができるような、デモーニッシュな激情型の指揮者…つまりニーチェ流に言うならば「ディオニュソス」型の指揮者というのは、ひょっとするとクラシック音楽の世界ではゲルギエフがフルトヴェングラー以来久方ぶりに登場した指揮者なのではないか…という点も伊藤さんと見解が一致しました。(そういえば、フルトヴェングラーの1938年録音の「悲愴」交響曲も、「第二次世界大戦の開戦を予見するかのような「悲愴感」溢れる名演」とかつては喧伝されていたものです…細木数子じゃないんだから予言なんてできっこないだろ!って「突っ込み」はなしで、かつてクラシック音楽鑑賞の世界では教条主義スレスレの「教養」趣味が蔓延していて、「第二次世界大戦を予見するかのような…」みたいな宣伝文句は実に効果的だったんですね…あ、後で気が向いたときに、現代日本における「細木数子」論も展開してみたいと考えています。)
で、伊藤さんとの話を続けるならば、ゲルギエフを21世紀初頭における「ディオニュソス」の典型だとするならば、転じてその対局にある理知的な解釈を示す「アポロン」型の指揮者、これはサイモン・ラトルということになるよね…という点も見解は一致。(今回はゲルギエフを紹介する発言ですけれども、かつて『グレの歌』で紹介したように実にクレバーな解釈を示すラトルも好きな指揮者です。)
(うむうむ、伊藤さんとはよく話があうなぁ…だから本郷にいた頃から年は離れていてもいつも伊藤さんの跡ばかり追いかけていたような気がします…多謝。)
個人的には、カラヤン、バーンスタイン亡き後のクラシック音楽界には結構冷めていたのですが、ラトルがベルリン・フィルを率い、そして2007年からゲルギエフがロンドン響を率いるとなれば、これからしばらくの間、世界のオーケストラ・シーンはこの二人を軸に展開するとみてほぼ間違いはなく、再びクラシック音楽の最前線が楽しみになってきました。
| 固定リンク


コメント