最近のトラックバック

2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2005年5月 | トップページ | 2005年7月 »

2005年6月

2005年6月30日 (木)

今日のプレゼンの反省点

いろいろと仕事を抱え、ハングアップ寸前のハードなマルチタスク状態にあるこのごろです。今日は大阪外大の学内共同研究プロジェクトでプレゼンをしました。「学術的観光コンテンツの開発」というテーマなのですが、今回僕はスウェーデンの世界遺産「森の墓地」とスウェーデンの死生観を巡る旅について報告しました。この件については、以前「スウェーデンの死生観」という発言で話した内容とほぼ同じです。

このプレゼンから得た大きな反省点は、普段スウェーデンのことについて常識と思っていることが実は非常識であることを確認したことです。例えば、今日の報告では「現代スウェーデン国家による福音主義ルター派教会の伝統の横領」ということに少し触れました。2000年までスウェーデン教会は国家組織から分離しておらず、そのときまで例えば子供が生まれると教区教会に登録することが普通に行われていました。僕がスウェーデンへ留学したのは2000年にスウェーデン教会が一法人として自立した後だったので税務署に住民登録をしましたが、1980年代にスウェーデンに生まれた僕のある学生はやはり教会に登録したということです。そんな話をプレゼンの後の質疑応答の際に、現代スウェーデンにおける伝統の援用の一例として話をしたら、「え!それっていつの時代の話?中世?」って返ってきて、「だから20世紀です、福祉国家ができて以降の話です」と答えたら、「スウェーデンって世俗化された社会のイメージがあるんだけど…」と返ってきました。いやいや、現在のスウェーデン国家は伝統的な観念を横領する上にようやく成立しているのです…死生観も、宗教観も、国家観も。

(その後、「スウェーデンにはそもそも死生観という概念が成立するんだ…イタリアのほうだと死生観という概念自体があいまいに思えるんだけどね」というとても示唆的なコメントを頂きました。死生観…ひょっとすると「団塊の世代」がリタイアを迎えるこれからの時代、そうした世代の心をつかむキーワードになるかも知れません。)

スウェーデンについては日本で紹介されているイメージにかなり偏りがあって、固定概念が先行している部分が大きく、今日の例もそのひとつです。そうしたイメージを修正していく必要はありますが、例えばそれを説明する側が「どういったところが日本で常識とされていないことか」について理解していなければ適切な批判につながりません。「新たな観光資源」の開発に専門家が携わるときなど、こうした点に細心の注意を払う必要があります。そのためにも専門家以外の人たちとのコミュニケーションは、翻って専門家自身の視覚に反省を迫るものになるから大切です。

今日の報告では、この至極当たり前のことを再認識する機会となりました。

2005年6月29日 (水)

デンマーク古語辞典落手

昨日国内のとある古本屋さんに発注していたデンマーク古語辞典が届きました。 Otto Kalkar, Ordbog til det ældre danskesprog, 1-6bd., København 1881-1918. というもので、14~18世紀頃のデンマーク語の用例が網羅された辞典です。

北欧関係の書籍が我が国の古本屋さんで売りに出るのはとても珍しく、しかもこの辞書のように定評のあるものが全巻揃いで破格の安値3,150円で手に入るというのは、当初どうしても信じられなかったのですが、手元に届いてびっくり!革装の立派な装丁で、しかもほとんど使用された形跡も見られない…これは久々に良い買い物だった…と思いきや、扉を開いてみてさらにびっくり。

これ、大阪外大とは別にもう一つ我が国で北欧研究科のある某大学から廃棄処分されたものでした。(良いのかな…こんな貴重な文献を廃棄しちゃって。)グロントヴィ思想を建学理念とする大学ですから、ひょっとするとこの辞書も常々それを主張してきた総長先生が手にしたことがあるのかな(…グロントヴィは19世紀だから、そんなことないか…)なんて想像してみたりしました。あちらでは古いデンマーク語は必要なくなったのでしょうか…今後は北摂の学舎で大切に利用させていただきます。ありがとうございました。

スウェーデンやデンマークの古本屋さんを利用していると有名な歴史研究者の献呈本だったり、そうした人たちの蔵書だったりした本が、めぐりめぐって僕のところに来る例はよくあって、なかにはそうした人がしたと思われる書き込みなどに出会うと深い感慨を覚えます。本(そしてそこに示されたテキスト)にも来歴があり、その来歴に思いをはせることは古本購入の醍醐味の一つですが、おそらくこうした貴重本収集への「思い」も人文学を支える大切な要素だと思っています…。

(はい、ある方から「きちんと言語論的転回について意見せい!」とご意見を頂きましたので、いずれそれについて発言をします…。)

2005年6月28日 (火)

夏至祭…

先週末は夏至祭でしたねぇ…。そうか、上京したバルト研が今年の僕にとっての夏至祭だったというわけか…、どうりで盛り上がっていたわけです。というわけで、今年はあっさり夏至祭をスルーしてしまったので、夏至祭ネタはまた来年!ということにしましょう。来年を楽しみにしていてください。

考えてみたらブログってこれから何年も先続くと考えると、膨大なテキストが集積される…ということですね。

2005年6月27日 (月)

地域研究VIII

来週7月4日の講義ファイルをアップします。

第11回 アイスランド~「北欧の原風景」 をダウンロード

今日もかなり蒸し暑いです。枚方はどうなることやら…来週は「氷の地」アイスランドの話といきましょう。アイスランドは「火の国」でもあるのですが…。

2005年6月26日 (日)

バルト・スカンディナヴィア研究会のこと

前言にも示したように昨日は早稲田大学で開かれたバルト研に参加しました。バルト研へ向かう前に片づけねばならなかった仕事がハードで時間もおしてしまったので、かなり遅れての参加でしたが早稲田大学でデンマーク史を講じておられる村井誠人先生の「日本デンマークのこと」に関するご報告の後半部分をお伺いすることができました。

大阪へ来てからこの研究会へ参加する機会はめっきり減ったものの、それゆえに偶に参加できたときには(なんていうか)「癒される」感覚を僕はいつも得ます。研究会というと緊張が張りつめた感じのする(…時には激しい議論の応酬もある…)「戦いの場」のような雰囲気のものもありますが、(…それもまた切磋琢磨するということでは良い雰囲気ですが…そればかりでは疲れてしまう)、この研究会については僕にとっては「癒しの場」のような暖かい雰囲気があるのです。昔馴染みの面々が談笑を交えながら特に司会を立てるまでもなく自由に議論する感じは、参加者個々が正直に「北欧」への意見や心情を吐露する雰囲気を醸し出しています。また、「北欧」に対する問題関心が多くの参加者によって共有されているという点も、良い意味で「安心感」が得られる理由なのかも知れません。

この研究会における「北欧」への関心は、なによりもまず我が国で一般的に流布している「北欧」イメージあるいは「北欧」の固定概念に批判的であることからはじまっています。今回の村井先生の「日本デンマーク」についても、この関心は通底しています。僕が遅れて入っていったときには、先生はすでに加藤完治と内原訓練所を話題にされていて(そうした話の展開を事前に想像していたとはいえ)驚いたのですが、例えば、三河安城の「日本デンマーク」についても、ただ単にデンマーク(あるいは「北欧」)を単純に理想化して日本社会へその知見を導入する危険性というより大きな問題の存在が明らかにされました。これについて、より厳密に言うならば、一見デンマーク(あるいは「北欧」)の事例に言寄せ、そのことを理解しているような言説であっても、実際にはその引用者が生きる時代環境とその者の思考枠組に規定されるなかで、もともとのデンマーク(あるいは「北欧」)の言説は我が国の引用者によって“横領”され、デンマーク(あるいは「北欧」)像は歪められフィクションが形成された過程が、昭和初期の我が国における農村の青少年教育運動を事例としても見られたということです。

我が国において「北欧」が参照される場合、多くの事例はそうした言説の“横領”化(あるいは自分の問題関心に照らしたうえですでに結論が先にあったうえでの「良いところ」どりの過程)の結果であることを意識する必要があります。例えば、内村鑑三の『デンマルク国の話』はよくグロントヴィ主義を伝えるテキストだと言われますが、しかしそのなかにダルガス父子のヒース(荒地)改革の話はあっても、グロントヴィ自身のことは一切触れられていません。グロントヴィの思想(… それだってまた19世紀デンマーク社会のなかにあって要請されていた「国民」創生の必要性からグロントヴィが産み出したフィクションにすぎない… これはいわばイギリス史におけるホイッグ史観に比肩しうる言説だと僕は考えていますが…)でもあるにかかわらず、そうした言説の実態を理解することなく、二重・三重の“横領”が行われてしまう…。昭和初期にデンマークにおける国民高等学校での農民教育に触発された様々な運動が、最終的には満蒙開拓事業の悲劇へ荷担した過程を見れば、こうした言説の“横領”がもつ危険性は十分に理解されるところでしょう。(なぜ昭和初期にそうした運動を主唱した人々が世界中数ある国々のなかでデンマークにたどり着いたかについては、これからの研究を待たねばなりません。)

地域研究については、我が国で知られることのなかった事実一つ一つの紹介に努めることも大切ですが、そうした事実を「事実」として認識させるような(目にはなかなか見えにくい)閉ざされた言説の枠組みにも十分に慎重になる必要があります。とりわけ社会福祉や地域間協力などといえばいつも参照例に挙げられる「北欧」を学ぶ者は、よりこの問題に敏感である必要があります。バルト研に参加してみていつも感じる「安心感」は、こうした問題関心の共有のうえに地域研究の「良心」が示される場だからなのかもしれません。(もちろん懇親会での居心地の良さもあります… 遅くまでおつきあいくださった皆様ありがとうございました。久しぶりに僕は良い気持ちになって、葛西のほうまで寝過ごしてしまいました。)

2005年6月25日 (土)

日本とデンマーク

僕はもともと東夷だから、決して在原業平のように「東下り」とは言いませんが、今月二度目の上京です。先週末も京都でハプスブルク史研究会に出席していたことを含むと、今月はほぼ毎週末研究会に出席していたことになります。今日は久方ぶりにバルト・スカンディナヴィア研究会に参加して、早稲田大学の村井誠人先生のお話に勉強させてもらおうと思います。今回のテーマは「日本デンマークについて」ということで、昭和初期に我が国の農村改革の実験場の一つとして知られた“日本デンマーク”こと三河安城について話がある予定です。

内村鑑三の『デンマルク国の話』に代表されるように、デンマーク、とりわけ第二次スリースヴィ戦争(一般的にはドイツ史の観点からシュレスヴィッヒ=ホルシュタイン戦争といったほうが通りが良いですね)後のグロントヴィ主義に基づいたデンマーク農業社会の在り方(例えば農民教育を目的とした国民高等学校や農業生産組合など)と「外で失ったものは内で取り戻す」という精神は、第二次世界大戦以前の日本に大きな影響を与え各地にデンマークに学んだ生産組合や国民高等学校の実現を目指す運動が盛り上がりました。三河安城の場合には、『デンマルク国の話』にあるダルガス父子よろしく愛知県立農林学校を基盤に農村の青年教育運動が進められます。

僕の田舎である茨城でも、内原町というところに加藤完治という人物の指導で戦前の拓務省による内原(満蒙開拓青少年義勇軍)訓練所が作られ、主に満州植民を目的とした青少年教育(これは農業だけではなく「義勇軍」ですから軍事教練も目的として)が行われました。加藤は戦前にあって満蒙開拓を主唱したイデオローグとしても知られ、この内原訓練所で「皇国精神」、「武道」、「農業」を教育され、満州へと巣立った8万人とも言われる満蒙開拓青少年義勇軍の青少年たちの多くは、ソ連参戦によりその多くが戦死するという悲劇的な結末を迎えました。従ってこの内原訓練所は、戦前の日本における国民精神総動員運動の一翼を担いながら植民地経営を支えた組織との評価が一般的です。

