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2005年6月 8日 (水)

「前衛」的国民国家ノルウェー

最近ノルウェー絡みの仕事をする必要があって、ノルウェーの歴史を整理しています。すでにノルウェーの憲法記念日である5月17日は過ぎてしまったのですが、以前も発言したように今年はスウェーデンとの同君連合解体100周年の節目なので、折に触れノルウェーを話題にすることがあるかも知れません。先にフランスのEU憲法をめぐるレファレンダムへの「国家」論的な見地に立った解釈を示しましたが、近代ヨーロッパ史の文脈においてノルウェーほど「前衛」的な立場にたって「国民国家」建設に邁進した国家は他のヨーロッパ諸国にはみられないのではなかったかと考えています。

そもそもノルウェーの国家としての歴史は1536年にデンマークの一州に編入されて以来断絶していたわけで、再び国家としての体裁をもつのは1814年5月17日のエイッツヴォル憲法の制定を待たねばなりませんでした。この時期が偶々近代ヨーロッパにおける「国民国家」建設の時期と合致したために、ノルウェーが国家体裁を取り戻す過程でラディカルな政策の数々を実現した様は、あたかもノルウェーこそが近代ヨーロッパにおける「国民国家の実験場」だったかのように思えるほどです。

(通常我が国における北欧を対象とした社会科学の成果においては、スウェーデンが「フロンティア国家」とされることが多いです。例えば20世紀半ば以降のスウェーデンの実験については確かにその主張の妥当性を僕も認めます。しかしここでより大局的な「国家形成」の歴史という見地に立つならば近代ノルウェーの国家形成の過程により実験的性格を僕は認めます。)

1814年のエイッツヴォル憲法は「市民革命もないまま」伝統的な身分制度の一切を廃し、すべての住民を「市民」に解体した上で一院制の議会の上に成り立つ新たな国家のかたちを定めたものでした。新たなノルウェー「国家」を支える基盤として1827年には全国一律の義務教育制度が整備されましたし、1884年には議院内閣制が確立され、1907年には女性参政権も実現しています。かなり時代は離れますが、現代における福祉国家建設の過程でも、全国民を強制加入させる包括的な国民保険システムはノルウェーが最初に作り上げたものだったのではなかったでしょうか。

これらの事績は北欧諸国のなかではもっともはやい事例に属します。ノルウェーは憲法と議会をもつ自律的な国のかたちを有しながらも、1905年までは外交と国防については同君連合にあったスウェーデンに牛耳られていました。また第二次世界大戦以降は米ソ冷戦の狭間にあって、NATOの原加盟国のひとつとしてアメリカ合衆国と密接な軍事関係を築きました。あたかもそうした「スウェーデンの傘」や「アメリカの傘」を活用しつつ、ノルウェーは早急に同時代のヨーロッパ政治の先端的水準を摂取して、「国民国家」としての充実度を一気に高めていったように思えます。

ノルウェーは長いデンマーク支配のなかで、独自の言語や歴史叙述など国民形成の核となる文化的伝統が希薄化していましたから、19世紀以降の新たな「国民国家」形成のなかでそうした文化的伝統を新たにつくりあげることにも迫られました。ノルウェーの「国語」形成運動が二つの方向性(伝統的エリート言語だったデンマーク語に依拠する派閥と伝統的な農民方言に依拠する派閥)にわかれたため、現在の「ノルウェー語」の文語表現には二つの異なる種類があることはよく知られている事実だと思います。

しかしノルウェーの場合には、19世紀当時ノルウェー固有の文化の伝統的要素があまりに希薄化してしまっていたがために、「国民国家」形成上そうした文化的伝統を再構成する過程では、本音のところ全く新たに創造していくが可能だったと言えます。つまり「国民文化」の最も純化されたかたちをすんなりと実現できたように思えるということです。(例えばこうした文脈のなかから、作曲家E.グリーグの成功なども考えてみる必要があるでしょう。)

話が飛躍することをあらかじめお詫びしたうえで、こうしたノルウェーの「前衛」的性格の基盤について、あえて仮説を唱えるならば、ヴァイキング時代以来、外洋に面したノルウェーは経済的にも文化的にも外国からの新たな動向を得やすい環境にあったからだと言えるのではないでしょうか。それゆえにノルウェー文化の歴史的展開をふまえるならば、他の北欧諸国に比べて積極的な進取の精神が存在するように僕は感じています。

(これはいずれ発言したいと考えている「北欧をめぐる文化的回路」の問題と絡むのですが、千年ちょっとの北欧史を振り返ってみたときにこの開放的な文化形態と保有したノルウェーの対局に位置しもっとも閉鎖的な性格を有している国が、実はスウェーデンなのではないかと僕は感じています。)

19世紀以来、「国民国家」建設という実験においては「前衛」的な位置を走り続けてきたノルウェーでしたが、1970年代以降北海油田の利益にあずかるようになってからは、ことヨーロッパ統合というポスト「国民国家」にむけての壮大な実験に対して否定的な立場を貫き、未だにEUにも加盟していません。それは世界第三位の産出量を誇る石油資源を「虎の子」とするノルウェーが、「国民国家」としての「我」を張り続けているようにも見えます。ヨーロッパ統合という「国民国家」を超える趨勢においては、かつての国民国家建設の「前衛」も今や「後衛」にあるように感じます。

一頃、石油資源からの利益に過度に立脚し、新たな道筋を切り開けないでいるノルウェーの経済構造へ批判が集中していましたが、それも今は昔のはなし。ノルウェーでも19世紀以来蓄積されてきた化学工業や酪農業などの見地を活かして、バイオテクノロジーなど新たな経済分野の開拓に積極的になっています。これは19世紀以来あった進取の精神が復活させられ、再びそうした精神に根ざした模索がはじめられていると言えるかもしれません。こうした国内社会での積み重ねは「後衛」の立場にある現在のノルウェーを、再び「前衛」へと押しやることになるのでしょうか…。動向を注視し続けたい国のひとつです。

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コメント

>ノルウェーは早急に同時代のヨーロッパ政治の先端的水準を摂取して、「国民国家」としての充実度を一気に高めていったように思えます。

 1928年、マルク・ブロックが「ヨーロッパ諸社会の比較史のために」を報告したのも、他ならぬオスロでした。ヴェルサイユ体制下ですから「諸国民国家体制」は与件として、ヨーロッパ的、大西洋的広がりのなかでの議論を始めるにあたってオスロを選んだというのは、おもしろい。
 『マルク・ブロックを読む』を読む会をもちましょう。

コメントをありがとうございました。1920年代といえば、北欧諸国が小国の自立・中立は国際政治の安定が不可欠と考え、国際連盟を舞台として積極的に活動していた時期にもあたります。(1930年代で挫折しますが。)オスロでの報告の背景にそうした事情が作用しているかもしれません。勉強させていただきます。『マルク・ブロックを読む』を読む会、楽しみにしております。

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