この組織を主唱した加藤自身の思想的基盤がデンマークのグロントヴィ主義に由来しており、彼がその思想を同時代の雰囲気に応じて独自に“横領”したとはいえ、内村訓練所の前には内原町の隣にある友部町で日本国民高等学校を開いていたと考えたとき、我が国におけるデンマーク受容、あるいはグロントヴィ主義受容が本来内村鑑三が伝えたかった精神、すなわち「外で失ったものを内で取り返す」という精神とは大きくかけ離れたところで矛盾を来した事実に、そうした歴史を背負った今の日本に生き、北欧を研究している自分(しかも茨城出身)は、いつも精神の分裂を来す寸前の複雑な感情を抱きます。

さてこれが三河安城を例とした場合には、どのように解釈されるのでしょうか…楽しみです。

2005年6月24日 (金)

MSN サーチ ツールバー with Windows デスクトップ サーチ

今日からMicrosoft社でWindowsXP上でデスクトップ検索とネット検索を融合させたMSNサーチツールバー with Windows デスクトップ サーチの日本語版ダウンロードが始まりました。

この検索ツールは、リモート(ネット)の情報とローカル(自分のパソコン)の情報を一気に検索できることに利点があります。とりわけローカルの情報については、Microsoft OfficeやOutlook (Express)など(アドインを追加すればPDFも検索可能)で作成されたデータについて、ファイル名だけではなく、その文書内に書かれた内容についてキーワード検索ができますので、これまでの情報整理のあり方を一変させる可能性があります。つまりファイルをフォルダ毎に整理していなくても、後からキーワードを打ち込むだけで目的のファイルへたどることができるのです。

すでにこうしたローカル情報を検索可能なデスクトップ検索ツールとしては、Google Desktop Searchもあります(…そしてなによりMacOS X TigerのSpotlight…)。両者の比較をまだ徹底して行っていないので、検索できるファイルの種類などの違いがわかりませんが、MSNサーチはMicrosoft純正とあって、Windows XPとの組み込み・連携関係がしっかりしているという印象を持ちました。例えば通常のファイルエクスプローラ(マイコンピュータ)にもデスクトップ検索機能が付加されますし、Googleでは検索キーワードの前後の文章しか検索結果画面にでてこなかったのが、MSNの場合にはプレヴュー画面で結果が提示されるので、より目的のファイルに至りやすい(感じ)。またMSNの場合には、MSNエンカルタ百科事典など、各種オンライン辞書と連携して事項検索も可能になっている…らしい。

ただしこうしたデスクトップ検索ツールの常として、最初にローカルに蓄積されたファイル全体のインデックス化作業が必要で、これには延々と時間を要します。これはGoogleもMSNも(そしてSpotlightも)同じです。非力なパソコンでは一昼夜かかってもインデックス化が終了しないかもしれません。しかし一度インデックスを作成してしまえば、これほど便利なツールはありません。先日ヨーテボリ大学から帰国された言語学を専門とされている神戸大学の院生さんと話をしていましたが、例えば彼なども電子ジャーナルとして公開されていた論文をローカルに蓄積し、このデスクトップ検索機能を使って、目的のキーワードについて言及されている論文に至ることで、勉強がずいぶんと効率化されたと言っていました。最近は僕も既存の紙媒体の文献をPDF(キーワードをつけます)化して蓄積するようにしています。これは資源の無駄遣いを回避するだけではなく、こうしたデスクトップ検索を活用する新たな勉強スタイルに対応するためでもあります。

こうなってくると残る問題は、マイクロフィルムにある史料をどうデジタルデータ化するかです。マイクロフィルムスキャナはとても高価で手が出ません。35mmロールで蓄積されたマイクロフィルムがたくさんあるのですが、デジタル化に関してなにか有効な対策はないものでしょうか?(通常のアナログカメラのフィルムスキャナでは駄目(らしい)です。)どなたかご教授頂ければ、幸いに思います。

リンク: MSN サーチ ツールバー with Windows デスクトップ サーチを使って文書と電子メールをすばやく検索.

『史学雑誌』落手

ここ北摂にもようやく今年の『史学雑誌』回顧と展望号が届きました。まだ斜め読み(…しかも研究室に置き忘れてきてしまった…)ので、すべてに目を通したわけではありませんが、このブログにもコメントを頂いている東北大学の小田中直樹さんの「認知科学」に対するご意見は、小田中さんが執筆された「歴史理論」の項で明らかにされています。僕もこれを読ませて頂いてから発言すべきだったかも知れません… 「歴史理論」を執筆されていたとは知らなかったものですから、先走ってしまった感じですみませんでした。学生のみなさん(とりわけ歴史ゼミに所属するみなさん)はすぐに目を通すように。「北欧」については、昨年から「ロシア・東欧・北欧」という枠組みで必ず研究が紹介されるようになったのですが、今年は紹介件数が少ない印象を受けるとともに、「北欧」は個別論文が散発的に紹介される感じで全体の大きな動向が見えにくい。点数自体が少なかったのか、それとも収書状況が芳しくなかったのか… まだ研究分野としての「北欧」は成熟途上にあると考えれば、それは致し方がないといった感じです。(昨年僕自身執筆して、膨大な資料収集と限られた字数に動向をコンパクトに整理することは大変な作業だと思いました。ですから各項目の執筆者の皆様のご苦労には深く感謝するとともに、だからこそそこで示された情報は貴重な価値をもつものだと思っています。)「北欧」は地域研究としては先輩にあたる「東欧」の諸研究などに学びながら、「向こう岸からの世界史」に与しなければなりません。紹介点数が少ないからこそ、そこで紹介された論文については価値のあるものであり、学生のみなさんは必ず目を通すべきでしょう。

で、回顧と展望号の408ページにはこの秋11月12日に開催される史学会大会公開シンポジウム「18世紀の秩序問題」について、東京大学の近藤和彦先生の筆によるお知らせが出ています。このテーマの依拠する問題関心の在り方については先生の文章を読んで頂くとして、このテーマが日本史・東洋史の研究者とともに語られることは大変楽しみです。僕個人も最近は(…というか正確には今回の回顧と展望の「近代 ロシア・東欧・北欧」で紹介されていた中澤達哉さんのご研究に出会ってから…)「バルト海帝国」としての近世スウェーデン複合国家という議論から微妙に関心を移行させ、「複合国家」の秩序問題、とりわけその統合軸になった意識の具体的な在り方について主に18世紀の宗教的言説から分析を進めていたので、このシンポジウムは興味深いものです。そういえば、翻って我が故郷についてもこの時期の秩序問題は興味深いテーマです。例えば、水戸学が初期水戸学から後期水戸学へと静かなる転換を遂げていくのもこの時期ではないでしょうか。「国体」という政治・社会・文化を包含する秩序を論ずるという点では一貫性があったかも知れないが、歴史叙述に言寄せて論じていたものが、来るべき幕末へと政策提言を伴う社会哲学と変わっていったのもこの時代ということです。いつも思うものですが、後期水戸学のイデオロギー研究は古くは丸山真男だとか、最近ではV.コシュマンだとか刺激的なものが多いのだけれども、前期水戸学から後期水戸学への転換を促した背景についてはあまり議論を聴きません。野口武彦の『江戸の歴史家』(ちくま学芸文庫)くらいかな。素人考えですが、後期水戸学の秩序理念を理解するには18世紀(~19世紀初頭)の水戸藩における経験に基づいた社会通念の変化を前提にする必要があるんじゃないかと思っています。

で、小田中さんから「まずはモノグラフが大切だと思っています」とコメントを頂いたのですが、この公開シンポジウムの「秩序問題」というテーマは、いずれはやいうちに具体化せなければならない僕自身のモノグラフ構想の大きな柱です。「複合国家」という近世スウェーデンの秩序は、近代スウェーデンとの関係において17~18世紀において何が一貫し、何が変化したのか。この問題について昨年は中澤さんのご研究に触発されて「祖国」論に飛びつきましたが、今年の夏休みはすでに対象とすべき問題を見つけてあります。昨年は宗教的言説を攻めましたが、今年は世俗的言説の分析を進めようと思い、近世スウェーデンにおける政治算術とかの議論をサーヴェイしてます。そうしたらおもしろそうな思想家を見出しました。その人物は複合国家の構成要素の一つフィンランド出身の聖職者なのですが、「フィンランド」や「聖職者身分」といった地縁的・身分的枠組みを超えて、1760年代以降世俗的観点から「スウェーデン」を議論しているのが実に興味深い。で、1760年代というのがまたおもしろいのですが、18世紀(というか近世)における秩序意識が決定的に変化するのは七年戦争以降だと前々から各研究会に出席するたびに主張してきましたけど、ここでもまたその論を補強する事例に出会った感じです。この1760年代転換については、各地域の研究者ともっと議論を深めたいと思っています。

2005年6月23日 (木)

Microsoft Office 2003の特殊文字入力ツール

久しぶりにパソコン関連の話題です。(パソコンの話題は軽やかで、人様の迷惑にならないのでほっとします。)

アメリカのMicrosoft社がOffice 2003向けにヨーロッパ言語の特殊文字入力に特化したツールバーを配布しています。ふつうWindows XPでの多言語入力は、コントロールパネルからテキスト サービスと入力言語を選び、使用する言語を選択した上で、タスクバー上にあらわれる言語バーから目的の言語を選択する必要があります。しかしこのツールバーを使うと、Office 2003のソフトならば簡単に当該言語の特殊文字を入力することができます。

多くの人は言語を追加してそれを切り替えることで特殊文字を入力していると思います。例えばこれが有効なのは、あえて言語設定を追加するまでもないたまにしか使わない言語の入力がとっさに必要になったとき(…例えば僕はフランス語など時たましか使わないのですが、その際にアクサンテギュやらアクサンシルコンフレクスやらアクサングラーヴやらセディーユやら一々キーボードの配置を覚えていないのでとっさのフランス語入力には便利です…)や、全く日本語を解さない外国人が日本語環境のWindowsでこれまた日本語版のWordに日本語キーボードを使ってヨーロッパ系言語を入力したいとき(…大阪外大では多々そういうケースの相談を受けます…)などなどですね。

とても簡単に導入できるものですから、Office 2003をお使いの方で複数のヨーロッパ系言語を運用する必要がある方にはお奨めです。一応僕のところの日本語Windows XPの環境で問題なく動作することを確認しました。

リンク: Download details: Office 2003 Add-In: International Character Toolbar.

2005年6月22日 (水)

小田中先生へ

小田中先生、貴重なご指摘を頂きありがとうございます。まさにご慧眼で、僕が「いき」な歴史学の発言をしたときに、頭のなかの片隅に小田中先生ご指摘のヴィンデルバルトの提示した問題があったことは確かです。こうした問題は歴史学の性格上常につきまとってきたものですから、伝統的な問題関心の枠組みに僕もあるという次第です。他方、『歴史学ってなんだ?』を読ませて頂き、小田中先生はコミュニケーショナルに正しい認識へと至る過程を触れられておりましたから、その印象から、先生の「認知科学」に寄せる思いは「コミュニカティヴかつソリッドな基点」の模索にあるのだろうとも想像しておりました。それを思うならば、「認知科学」に対する問題設定の違いをあらかじめ認識したうえで発言すべきでした。申し訳ありません。

歴史の書き手・読み手を含むあらゆる歴史に触れる者がコミュニケーション不全に陥っている危機的状況に対して、僕も何らかのコミュニケーションを可能にする前提が模索されるべきと考えます。先の発言から推察いただければありがたいのですが、僕はそれを認知科学のような客観的・科学的公準に求めるには慎重であるべきと思っています。例えば、最近リクールの『記憶・歴史・忘却』が翻訳されましたが、そのなかで示されているような歴史の解釈学としての性格など、歴史学の「学」としての性格は何かを徹底した共通認識とすることでお互いの議論のプラットフォームを築いていく可能性を僕は考えています。これについては言語論的転回を巡る議論とはかなりかけ離れてしまうのですが、このあと稚拙な物言いを続けることをお許しください。

学生たちとの授業やほかの研究者・院生諸君との研究会などなどの場で実感するのですが、どんな歴史を対象とした議論でも「その解釈ってとってもおもしろいね!」って感覚が共有されたときの充実感ったら最高の快感で、これこそ歴史学の醍醐味なのではないかと僕は常々思っています。この醍醐味を共有する感覚こそが、歴史に触れるあらゆる者の間でコミュニケーションを成立させる大前提になるのではないかと僕は考えています。「歴史学は解釈学なんだ」っていう主張をしてしまうと、歴史学の客観性はどこにあるのかということになりますが、解釈へと至る道程が史料批判(これもまた一つの解釈なのですが)に依拠するという大きなルールがあればそれくらいでかまわないのではないかと楽観的です。常日頃から史料の読み込みに沈潜するというマゾヒスティックな作業を要する歴史学に自分がなぜ魅了されるのかといえば、歴史に触れる者みなが自由に披瀝しあう解釈に「楽しさ」を求めるからです。学としては厳密な基礎的作業を伴いますが、解釈には雄々しくありたい。例えば、大阪外大の学生たちには、資料の収集と分析には彼らが学ぶスウェーデン語やデンマーク語を使って直接現地の資料にあたることを厳密に求めながらも、そうした基礎作業をふまえて行われる解釈については自信をもって堂々と自由に披瀝することを求めています。

この発言の落としどころは、昨今の歴史教育をめぐる議論へと行き着きます。解釈をめぐる「楽しさ」への共通感覚が歴史に触れる者のコミュニケーションを可能にすると考えた場合、今のコミュニケーション不全はテクストをめぐる認識論レベルの話はもちろんのことですが、それ以外にもそうした「楽しさ」を共有する感覚が忘れ去られていることにも原因が求められるのではないかと考えます。(歴史教育における道義的問題については、ここではそれもまた一つの歴史解釈として扱います。だから、ここで言う「楽しさ」には「重い」ものもあります。)小田中先生は、先生のブログにおける2005年6月17日のご発言のなかで「歴史教育では、史実を知ることもさることながら、ものを考える力を身に付けることも大切な目的だろう」と述べられています。このお考えに僕は両手を挙げて賛同します。今の歴史教育には、史実(あるいはそれを巡る様々な解釈の数々こそが「史実」と呼ばれるべきかと思いますが)をたくさん用意してあげることで、歴史認識や歴史解釈を自ら行うことがどんなに「楽しい」行為なのかを感じること…この感覚を訓練する必要があると思っています。最近の歴史学においてコミュニケーション不全が起きている背景には、歴史情報のインプット過程に長けてはいるが、アウトプット過程は不得手な書き手と読み手が多く存在しているからのような気がします。史実の暗記だとか史料の読み込みに秀でていても、相手と「楽しい」感覚を共有できる解釈を示さなければコミュニケーションも成立しません。僕は教育の現場に立つ者として、歴史学の「コミュニカティヴかつソリッドな基点」をそうした感覚に求め、それを醸成する(つまりコミュニケーションを回復する)ためには歴史教育の反省と改革が急務だと思っています。

(やはり言語論的転回の話からは大分離れた議論になってしまいました。そうしたコメントを楽しみにされていた方がいらっしゃったら、すみません。やはり荷が重すぎます。)

2005年6月21日 (火)

「いき」な歴史学

先週末は東京のほうでリン・ハント女史の講演(そして囲む会)など開かれていたようで、東京大学大学院の近藤和彦先生が開かれている掲示板に東北大学大学院の小田中直樹先生が「歴史学に対する認知科学・脳科学のwould-beインパクト」について触れられています。小田中先生はご自身が開かれているブログの2005年5月25日におけるご発言において「まもなく歴史学は「ポストモダニズム、フーコー、言語論的転回」ではなく「認知科学」にもとづいて議論をしなければならなくなるだろう」と説かれています。実際に僕は先週ハント女史との会食の席にいた訳ではないので、ここでどのような議論がなされたのかは知りませんが、よい機会なので「認知」という問題について私見を整理したいと思います。

大阪外大で生活をしていますと周りに言語学系の研究者が多くいらっしゃいまして、その分野についていろいろなことを学ぶ機会があります。とりわけ言語を人間の認知活動の一つとして捉え、生成文法のような客観的言語モデルを批判する認知言語学には僕自身(それから僕の妻)も関心をもっています。門外漢ゆえに話が飛躍することを許して頂けるならば、僕は大学学部生の頃よりディルタイの解釈学やフッサールの現象学に大きな関心をもってきました。それらは客観性と合理性を重視する近代知の在り方に対して、人間の「生」に依拠する意識の在り方、あるいは「生活世界」の場から鋭い批判を投げかけたものであり、シュッツに代表されるような現象学的社会学の立場を適応するならば、国家さえも人間の供する日常的な意味形成の連鎖の上に成り立つ文化的営造物として批判可能な対象になりうると考えてきたからです。

いわゆる「言語論的転回」の挑戦を受けた実証主義歴史学はありうるべき方向性を見いだせずに右往左往している現状です。そうした状況に対して小田中先生が予感されている「歴史学に対する認知科学・脳科学の動向のインパクト」については、そうした現象学的思考に関心のある僕からすると確かに一面では有効性も感じます。しかし他方でちょっと落ち着いてその有効性について考えてみる必要もあると思っています。ここで認知言語学の話を続けるのは果たして正しいのかどうか不安があるのですが、あえて発言を続けるならば、認知言語学における意味のカテゴリー化やメタファーの構造分析はあまりに脳科学や心理学に偏っているという批判があり、またゲシュタルト心理学を応用した文法の説明にしても曖昧な主観論だという批判があります。歴史学において認知科学が適応されたとするならば、史料における言語解釈の問題を超えて「生活世界」に依拠した意識のもたれ方を解明するに資することになるでしょう。しかしそれが脳科学に見られるような一見客観的な観察に思われる人間の肉体(脳)分析という視点から、本来人間の歴史的過程を支えてきた「生活世界」の具体的様相をときには暴力的な普遍化へと追いやる危険性も大いに想定できるような気がしてなりません。

歴史学の模索する方向は、一つに人間の歴史的営為を批判することからその普遍的性格を看取することにあります。ハント女史が現代アメリカ歴史学界を代表する歴史家であるを考えるならば、まさにそうした普遍への大きな関心を有しているからこそ人間の認知レベルの意味作用の解明を図る認知科学への関心も高いと予想できます。しかしその一方で歴史学はその対象とする時代・地域・文化に深く沈潜し、それら分析対象とする世界の特殊性を解釈する必要もあります。もちろん単なる事実解明のケーススタディを集積するだけでは百科事典を作ることに堕するだけになってしまいます。前者で示したような歴史的営為に見られる普遍的性格の看取という大きな問題意識を前にしながらも、普遍化から漏れがちな特殊性の解釈を続けねばならないということです。その結果の総体は素朴実証主義の陥穽を超えて根源的な「生活世界」の解明に資すると僕は思っているのです。脳科学が提示するような人間身体の科学的な意味構築の分析は、それぞれの文化圏における感覚や意味の差違をどのように説明するのでしょうか。(脳科学については完全な門外漢なので、そうしたことを解明する研究があるならばごめんなさい…不勉強ですみません。)

そんな僕の座右の書の一つは、九鬼周造の『「いき」の構造』(岩波文庫)です。九鬼は以下のように言っています。

「…我々は「いき」の理解に際してuniversaliaの問題を唯名論の方向に解決する異端者たるの覚悟を要する。すなわち、「いき」を単に種概念として取扱って、それを包括する類概念の抽象的普遍を向観する「本質直観」を索めてはならない。意味体験としての「いき」の理解は、具体的な、事実的な、特殊な「存在会得」でなくてはならない。我々は「いき」のessentiaを問う前に、まず「いき」のexistentiaを問うべきである。…我々はまず意識現象の名の下に成立する存在様態としての「いき」を会得し、ついで客観的表現を取った存在様態としての「いき」の理解に進まなければならぬ。…」

大阪外大で生活して北欧の歴史に深く沈潜している今の僕には、この九鬼の言葉は偉く大きな意味を持ちます。Mt-KBくんをはじめ意欲的な大学院生のみなさんが、広く大きく問題関心を有して認知科学への知見を有することはもちろん大切なこととは思っていますが、その一方で普遍的議論のもつ陥穽をも理解して、そして自分の本来の研究対象である文化の「生活世界」を解釈することにも雄々しくあって欲しいと思います。ひたすら特殊を論ずることは一見些末なことにも思えますが、しかしそれを基盤とすればこそ、「いき」な解釈も導き出されるものと思っています。

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

来週6月28日分の講義ファイルをアップします。先週の授業でも話したとおり、一学期の講義ファイルはこれで終わりとなります。まるまる一回分、授業の進度が遅れています(…すみません…)ので、この調子で行けば、ちょうど一学期の授業の終わり(すなわち講義最終日は7月12日)までにフランス革命までの話が整理される筈です。(二学期は、19世紀と20世紀の話に集中します。)また一学期の試験は、7月19日に予定しています。試験の内容については、授業で話した通りです。

第11回 啓蒙と改革の18世紀(2) をダウンロード

2005年6月20日 (月)

地域研究VIII

来週6月27日の講義ファイルをアップします。

第10回 フィンランドは「北欧」か? をダウンロード

今日の授業はフィンランドの基本について話をしますが、その前にノルウェーのことについて意見や感想を書いてもらおうと思います。暑いですが、よろしくお願いします。

2005年6月19日 (日)

福井と早稲田をつなぐもの

中澤達哉さん絡みで、福井と早稲田大学のことについて発言を続けます。

中澤さんは福井大学で教鞭を執られていますが、昨日の懇親会で福井のことに話題が及びました。越前・若狭を含む現在の福井といえば、我が国の歴史と文化を語る上でそれこそ継体天皇の時代以来常に僕たちは顧みる必要のある場所ですが(…継体天皇絡みでは高槻・枚方のことへと話題をふくらませることができるのですが長くなるので今回はやめます…)、そんな福井の歴史を支えた背景には、九頭竜水系と日本海の豊かな資源に支えられた土地柄という事実があるでしょう。豊かな米、水…とくれば当然酒もうまいし(越前大野の「黒龍」など、今では全国区で有名になりましたね)、かの開高健もしばしばふれていたように越前ガニに代表される海産物もうまい。(生前の開高健はオスの越前ガニよりは、メスでこぶりなセイコガニを好んでいたようですが。)

そんな「美味しくに」福井で僕がとりわけ美味しいと断言できるものは、ヨーロッパ軒という福井では老舗の洋食屋さんでつくられているソースカツ丼です。さすがにその高名は福井大学へ着任早々の中澤さんもご存じだったようで、お互いにその美味さを確認しました。誕生日が同じだから…ということではなく、ここのソースカツ丼は本当に美味しいのです。

一般的にカツ丼といえば卵とじのものがイメージされますが、ここのソースカツ丼は卵とじではなく、かといってただカツレツにソースをかけたものではありません。ドイツ語文化圏では一般的なカツレツにシュニッツェルがありますが、ここのソースカツ丼は、まさにあのシュニッツェル風のカツレツ、つまり細かなパン粉を衣として揚げたカツレツをウスターソースをベースにした甘辛いタレに浸して出されるカツ丼で、これに比肩できるソースカツ丼は管見の限り東京や大阪にはないと思います。(越前勝山にも有名な店があるとは聞いています。)つまり、この店のカツ丼の特徴はオリジナルなパン粉とソースにあり、こればかりはどうにもこうにもほかの店がまねできないところでしょう。

一説によるとこのソースカツ丼は我が国におけるカツ丼の元祖とされているものでもありますが、その来歴を辿るとシュニッツェル風のカツ丼が作られていった理由がわかります。このソースカツ丼は明治末期にドイツへ料理留学をしたヨーロッパ軒の創業者である高畠増太郎氏が大正2年にはじめて披露したことになっています。かたやシュニッツェルの歴史を辿るとそれはすでに16世紀頃からドイツ語文化圏に普及しはじめていたことになっていますから、(一説では1857年に『ラデツキー行進曲』で有名なヨーゼフ・ラデツキーがナポリからの帰途オーストリアに持ち込んだという説もあります。)いずれにせよこの高畠氏が留学していた20世紀初頭にはシュニッツェルはドイツ語文化圏において一般的な料理であり、彼がドイツでそれを食し、その技法を勉強していたことは想像できます。

で、この高畠氏は福井にヨーロッパ軒を出店する前に、東京は早稲田鶴巻町にて店を構え、大正デモクラシー華やかなりし頃、その店では早稲田の学生たちがよく食べに通っていたと言いますから、日本におけるカツ丼文化の原点には福井と早稲田があるというわけです。そう考えると、かつて早稲田大学で研鑽を積まれた中澤さんはカツ丼文化の起源をとり結ぶ位置づけにいらっしゃるというわけですね。西洋史学系の大学院生はどこのみなさんもみな熱心に勉学に励まれていますが、しかしそのなかでも最近とりわけ「威勢が良いなぁ」と個人的に感じ、その若いエネルギーを羨ましく思うのは早稲田大学で勉強されている院生のみなさんたちです。ときに神出鬼没の「軍団」と称されている早稲田のみなさんですが、例えば福井に行く機会があるならば、是非早稲田の杜との縁を思いつつ、ヨーロッパ軒のソースカツ丼を食して頂きたく思います。まさにこのヨーロッパ軒のソースカツ丼は、早稲田の皆さんにこそ「噛みしめる」に相応しい歴史的一品です。(東京で食べられないならば、早稲田大学の生協食堂で企画ものとしてヨーロッパ軒とタイアップするなんていうのも悪くないんじゃないでしょうか?)

インターネットが普及する前には「幻」の一品だった福井ヨーロッパ軒のソースカツ丼ですが、最近はホームページ上でソースとパン粉は通販で買えるようになりました。ただ、それを得たとしても、なかなかオリジナルなヨーロッパ軒のソースカツ丼の味を再現することは難しいでしょう。となれば、やはり最終的には福井へ赴いて、実際にヨーロッパ軒を詣でねば、真のソースカツ丼を体験できないということになります。いざ参ろうぞ、福井へ!

2005年6月18日 (土)

もう一人の8月27日生まれ

今日は京都で開かれたハプスブルク史研究会に参加しました。本来自分の専門分野と異なる研究会に参加した理由は、自分と同世代の研究者として以前から敬意をもってお名前と業績に接してきた、福井大学の中澤達哉さんの発表があったからです。

近代スロヴァキアにおける「国民」概念の出現を中・近世における社団原理の読替えという視点から析出しようとする中澤さんの関心のありかたは、一昨年『史学雑誌』の「回顧と展望」を執筆したときに彼の論考にはじめて出会って以来、僕自身の近世スウェーデンを対象にした問題関心に一番近いところにあるものだなぁと感じていました。それゆえ『歴史学研究』や『近世ヨーロッパの東と西』(山川出版社)などにおける中澤さんの諸論考は僕個人の関心からしてどれもおもしろく、勉強させてもらう部分が多々ありました。ここで僕自身の研究について告白するならば、最近僕が取り組んでいる近世スウェーデンにおける祖国概念というテーマはそうした彼の研究から直接刺激を受け、取り組んでみよう決意したものなのです。

今日の中澤さんのご報告は近代スロヴァキアの「国民」形成理論における自然権原理についてでしたが、滅法鋭い彼の分析の数々は正直“目から鱗…”の連続で、聞いているこちらとしても「我が意を得たり」の部分が多く(…例えば近代「国民」概念の創出が、通常西欧史の文脈で言われるような中・近世以来の社団原理の解体から求められるのでなく、むしろ伝統的な社団原理をスロヴァキアの政治・経済状況を背景としながら再定義していくことから析出された過程など…あまりに多すぎて、このブログの発言にそれを具体的に書き連ねることは不可能です…)、一言「感動した」時間でした。

さらに中澤さん絡みでは、誕生日が生年を含めてまったく僕と一緒という事実も明らかになり、これには個人的に驚愕を覚えました。自分の誕生日は以前からヘーゲルだとか(…実は今日の中澤さんのご報告のなかで、社団原理の近代スロヴァキアにおける読替作業の背景として、ヘーゲル哲学の影響が大きかったことが論じられていたのですが、きっと中澤さんのなかではヘーゲルと同じ誕生日だという気持ちも少なからずあったに違いありません…うんうん…)、それからかなり胡散臭いところでは孔子だとかと一緒なんていうことは知っていたのですが…はじめて自分の身近で同じ誕生日の方に巡り会いました。しかも、その方が以前から会ってみたいと思っていた研究者だったとは…オーバーな言い方を許してもらえるならば「運命的」なものを感じざるを得ません。研究会のあとの懇親会でその事実が明らかになったときは、さすがに背筋がゾクッときましたよ。

ほぼ同じ時期に中澤さんも僕も東京で勉強をしていたことになるのですが、しかし東京にいた頃には全く巡り会うことがなかった…それが皮肉なことにお互い東京を離れて生活をはじめた(…中澤さんはこの春から福井に赴任されました…)ときにはじめて京都で出会うことになったのです。一昨年前から会いたくて会いたく仕方がなかった方なのですが、ようやくその思いが成就したという感じです。この出会いは同じ研究者として中澤さんの知見に勉強させてもらうだけでも幸せなものだったのに、それ以上の縁を見いだすこともできました。全く同い年なので古いことも近いことも話題は完全に共有しており(…例えば、子供の頃からみてきたテレビ番組のこととか、最近では子育てのこととか…)、勉強のこともそれ以外のことも楽しく話をもつことができました。

関西にはたくさんの優秀な研究者の方々がいらっしゃって、そうした方々と出会える経験はいつも幸せなものに思います。今日また一人、僕は知的関心を共有しながら一緒になって勉強できる「同志」を得たという感じです。ですから、今日は本当にハプスブルク史研究会(…実は十数年前に一回出席したことがあって、それ以来相当なブランクを経て今日が二回目だったのですが…)に参加して良かったですし、分野の異なる僕を暖かく迎え入れてくれた会の皆様にはあらためて感謝せねばなりません。そもそも今日京都で開かれる研究会へ向かう際に、やはりこの研究会に参加された神戸大学の大津留厚先生とバッタリ千里中央の駅でお会いした時点で、なにやら今日はまた奇遇な経験をしそうな予感はあったのですが。人生長くやっていると今日のような幸せな巡り会いもあるものなのですね。これだから、人生楽しくて仕方がありません。

2005年6月16日 (木)

両刃の剣

AcrobatでのPDF作成で重大な問題に直面しましたので、報告します。当方が現在使用しているAcrobatはVer.6.0 Standardですが、これでPDFファイルを通常作成しているだけでは何の問題も起きません。しかし、作成したPDFファイルのインデックス作成のために、ペーパーキャプチャというOCR機能をかけると、それで作成されたPDFファイルは一部のPDFビューワで閲覧できなくなります。

例えば、以前紹介したFoxit社の軽快なPDF Reader(Ver.1.2まで)や僕がザウルスで使用しているPicsel Browserでは表示できません。後者は他のPDAにも移植されているソフトですが、おそらく他のものでも駄目でしょう。

僕はまだこうしたペーパーキャプチャを経由するPDF作成を最新のAcrobat Ver.7.0では試していませんし、おそらくビューワもAdobe純正のAdobe Readerの最新版ならば問題なく表示されるでしょう。しかしPDFファイルとは、本来“汎用性”の利便性を謳い、ここまで普及したにもかかわらず、ソフトウェアのヴァージョンやビューワの違いによって“汎用”できないことは深刻な問題です。

とりあえずFoxitについては、最新のFoxit Reader(Ver.1.3から名前が変わりました)にすると問題なく表示されるようになりましたので、暫定的な解決方法としてここにご紹介しておきます。しかし、それはあくまでもWindows環境だけでの解決です。

2005年6月15日 (水)

百見は一聞に如かず

ここ北摂は梅雨に入ったとはいえ、昨日も大変蒸し暑い日でした。こうしたときにありがたいのは、帰りがけにちょっと立ち寄れる立ち飲みやさん。お昼ご飯を切りつめても、蒸し暑い日には立ち寄る価値がある。いつも決まって鰹のたたきをあてにビールをひっかけるスタイル。そこに滞在する時間は賞味10分程度。サクッと飲んで、疲れた気分を切り替えます。安かろう悪かろう…では決してなく、ビールはちゃんとした生ビールですし、かつおも生タマネギ、アサツキ、ニンニクなど(…ぼくは生タマネギとニンニクが好きです…)を薬味に8切れくらいでてくる。これ「百聞は一見に如かず」の典型例で、立ち飲みやと言えば「オヤジの巣窟」というイメージがあるかも知れないけれど、リフレッシュの場としてはなかなか良いです。

(この時期の大阪と言えば、ハモの湯引きに水茄子が季節物ですが、どうしたことか、いつも訪れる立ち飲みやでは後者がラインナップされていない…挙げ句の果てに今日のおすすめはなぜかワカサギの天ぷらだった…このあたり改善の余地ありです。)

さてこのブログではときたま全国の方から貴重なコメントを頂いており、そのコメントの数々から示唆されることは多く、あらためて感謝する次第です。東京大学大学院の小澤実さんから頂いたコメントに、「耳学問は大切」と書きましたが、このことを学生のみなさんに伝えたいのであらためて項を設けて発言します。

かつて僕が学部生の頃ご指導をいただいた先生の一人に、今は国立西洋美術館館長の樺山紘一先生がいらっしゃいます。樺山先生といえば、幅広い学識に裏付けられた歴史への鋭い洞察に、いつも深い感銘を覚える歴史家ですが、かつて学生の頃は先生ご自身の体験に裏付けられた話も楽しみだった一方、ゼミや合宿(毎夏青森の農村に行っていました)で(ときには酒杯をかわしながら)学生の話をよく耳を傾けてくれる先生でもいらっしゃいました。例えば北欧のことを話題にしたときにも樺山先生は僕の話に耳を傾けてくれた後、堰を切ったように北欧の情報をあれこれと持ち出されながら、アドヴァイスを頂けた経験は貴重だったと思います。

その樺山先生が授業中によく「百聞は一見に如かずと言いますが、その逆もまた真なりで、百見は一聞に如かずというのも大切なことです。」とおっしゃられていたことを強く覚えています。もちろん人は現場に赴いて実際に体験することが大切です(…この努力をすることが大前提になっています…)が、しかしそうした体験をするには時間と肉体は限られています。そうしたときにその道の専門の方々の話に耳を傾け、追体験させて頂く機会は貴重だということです。もちろん僕は樺山先生の深い歴史への見識から勉強させて頂いた部分も大きいのですが、学部生の頃よりこの「百見は一聞に如かず」という言葉が忘れられず、今の学究生活のなかでも先生の言葉を実践しています。

例えば大阪外大には様々な地域文化を様々な学問領域において究められている方が多くいらっしゃいます。学生のみなさんにとっては、普段授業でしか会うことのない先生でしょうが、そうした先生たちはそれぞれの研究分野で第一線に立つ研究者でもいらっしゃいます。僕が今の大学で生活していてとても幸せだと思うことは、同僚の先生方からいつも貴重なお話を伺うことができるということです。北欧の文学のこと、言語のこと、社会のこと…こちらが疑問に思うことを質問すれば、いつも的確なアドヴァイスをいただけることは幸せなことです。(これは決して北欧のことだけには限りません。)普段の授業だけでは自分の知的好奇心を満足できない意欲的な学生のみなさんには、積極的に「耳学問」に努めることをお薦めします。大阪外大はそうしたみなさんの好奇心に十分応えられる知的環境があると思いますから。

しかしそうした環境がなかなか表に見えてこないところが、今までの大阪外大の欠点だったといえます。でもそんな大阪外大でも、ようやくこれからは他の専攻の先生方のご研究を披瀝する懇話会が積極的に開かれていくような話を聞きました。まさに「耳学問」を成就するにはうってつけの場です。僕も一人の学生として、おおいに勉強させてもらおうと思います。

2005年6月14日 (火)

ゲルギエフ賛

最近は大学で全力投球で仕事をしてヘトヘトになった帰りのバスや電車のなかでは、よくチャイコフスキーの「悲愴」交響曲を聴いています。とりわけ第四楽章…講義で興奮しきった心が癒されます。バーンスタインの1987年録音の20分近い「ろくろっ首」のような演奏(ふつうは4楽章は10分程度なんですよ…)も良いし、カラヤン晩年1984年のウィーン・フィルとの艶っぽく美しい演奏も良い。ときには冷戦期には「幻」と言われたムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのドライでクールな演奏も良い(…アサヒのスーパードライのような切れ味があるね…)。でも最近はワレリー・ゲルギエフ!

愛知県立大学にいらっしゃる伊藤滋夫さんは僕が学生の頃より敬愛する近世フランス史研究者ですが、先日久方ぶりに神戸の日本西洋史学会でお会いしたときにチャイコフスキー談義で盛り上がりました。(久々に「語り部」の面目躍如たる「伊藤節」全開といった感じで、学生の頃よく本郷の下宿や飲み屋で音楽談義や歴史談義に盛り上がっていた頃を懐かしく思い出しました。)

で、伊藤さんと僕との間で一致した見解は、チャイコフスキーの音楽はかつては「甘ったるい感傷過多の音楽」で「大人」の鑑賞に堪えうるものではなく、例えば三十路を越えた「大人」が「自分はチャイコフスキーが好きです」なんて言おうものなら、1980年代に一世を風靡したニュー・アカ連の視点に立つならば、「ダサっ」の一言で呆れかえられたものだったけれども、今はチャイコフスキーの音楽が「大人」にも十分受け入れられるように変わってきたねよぇ…ということでした。

もちろんチャイコフスキーのスコア自体に変化はないわけで、つまりそれはそれを演奏する演奏家の資質(ならびに受け手である聴衆の資質)が変化したということになるのだと思います。で、新たな「大人」のチャイコフスキー観生成の立役者、これは一も二もなくゲルギエフだよね…という点も伊藤さんと見解が一致しました。ゲルギエフのチャイコフスキーといえば、1998年のザルツブルク音楽祭におけるウィーン・フィルとの5番交響曲が凄い話題になりましたが、昨年の9月に彼の故郷である北オセチア共和国でのテロ事件が起きた直後にライブ録音された「悲愴」交響曲は、彼自身の悲痛な思いを反映させた演奏で、聴いているこちらも涙なしには聴けない壮絶な演奏です。

ゲルギエフは、古谷家ではそのあまりに変態っぽい外見(…失礼…だって演奏が終わる頃には、いつも髪の毛の分け目が乱れて、禿げた頭を覆っていた髪の毛が剥がれて、ヒラヒラとたなびいているんですもの…)が、妻にも子供にも“バカウケ”な指揮者ですが、彼のライブ録音に聴くことのできる、時に気が触れたかのような…酩酊しきったかのような…演奏はスリリング、全く予想不可能な展開に聴き手のこちらも、緊張感をもって臨まざるを得ません。だから彼のCDやラジオ放送は、いつも何が起きるか分からないので(…玉石混淆という感も拭えませんが…)、「今度は何をしでかしてくれるのか」と期待が高まり、いつも耳にするのが楽しみになります。

ライブにおいて直感的・本能的解釈のもと瞬間的に血湧き肉躍る演奏ができるような、デモーニッシュな激情型の指揮者…つまりニーチェ流に言うならば「ディオニュソス」型の指揮者というのは、ひょっとするとクラシック音楽の世界ではゲルギエフがフルトヴェングラー以来久方ぶりに登場した指揮者なのではないか…という点も伊藤さんと見解が一致しました。(そういえば、フルトヴェングラーの1938年録音の「悲愴」交響曲も、「第二次世界大戦の開戦を予見するかのような「悲愴感」溢れる名演」とかつては喧伝されていたものです…細木数子じゃないんだから予言なんてできっこないだろ!って「突っ込み」はなしで、かつてクラシック音楽鑑賞の世界では教条主義スレスレの「教養」趣味が蔓延していて、「第二次世界大戦を予見するかのような…」みたいな宣伝文句は実に効果的だったんですね…あ、後で気が向いたときに、現代日本における「細木数子」論も展開してみたいと考えています。)

で、伊藤さんとの話を続けるならば、ゲルギエフを21世紀初頭における「ディオニュソス」の典型だとするならば、転じてその対局にある理知的な解釈を示す「アポロン」型の指揮者、これはサイモン・ラトルということになるよね…という点も見解は一致。(今回はゲルギエフを紹介する発言ですけれども、かつて『グレの歌』で紹介したように実にクレバーな解釈を示すラトルも好きな指揮者です。)

(うむうむ、伊藤さんとはよく話があうなぁ…だから本郷にいた頃から年は離れていてもいつも伊藤さんの跡ばかり追いかけていたような気がします…多謝。)

個人的には、カラヤン、バーンスタイン亡き後のクラシック音楽界には結構冷めていたのですが、ラトルがベルリン・フィルを率い、そして2007年からゲルギエフがロンドン響を率いるとなれば、これからしばらくの間、世界のオーケストラ・シーンはこの二人を軸に展開するとみてほぼ間違いはなく、再びクラシック音楽の最前線が楽しみになってきました。

良いレポートの基準

関西外大の学生のみなさんから「レポート評価の基準はどのようなものですか?」と問われました。そこで僕が個人的に良いレポートと考える基準三点を以下に示します。このことは、大阪外大での「北欧の地誌」や大阪教育大での「比較政治経済学」・「西洋史特講Ⅱ」に出席してくれている学生のみなさんにも同じことが言えると思います。

  • ある特定の地域・文化・社会の特徴を論ずる際に、他の地域や文化と比較して「何が同じ部分で、何が異なる部分か」が示されているか。

この第一の基準は、地域文化の特性を論ずる際に空間的な比較の視点に立つと、対象としている地域文化の性格が際だってくるということです。

  • ある特定の地域・文化・社会の変遷を論ずる際に、前後の時代と比較して「何が変わった部分で、何が変わらない部分か」が示されているか。

この第二の基準は、ある地域文化の性格を論じる際に時間的な比較の視点に立つと、その地域に生きた人々がどのように問題を認識してそれに応じたかが明らかになり、自分が対象としている地域文化の現在の姿が際だってくるということです。

  • 自分の主張を説得力をもって読み手に伝えるために、いくつかの参考文献に挙げられた情報を援用したり、批判したりしながら、客観的に自説を論じているか。

もちろんレポートのなかで最も大切な部分は、書き手である学生のみなさんのオリジナルな主張ですが、それが何の根拠もない妄言では単なる独り言とかわりません。読み手を説得できる主張をするには、自説を補強するための客観的な議論が必要です。

以上、三点の基準を整理しました。これを参考にしてレポートを準備してみてください。

(これを書き終えてから思ったのですが、かつてマルク・ブロックというフランスの歴史家が、歴史研究者には「比較の方法」「遡行の方法」が必要だと言っていたことを思い出しました…まさにそれですよ、それ。)

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

来週6月21日分の講義ファイルをアップします。6月は休みもなく消尽する時期ですが、前期の講義も冷静に考えてみれば、あと一ヶ月ほどで終わりです。そろそろ前期末試験の問題を僕も考え始めようと思います。梅雨には入ったとはいえ実際には茹だるような蒸し暑さが続いていますが、よろしく。

第10回 啓蒙と改革の18世紀(1) をダウンロード

2005年6月13日 (月)

地域研究VIII

来週6月20日の講義ファイルをアップします。

第9回 フィンランドの基本 をダウンロード

今日のノルウェーに関する授業の進み具合に応じて、ノルウェーに関する質問・意見を今日か、来週の授業に提出してもらおうと思います。

2005年6月11日 (土)

「北欧神話」批判

昨日デンマーク史のゼミをしていたら、「先生のブログはパソコンのことばかりでチンプンカンプン」という誠に正鵠を射た批判を得ました。ごめんなさい。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし…ですね。これからはバランスよく発言していくことにします。深く反省させていただきますが…たまにはパソコンの話もさせてくださいね。

で、昨日のゼミの話題は「北欧神話」でした。「北欧」といえば北欧神話をイメージする方々は多いですし、学生のみなさんの間でもとても人気のあるテーマなのですが、近世・近代史を専門とする僕の目からすると、常に違和感を覚える対象でもあります。今日のゼミではその思いの丈をストレートにぶつけて見ましたが、ゼミ生のみなさんはどう感じましたか? 

何に違和感を感じているかというと、「北欧神話にキリスト教化される前のヴァイキング時代の北欧の価値観が反映されている」というありきたりな北欧神話イメージ。まぁ、北欧神話を文字として伝えている史料は実に限られているのですが、普通そうした史料の代表とされるスノッリ・ストゥルルソンの『新エッダ』などについて考えてみるならば、著者である彼自身はすでにキリスト教徒でしたし、また彼を取り囲んだ12〜13世紀頃アイスランドをめぐる状況、例えばノルウェーとアイスランドの微妙な外交関係だとか、キリスト教を理念的バックボーンとしながら拡張していたノルウェー王権の影響だとかを背景にして、北欧神話をとらえなおす必要があるわけです。

すでに北欧神話の研究者からは幾度となく指摘されているように、僕たちが聞き及んでいる北欧神話のさまざまなモチーフは、例えば新・旧約聖書の世界観に実に似通った部分が多いと思います。バルドルとロキの関係に象徴される光と闇の対比だとか(あるいはロキに唆されてバルドルを殺したヘズルとの関係はカインとアベルの兄弟殺しにも似ている)、ロキに見られる堕天使的なイメージ、ラグナロク(神々の黄昏…これだって最後の審判のようにも思える)の後の死せる光の神バルドルの復活のイメージなどなど…考え出したらきりがありません。

実のところ北欧神話については、17世紀に発見された『古エッダ』の信憑性を考えるとキリスト教流入以前の北欧神話の実態を伝える史料はほとんどなく、『新エッダ』などをもとに現在まで伝えられてきた北欧神話の体系が、キリスト教流入以前の北欧世界をどの程度反映しているのかさえ実証することは困難なのです。個人的な見解としては、現在知られる北欧神話はキリスト教理念流入後の北欧世界で求められた姿に適するように再構築されたものではないか…だからこそ聖書に見られる世界観にも似た部分が多いのではないかと思っています。

(例えば、主神とされるオーディーンでさえ、本来ゲルマン神話の体系のなかではほかの神々と同列の戦いの神に過ぎなかったのが、スノッリ以降主神扱いされるようになっているのですが、これはスノッリの時代に進行していた拡張する王権のイメージとあたかも合致するかのようにも感じます。)

北欧の約1000年に及ぶ(文献史料で跡づけのできる)「歴史」時代を振り返ってみるならば、北欧神話の意図的な解釈が行われた時期が二つあることに気づきます。一つは上で述べた中世北欧における王権とキリスト教信仰の拡張した時期と、もう一つは19世紀はじめのナショナリズムの時期です。僕たちは北欧神話のなかでも、オーディーンやトールといった荒々しい武勇の神々をヴァイキングのイメージと重ね合わせ、ヴァイキングの人々が尚武の精神や自由の精神を重んじていたと考えがちですが、はたしてそれが事実かどうかは検証する術を一切もちません。

こうした尚武や誠実、自由といった価値観を北欧神話から読み取り、そうした価値を重んじる点こそが「北欧」民族が他の民族とは異なる理由だと主張したのは、まさに19世紀はじめの「北欧」に生き、「北欧とは何か?」を模索した文学者や歴史家たちでした。スウェーデンのE.テグネールやデンマークのA. G. エーレンスレーヤなどによる北欧神話に取材した文学作品はとりわけ有名な例だと思いますし、スウェーデン国民史学の父であるE. G. イェイイェルの代表的著作『スウェーデン民族の歴史』では、神話の世界を延々と叙述したうえで19世紀に至るスウェーデン民族の起源を示そうとしました。そうした19世紀初頭の文化人が「国民」創出の道程でつくりあげる必要のあった「北欧」民族観が、いまだに僕たちの北欧神話イメージを大きく規定していると言って良いでしょう。

管見の限りでさえ、北欧神話は本来あった北欧神話の体系から上に述べた二度の大きな意図的な「読み替え」が起きていると考えられます。そうなると、もはや限られた数しか史料が残されていない中世(あるいはヴァイキング時代)に遡って北欧神話がどのようにヴァイキング時代の北欧社会を伝えているのかなどと「直球勝負」で攻め立てるような研究は、かなり困難であることが明らかに(そして容易に)予想できます。これからの北欧神話についての研究は、もう少し「ひねり」が必要ではないかということでもあります。例えば、現在的関心から重要な「国家」論的見地に立ちつつ、19世紀はじめの近代国家草創期にあって、北欧の知識人たちを突き動かし、そして彼らによって作り出された北欧神話の価値はどのようだったか…といった問題設定ですすめるといった感じですね。

門外漢が長々と北欧神話への違和感を明け透けに語ってみました。なにせ複雑な北欧神話のことですから、誤解等々があったら申し訳ありません。それはあらためてご指摘ください。

2005年6月10日 (金)

文系学生・研究者のためのお役立ちツール(番外編)

さて今日ここでご紹介するのは、ゴロ寝 de スクという大きな書見台です。とある雑誌で紹介されていたのを見てひとめぼれ…即買いに走りました。人ぞれぞれいろいろな勉強のスタイル、仕事のスタイルがあると思いますが、例えば週末にゆっくりと布団の中で過ごしたいとき、病気で床に伏せっているときなど、横になったままでパソコンや本を見られたら良いのに…とお考えの方も多かったと思います。

いや…理由なんていらない…ただ単に寝転がりながらパソコンを使いたい…そう、そんな僕も含めてあらゆるずぼらな人のための品がこのゴロ寝 de スクです。

世の中にはそんな人が多いのでしょうか…この品はこの春に発表されて以来すごい人気らしく、各種マスコミでも紹介されています。寝ながらパソコンや本を見ることのできるこの画期的な品は、きっと日本全国の文系学生・研究者のみなさんの間で歓呼と感涙をもって迎え入れられると思い、ここに「お役立ちツール」として堂々と紹介します。

一部つくりがチープだとかいう話が出ていますが、味も素っ気もないシンプルな外観は、日本人の固定観念にいう意味での“北欧”風ともとれるでしょうし、むしろシンプルだからこそ壊れそうな部分もなくてよい。今晩もこの書見台にパソコンを置いて息子とともに横になりながら阪急電鉄の動画を見ていたら、逆にこちらが眠くなってうとうとしてしまいました。寝ながらパソコンを使うことはもちろん、そのまま寝てしまっても全く問題はない…このことは僕自ら実証済みです。例えば、うつ伏せでも良いのではないかという意見をお持ちの方もいるかと思いますが、うつ伏せですともし万が一寝入ってしまったときにパソコンや本の上に体が覆い被さってしまうリスクがあります。しかしこれを使うと、基本的に体は仰向けのままですから、まずそのような心配はありません。

詳細はホームページを見てもらうとして、台の部分は15インチ程度(重さで言えば3kgくらい)の据え置き型ノートパソコンくらいまでなら十分でしょう。脚をネジでとめるだけで簡単に組み立てられ丈夫ですし、高さの調節もそれなりに自在。ただし書見台部分をあまり立ててしまうと、手前にパソコンや本が90度以上の角度で立つことになり、自分の顔面めがけて倒れてくる可能性があるので、それは注意を要します。自宅のPowerBook G4(約2kg)ではびくともしません。

最近はバッテリーの持続時間も長く、無線でネットワーク環境を築いている人も多いでしょうから、パソコンだけを寝床に持ち込んで、ネットサーフィンやDVD鑑賞や仕事の続きができるようになるという道具です。レア物ですから、なかなか実際に店頭で目にする機会の少ない品だと思いますので、ここでみなさんに紹介いたします。なかなか便利です。

19世紀のノルウェー語

いやはや…今日は朝からうだるような暑さです。大学へ来るまでに汗だくとなってしまいました。大阪は暑い…本当に暑い。本州で一番暑いのではないでしょうか。

さて個人的に今熱くなっているのはノルウェー語史料を読むことです。19世紀後半のオスロ界隈のエリート階層によって書かれた史料ですが、たかだか100年くらい前の史料だと思ってたかをくくってはいけない…。これがなかなかどうして厄介なものです。

そもそも近代スウェーデン語あるいはデンマーク語は16世紀以降文法体系の原型が固まったとはされるものの、例えば僕の本来の研究領域である17~18世紀だと正書法が整っていないため人により綴りはかなりまちまちなのですが、現代のスウェーデン語あるいはデンマーク語の基礎をしっかりと身につけていれば読みこなせるものです。

しかしノルウェー語は先に発言したように19世紀に入ってからどう作り上げようかと議論されてきたものなため、とりわけ書き言葉の点でその人出身の社会階層と地域によって本当にバラバラで、混乱しきっています。これは例えばどの辞書を使えば良いのかという、日本人にとってノルウェー語運用にかかわる根本的な問題にもかかわってきます。

ノルウェーはオンラインの参考文献や資・史料の公開状況が比較的進んでいるので、例えばオスロ大学が公開しているDokumentasjonsprosjektetというポータルサイトを使うとたいへん便利なことは便利なのですが…

とりあえずBokmålとNynorskの辞書は、これまたオスロ大学が公開しているものがあります(これは便利だ)。

Bokmålsordboka
Nynorskordboka

また古ノルド語をオンラインで調べたいという場合には、やはりオスロ大学の公開している以下のものがありますね。

J.Fritzners ordbok over Det gamle norske sprog, dvs. norrøn ordbok

ここまで高度なものは必要ないという場合には、移民むけのノルウェー語辞書サイトがあって、初学者や現代のノルウェー語ならこれで十分でしょう。

LEXIN

で、翻って僕自身の抱えている19世紀後半の史料文ですが、同時代のデンマーク語(やはりオスロ界隈の社会的エリートによる文章なので)をベースに類推しながら読み解く必要がありそうです。近代ノルウェー史が「前衛」的国民国家だと前に述べましたが、にもかかわらず我が国の西洋史学研究で取り上げられてこなかった理由は、(ノルウェーが近代ヨーロッパ世界の辺境に位置するという問題以上に)こうした言葉の問題が大きかったのではないか…と実感しています。

人の資質を問うソフト

昨日だいぶ以前に発注していたAppleのiWork'05が手元に届きました。このソフトウェアのなかにはプレゼンテーションソフトとして評価の高いKeynoteが入っています。知り合いの研究者仲間だけではなく、雑誌のレヴュー記事などでもとても評価が高いので期待してましたが、今のところ僕にはその良さが伝わってきません。PowerPointで今のところ十分という感じなのです。

ひょっとしてこのKeynoteを使いこなすにはクリエーターとしての感性が必要なのかと感じています。周りでこのソフトが良いと思っている人たちに共通する点は、直感的なセンスがよくて芸術家肌の方々です。翻って自分を考えてみると、自分はどう考えてもそうした洗練されたセンスを持ち合わせてはいない。どちらかというと職人肌でこれと決めた道具や自分の知った方法を後生大事にし、馬車馬のごとく延々ともがき苦しんじゃうような泥臭いタイプ。

Keynoteはその人の資質あるいは感性を問うソフトウェアかも知れません。田舎者の僕にもそうしたセンスのかけらはある筈だとばかりに…もうしばらくこのソフトウェアとおつきあいしてみようと思います。

2005年6月 9日 (木)

エンタツ・アチャコの漫才革命

昨晩は日本中の多くの人がサッカー日本代表チームのワールドカップ本選出場決定に沸いていたと思うのですが、僕としてはその裏でひっそりと放映されていた『その時歴史が動いた エンタツ・アチャコの漫才革命』を食い入るように見ていました。歴史研究者の目から『その時歴史が動いた』という番組をとやかく言うことは今日はやめましょう。昨晩のエンタツ・アチャコを特集した放送は、なによりその内容そのものが興味深く、時間が経つのと子守りを忘れてしまう程でしたから。

エンタツ・アチャコといえば、今となっては上方演芸界の花形である「しゃべくり漫才」の創始者として、歴史にその名を残す偉大な芸人です。(おそらく最近は高校日本史の教科書のなかでも、大正時代から昭和時代にかけての大衆文化の普及の項で扱われるようになったのではないでしょうか。)万才はもともと二人一組で演じられる音曲いりの伝統芸能のひとつでしたが、それを一切排したボケとツッコミのかけあいによるスピード感溢れる「しゃべくり漫才」の歴史はそれほど古くないのです。彼らがコンビを組んでいたのは昭和はじめのたった5年間でしたが、その間に彼らはこの革命をやってのけたわけです。

もとより「お笑い」好きの僕ですが、そのくらいの教科書的な知識しか知らず、はずかしながら彼らのネタさえろくに聞いたことがなかった。昨晩はエンタツ・アチャコといえば必ず紹介される彼らの出世作「早慶戦」ができるまでの試行錯誤の道程が、当時のラジオ放送の録音や社会世相の解説を交えながら丁寧に説明されていました。

個人的に関心した点は、彼らのネタ作りの手法です。観客との共犯関係を作り上げるために銭湯に通って綿密な調査を重ね、巷に溢れる話題をネタの素材にするとか、昭和初期にあって娯楽とメディアの在り方を根本から変えていったラジオに着目し、上方にだけ限定される話題でなく全国的に「笑い」を共有できるネタの素材を集めていったとかいう話です。 彼らの人気はまさに大衆文化の普及に大きな役割を演じたラジオという新たなメディアによって作られたわけですが、しかしその一方で(横山エンタツ自身が回顧していたように)新たな大衆文化に直面して変化した「人間そのもの」に彼ら自身が綿密な分析と検討を加えた結果でもあったわけです。

それから個人的に興味深かったのは、彼らのプロモーターである吉本興業のこと。所属芸人のスタンドプレーを認めず、しっかりとタレントマネジメントの手綱をしめている点では今も昔も吉本興業に違いはありません。当初寄席の客足が減ることを危惧した吉本興業は芸人のラジオ出演を禁止していたものの、ラジオに独断で出演した桂春団治(二代目)の寄席に多くの観客が来るようになったのを見て、ラジオ出演を解禁したのだそうです。どの時代にも機を見るに敏なメディア関係者の“慧眼”には脱帽ですが、こうしたメディア関係者の時代を読む目によってもエンタツ・アチャコの漫才革命は支えられた(あるいは作られた)と言うべきでしょう。

2005年6月 8日 (水)

山形ラーメン

ついつい前言が長くなりました。申し訳ありません。おもいきりローカルな話題なのですが、千里中央のラーメン名作座にいくつか新規の店舗が開店しました…新装開店にもかかわらず、あいかわらずお客さん入っていませんが。(この界隈では、すでに忘れ去られた存在なのでしょうか…。)

一昨日はその新装開店した店のひとつ「山形ラーメン天童」という店で食べてみました。はばかりながら今後の名作座復活への期待も込めて、及第点はあげたいと思います。天童といえば江戸時代より(将棋の駒というよりは)そばで有名だった土地柄ですので「粉もの」の扱いには伝統があるのでしょう…太くてちじれた麺がおいしかったです。

個人的にはこれほどラーメン屋さんが増えてしまった現在にあって、もはやスープはどこも嗜好をこらしているので味の決め手にならず、むしろ麺や具のほうを重視すべきだろうと考えています。そうした意味で、(和風だしを主体としたスープはもはや今の時代何の変哲もないが)この店の麺が個人的に良いと思ったので及第点とした次第。ダントツにおいしいとか、感動的な味だったというわけではないのでご注意を。

余談ですが、僕が頼んだものはビールセット。中ジョッキと餃子5個とラーメンのセットで、千円だしておつりが返ってくる値段設定(確か970円)もうれしかったです。

最近の大阪は、気温が30度を超える真夏日が続いているのに、あつあつのラーメンの話で恐縮です。

「前衛」的国民国家ノルウェー

最近ノルウェー絡みの仕事をする必要があって、ノルウェーの歴史を整理しています。すでにノルウェーの憲法記念日である5月17日は過ぎてしまったのですが、以前も発言したように今年はスウェーデンとの同君連合解体100周年の節目なので、折に触れノルウェーを話題にすることがあるかも知れません。先にフランスのEU憲法をめぐるレファレンダムへの「国家」論的な見地に立った解釈を示しましたが、近代ヨーロッパ史の文脈においてノルウェーほど「前衛」的な立場にたって「国民国家」建設に邁進した国家は他のヨーロッパ諸国にはみられないのではなかったかと考えています。

そもそもノルウェーの国家としての歴史は1536年にデンマークの一州に編入されて以来断絶していたわけで、再び国家としての体裁をもつのは1814年5月17日のエイッツヴォル憲法の制定を待たねばなりませんでした。この時期が偶々近代ヨーロッパにおける「国民国家」建設の時期と合致したために、ノルウェーが国家体裁を取り戻す過程でラディカルな政策の数々を実現した様は、あたかもノルウェーこそが近代ヨーロッパにおける「国民国家の実験場」だったかのように思えるほどです。

(通常我が国における北欧を対象とした社会科学の成果においては、スウェーデンが「フロンティア国家」とされることが多いです。例えば20世紀半ば以降のスウェーデンの実験については確かにその主張の妥当性を僕も認めます。しかしここでより大局的な「国家形成」の歴史という見地に立つならば近代ノルウェーの国家形成の過程により実験的性格を僕は認めます。)

1814年のエイッツヴォル憲法は「市民革命もないまま」伝統的な身分制度の一切を廃し、すべての住民を「市民」に解体した上で一院制の議会の上に成り立つ新たな国家のかたちを定めたものでした。新たなノルウェー「国家」を支える基盤として1827年には全国一律の義務教育制度が整備されましたし、1884年には議院内閣制が確立され、1907年には女性参政権も実現しています。かなり時代は離れますが、現代における福祉国家建設の過程でも、全国民を強制加入させる包括的な国民保険システムはノルウェーが最初に作り上げたものだったのではなかったでしょうか。

これらの事績は北欧諸国のなかではもっともはやい事例に属します。ノルウェーは憲法と議会をもつ自律的な国のかたちを有しながらも、1905年までは外交と国防については同君連合にあったスウェーデンに牛耳られていました。また第二次世界大戦以降は米ソ冷戦の狭間にあって、NATOの原加盟国のひとつとしてアメリカ合衆国と密接な軍事関係を築きました。あたかもそうした「スウェーデンの傘」や「アメリカの傘」を活用しつつ、ノルウェーは早急に同時代のヨーロッパ政治の先端的水準を摂取して、「国民国家」としての充実度を一気に高めていったように思えます。

ノルウェーは長いデンマーク支配のなかで、独自の言語や歴史叙述など国民形成の核となる文化的伝統が希薄化していましたから、19世紀以降の新たな「国民国家」形成のなかでそうした文化的伝統を新たにつくりあげることにも迫られました。ノルウェーの「国語」形成運動が二つの方向性(伝統的エリート言語だったデンマーク語に依拠する派閥と伝統的な農民方言に依拠する派閥)にわかれたため、現在の「ノルウェー語」の文語表現には二つの異なる種類があることはよく知られている事実だと思います。

しかしノルウェーの場合には、19世紀当時ノルウェー固有の文化の伝統的要素があまりに希薄化してしまっていたがために、「国民国家」形成上そうした文化的伝統を再構成する過程では、本音のところ全く新たに創造していくが可能だったと言えます。つまり「国民文化」の最も純化されたかたちをすんなりと実現できたように思えるということです。(例えばこうした文脈のなかから、作曲家E.グリーグの成功なども考えてみる必要があるでしょう。)

話が飛躍することをあらかじめお詫びしたうえで、こうしたノルウェーの「前衛」的性格の基盤について、あえて仮説を唱えるならば、ヴァイキング時代以来、外洋に面したノルウェーは経済的にも文化的にも外国からの新たな動向を得やすい環境にあったからだと言えるのではないでしょうか。それゆえにノルウェー文化の歴史的展開をふまえるならば、他の北欧諸国に比べて積極的な進取の精神が存在するように僕は感じています。

(これはいずれ発言したいと考えている「北欧をめぐる文化的回路」の問題と絡むのですが、千年ちょっとの北欧史を振り返ってみたときにこの開放的な文化形態と保有したノルウェーの対局に位置しもっとも閉鎖的な性格を有している国が、実はスウェーデンなのではないかと僕は感じています。)

19世紀以来、「国民国家」建設という実験においては「前衛」的な位置を走り続けてきたノルウェーでしたが、1970年代以降北海油田の利益にあずかるようになってからは、ことヨーロッパ統合というポスト「国民国家」にむけての壮大な実験に対して否定的な立場を貫き、未だにEUにも加盟していません。それは世界第三位の産出量を誇る石油資源を「虎の子」とするノルウェーが、「国民国家」としての「我」を張り続けているようにも見えます。ヨーロッパ統合という「国民国家」を超える趨勢においては、かつての国民国家建設の「前衛」も今や「後衛」にあるように感じます。

一頃、石油資源からの利益に過度に立脚し、新たな道筋を切り開けないでいるノルウェーの経済構造へ批判が集中していましたが、それも今は昔のはなし。ノルウェーでも19世紀以来蓄積されてきた化学工業や酪農業などの見地を活かして、バイオテクノロジーなど新たな経済分野の開拓に積極的になっています。これは19世紀以来あった進取の精神が復活させられ、再びそうした精神に根ざした模索がはじめられていると言えるかもしれません。こうした国内社会での積み重ねは「後衛」の立場にある現在のノルウェーを、再び「前衛」へと押しやることになるのでしょうか…。動向を注視し続けたい国のひとつです。

2005年6月 7日 (火)

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

来週6月14日の講義ファイルをアップします。「大阪の夏」いよいよ到来…といった感じです。北欧の話をしてみても別段涼しくなるわけではありませんし、「あぁ、きっと今頃北欧はベストシーズン到来だよなぁ…」と嘆いてみても始まりません。今ここにある環境で、お互い勉強しましょう。

第9回 「近代世界システム」と北欧 をダウンロード

AppleがIntelを採用

どうやらサンフランシスコで行われているWWDC2005で、AppleはMacintoshで採用されているCPUをIBM製のPowerPCから、Windowsマシンに使われている「インテルはいってる」でおなじみのIntel製のCPUに乗り換えることが正式に発表されたようですね。個人的には、先進的で扱いやすいMacOS Xが安価に提供されていくなら良いんじゃないと思っています。

Mac miniでも、PowerBookでもPowerPC G4の発熱とそれを冷やすための冷却ファンの騒音ときたら、たまったものじゃないですから。Intelならば安価なCeleronという選択肢も、発熱量を抑えながらも高い処理能力を求めるならばPentium Mという選択肢もありますから。IBMも電気大食らいなPowerPC G5の先行きに頭抱えちゃっていたんじゃないかなと思いますから。

これで同じくらい値段のハードウェアで、Windowsか、Macかを選択できるようになったわけですね。IBMもThinkPadを切り離しちゃったんだから、こういうような転換があっても何もおかしくはないです。Macの熱烈なファンは、さぞかし落胆しているでしょうが。

2005年6月 6日 (月)

地域研究VIII

来週6月13日の6月6日の講義ファイルをアップします。来週の授業は、自然環境が一国の在り方にどのように作用したのかを、ノルウェーを具体例に考えたいと思います。よろしくお願いします。

第8回 ノルウェーと海 をダウンロード

2005年6月 5日 (日)

飛行場での過ごし方

東京出張から帰ってきました。今回もいろいろと勉強させていただきましたし、院生のみなさんをはじめみなさんと楽しい時間を過ごせました。

(近世ヨーロッパ世界における戦争経営をめぐるあり方は、例えば「軍事革命」論のように戦争と国家をめぐる関係において普遍的な側面を強調して解釈される傾向にありますが、例えば戦争経営の基盤となっている資金や物資調達の仕組みを考えてみただけでも、当該国家が関係している戦場と戦争の性格によって違いがあるのであり、「軍事革命」のあり方もそうした地域的特性に着目すればいくつかの類型化が可能なのではないかと閃きをえました…詳細は近いうちに活字化していきたいと考えています。)

さて今日は予約していた便よりもひとつはやい便で帰ろうと目論見、だいぶはやめに羽田空港に行きました。しかし今回の予約に適応されていた割引運賃の規定では、予約便変更はできないと言われ、仕方なく羽田空港を彷徨うことになりました。(最近は様々な割引運賃の設定がありますから注意が必要ですね。)

もう何度も使っている空港ですから、レストランや売店などはほとんど行き尽くしていましたし、ラウンジにこもってパソコンを広げるにも体力に仕事をするだけの余裕は残っていません。そこで出発までどう時間を過ごそうかと考えた挙げ句、床屋さんに行ってみることにしました。

最近はいろいろと仕事が忙しくそれにかまけて床屋にも行っていなかったものですから髪の毛が伸び放題になっていましたので、空いた時間を有効に使えれば良いな程度にしか思っていなかったのですが、想像以上によかったです。ちょっとばかり待ちはしたものの(…つまり僕と同じような境遇で同じように考えている男性が多いということなのでしょうか…)、丁寧な仕事ぶりですっかりこちらもリラックスでき、普段の床屋さんよりは高めの値段設定でしたが十分に満足のいく時間を過ごせました。様々な人が往来する空港という場所柄を考えれば、無駄なくテキパキとしていながらも丁寧な仕事をしなければ成功できないでしょう。ですから、そうしたことを考えてみれば、空港の床屋さんというのは良い選択だったのかも知れません。

そもそも最近の空港には「アミューズメントパーク」のように様々な嗜好をこらしたレストランや売店も多いですが、郵便局や銀行、理髪店、シャワーのような日常生活のすべての局面に対応できるような施設もそろっています。空港はあたかも「都市機能」を一カ所に凝縮した感をえるほどです。レストランや売店でショッピングを楽しみ、ワクワク感を得るのも良いし、仕事に忙しい人はこの場所で銀行も郵便局も立ち寄れて、普段できない用事を集中してこなすこともできる。もちろん何もせずにコーヒーでも飲みながら往来する飛行機を眺めてボーっとすることもできます。その日の気分に応じて多様な姿を垣間見せる施設です。この場所の過ごし方については工夫ひとつでその日の充実感も変わってきます。

Mac miniにTigerをインストールして直面した問題

Mac miniの復旧作業はおおよそ終わりました。ハードディスクを初期化してTigerを一から入れたのですが、問題点二つに気がつきましたので、メモしておきます。

1 MacOS X Panther上にもともとプリインストールされていたiPhotoなどのソフトは、ハードディスクを初期化してTigerを新規インストールする場合にはあらためてインストールされないようです。

(これは残念。AppleもiLifeは有料化したほうが儲かると考えたのでしょう…。)

と思って冷静に考えてみたら、Mac miniのリカバリDVDにiLifeなどバンドルソフトが入っていたことを思い出しました…。それを後からインストールすれば良いということですね。

2 特殊な問題ですが、5.4GBあるVirtualPC用のWindowsMeファイルをPowerBookからMac miniへ転送することができません。一昨日晩の時点では、余裕のたっぷりある外付けHDDにFireWire経由でいくらコピーしようとしても失敗してしましました。どうしたことでしょう…。

2005年6月 4日 (土)

研究会の作法

今日は東京で某所で開かれる研究会出席のために、今伊丹空港にいます。飛行機の運賃が安くなり、羽田空港が品川につながったことで、東京が「近く」なったように感じています。

某所で東京大学の近藤和彦教授が、「いかに「同志」と(限られた時間を)共有できるかが人の生き方を決定する」と発言されていますが、研究会は多忙を極める昨今の教員生活のなかで、まさに「同志」と時間を共有し、切磋琢磨し、知的刺激を得られる貴重な機会です。(もちろん同志は職場にも、研究会や学会以外の場にもあるわけですが。)今回の研究会もそうした場の一つであり、僕にとってはとても大切な勉強の場ですし、参加させてもらう度にありがたく思います。こうした場で勉強したことがまたいずれ学生のみなさんに還元できればと思います。ちなみに今日は半日かけて「軍隊」を考えます。(決して怖い人たちの会合ではありません。昔からお互いの気心を知った「同志」による会合です。)

こうした会合に出席するとき個人的に決めているルールが一つだけあります。必ず発言することです。このルールは尊敬するスウェーデン史研究の先輩から教えて頂いた作法です。こうした場で学生のみなさんは、「自分は門外漢だから…」といって、何かとんでもない間違いでも犯したらどうしようと慎重になってしまう人もいるでしょう。不安になる気持ちももちろん僕はわかります。かつては僕もそうでした。さすがに場をわきまえない発言はまずいですが、「失敗」にもあとに生きてくる良い失敗というものがあるわけで、その場の「文脈」に応じた自らの思い、疑問、感想を思い切って発言してみれば、「同じ志」をもった者同士、そうした質問は歓迎される筈だと僕は思います。

まぁ、大阪から上京する僕とすれば、そうでもしないといくら安くなったとはいえ飛行機代がもったいないし、声をかけて頂いているみなさんに申し訳がない。あくまでも個人的な意見ですが、その場で勉強させてもらった恩はその場で発言という形かえすことが研究会での礼儀であると僕は感じています。

伊丹空港は実に居心地が良く名残惜しいのですが、いってまいります。

2005年6月 3日 (金)

いいぞ、生協!

先の発言であげた大手企業と比べると、小回りが効いて満足のいく顧客サービスに努めている事業者もあります。

昨晩来、調子の悪いMacMini用に僕はMacOS X Tigerを必要としていました。北摂に住んでいるとMacOS Xなんて「洒落た」ソフトを売っている店が少なく、梅田にでるか、はたまた東京で買うか、それともネットで買うか、という選択に迫られたわけです。が、ここで、学生向けの品揃えが豊富とは言えないが、基礎はしっかりとしている大阪外大生協に問い合わせてみたら、それが破格の値段で売られていて即座に入手することができました。

すばらしいの一言。生協があって良かったと思います。大阪外大の生協は規模は大きくありませんが、例えば食堂なども嗜好をこらした企画が多いですし(…そういえばワールドカップのサッカー予選がありますが、生協食堂は学内のサポーターむけに開放されるのかな…)、一時そのサービスが某大手マスコミで高評価を受けたこともあります。

以前、大阪教育大で教えたときも、そこの生協食堂はなかなかユニークで充実していました。外大も教育大も辺鄙な土地に立っているということもありますが、学生や教員など、顧客のニーズを熟知したサービスのあり方に好感を覚えます。(ときに叱咤したくなる場面にも出くわしますが。)

大阪外大生協ならば、是非そのうち専攻語後援・監修で「世界の食事フェア」みたいな企画を開催してもらいたいですね。しかも、人気投票みたいな企画も加えて、コンペ形式にしたりして。今でも単発的にエスニック料理が出されたりもしていますが、専攻語の客観的な監修を踏まえた「食事」企画は外の人々にも開放すれば、外大の良い宣伝にもなると思っています。ま、その場合、専攻語スウェーデン語としては「リンゴンジャム添えの肉団子」とかがメニューになると思うんですが…学内コンペしたら、人気ないだろうな。

他山の石

昨日の光ファイバー導入に関して、かつて公社だった某大手通信会社のスットコドッコイな対応に怒り心頭です。

今回はこの会社のキャンペーンを利用したのですが、このキャンペーンを利用すれば、プロバイダ側での設定切替申請もこの会社で代行してくれるという話でした。そうしたらこちらの希望とは異なるプロバイダ設定の契約がなされてしまった…こんなことなら自分でもできたんだから、自分でやればよかったです。

応対も人によりバラバラで、事情のよくわかっている人もいれば、そうでない人もいる。この会社に勤めているすべての人に問題があるわけでないことはわかっていますが、電話での応対を聞いていても「この人できないなぁ」って人はすぐわかる…人事ってのは大切ですね、難しいですね。

この会社もそうですが、手紙とか保険とかを扱っている某公社にも僕は運がなくて、あまり良い感じを抱いていません。公益を司っている法人だから、消費者としてはそこにいかなきゃ仕方がないわけですが、だから彼らには信頼を寄せたいわけですが、いまだにときたま「公」ということに胡座をかいている感の対応を受けます…。翻って、こうした批判は常に今自分のある環境にも向けられているのだとも感じています。もちろん企業ではないわけですけど、国立大学も今や「法人」化されましたからいつまでも「公」にふんぞり返っているわけにはいきません。

今回のこと、他山の石とさせて頂きます。

文系学生・教員むけのプレゼン基礎知識(機材編)

昨日“年代物”の宿舎(おおよそ僕と年齢が同じ)にある古谷家にようやく光ファイバーが通りました。もとより大阪各地にある旧「公務員宿舎」というのはNTTの基地局から離れた立地条件の悪いところばかりに建っているということもあるのですが、大学のネットワーク環境に慣れているということもあってあまり劇的に速くなったと感じられないのが「痛い」ところです。それ以上に「痛い」のはMacMiniのMacOS X Pantherの言語環境が不調なことです。さまざまな処理の際に現れるウィンドウ内のコメントやアイコンの名前が文字化けしますし、ATOK 17もインストールしたはずなのに機能しない…。これはこの問題を機に「一気にMacOS X Tigerにまっさらな環境にして移行せよ」ということなのかな…。だとしたら、この週末に東京出張で上京した際、銀座のApple Storeにでも詣でてTigerを買ってこようかしら…。

さて、さる5月31日に北山様からいただいたコメントに応じ、ここでプレゼンテーション機材の情報を整理したいと思います。ここで整理する機材の前提となる環境は、大阪外大や(かつて僕がいた頃の)東大法文1・2号館のように、プロジェクターやパソコンの接続環境が教室内になく(…ましてや無線LANなんて夢のまた夢…)、すべての機材を持ち込まなければプレゼンのできない環境を前提としています。

(1)ノートパソコン。これはなんでも良いです。無線LANやBluetoothが内蔵されているものでしたら、後々ワイヤレスなプレゼン環境を構築することができますが、とりあえずVGAポート(これはアナログでかまわない)とUSBポートのあるものなら何でも良いです。

薄型軽量パソコンの場合、プロジェクタと接続させるVGAケーブルの差し込み口がオプションの場合があるので注意が必要です。たいていのノートパソコンではD subというアナログVGAケーブルの規格ですが、Macの場合はDVI-Dというデジタル接続の規格ですので、プロジェクタとの接続の際にそれぞれが使えるか確認する点がポイントになります。(個人的な経験の範囲ではD subにはほとんど対応しているようです。だからPowerBookユーザだけが気をつければ良いということです。)

(PDAでもできなくはないですが、画面が小さいので使い物になりません。おもちゃです。)

僕はIBMのThinkPad X40を使っています。持ち運びできる重さで丈夫ということもありますが、プレゼン機材としては教室や会場を暗くした際に、手元を照らし出すライトが内蔵されている点、薄型軽量でもVGAポートが確保されている点で選択しています。昨日もと大学のとある会議でプレゼンが行われましたが、会場が暗くなったのでX40のようにライトがビルトインされているものですと、メモをとったり操作したりするうえで大変重宝します。

(2)プロジェクタ。これも何でもよいです。最近は赤外線で遠隔操作できるリモコンのついたプロジェクタもありますが、赤外線は伝達距離が短く、赤外線の指向性もタイトなため遠隔操作には限界があると考えてください。またこうしたリモコンはそのプロジェクタ専用であり、汎用性に欠けるという点もあります。またパソコンとの接続方法が、(1)で記したD subか、DVI-Dかも必ず確認する必要があります。そして、肝心要のパソコンとの接続ケーブルがあるかどうかも確認する必要があります。大型のプロジェクタになれば、デスクトップパソコンのモニターに使われている汎用のVGAケーブルを使うことができますが、可搬性の高い小型プロジェクターになるとプロジェクター側の接続端子が独自の形状をとっているものが多いので、そのプロジェクタ専用のケーブルかどうかを確認する必要があるということです。

(3)リモコン。赤外線接続による遠隔操作は、はっきり言って難儀なものです。個人的にいろいろ赤外線方式のリモコンを試しましたが、駄目とは言いませんが、良くもない。そこでBluetoothという規格で無線接続できるもの、レーザーポインタ機能がついているものということで、Logicool Cordless Presenterをお奨めします。(先日の日本西洋史学会の公開シンポジウムでみなさんが使っていたものです。)Bluetoothという無線接続の規格は非常に広範囲の接続を可能にしていますし、赤外線にみられる光線の指向性という問題もありません。このCordless Presenterはレーザーポインタとしてスライドに指示を与える一方で、本体にある左右ボタンを押すことでスライドの前進・後進も指示でき、作動モードを切り替えるとコードレスマウスとしても使えるという優れもの。パソコンにBluetoothが内蔵されていなくても、Bluetoothの機能を付加するとても小さなUSBモジュールが付属しますので、汎用性は高いと思います。しかしながら問題はMacで使えないことと、その驚異的に高い値段です。

(4)スクリーン。大型の教室ならば教室備え付けのスクリーンで対応できますが、そうした設備のない中小規模の教室には携帯可能なスクリーンを持ち込みます。昨今大変な批判の的になっている我が国の「ゆとり教育」ですが、教育現場の技術的見地からすると、大きな副産物として、「総合学習の時間」でさまざまな形態の授業が模索されたために、それに対応する目的から大変便利な機材が開発・販売されたということがあります。(うがった見方ですが、「ゆとり教育」での試行錯誤がなければプレゼン環境を支える便利な技術の蓄積もなかったかも知れません。なにせ今や小・中学生がインターネットで調べものをし、パワーポイントでプレゼンをする世の中ですから。)

僕はIzumi-Cosmo社のテーブルトップスクリーンを持ち運んで使っています。20人弱程度なら50インチくらいのものでもいけます。このIzumi-Cosmo社のマグネットスクリーンなどは学校の既存の黒板をいかにして子供たちのプレゼンテーション用に再活用できるかという観点からよく練り込まれて作られており、大変感心します。なにせスクリーンに書き込みまでできますからね…Izumi-Cosmo社、良い仕事をしています。

最低限必要な機材は以上の4点になるかと思います。これらがあれば、従来よく目にする「静的」プレゼンテーションを行うことができます。実際の接続の際には、Windowsならば画面を右クリックして出てくるメニューから「画面のプロパティ」を表示させ、右端のタグ「設定」下の詳細設定において画像出力をプロジェクタへもっていきます。この際、パソコンのモニタとプロジェクタを同時に出力させないと、パソコンの画面に何も表示されなくなります。

パソコンとプロジェクタの両方に同じ画面を表示させることをクローンモード、また(一部のノートパソコンなら可能なのですが)パソコンとプロジェクタの画面を別々に表示させることをデュアルディスプレイモードと一般的には呼びます。後者を選択すると、例えばプロジェクタ側にスライドショーを出力しておき、パソコン側にパワーポイントの「発表者ツール」やエディタなど…いわゆる発表者が読み書きする“講義ノート(…ときにはカンニングペーパーにもなる)”を表示させることができます。先にコメントを頂いた北山様はこのモードを使って、授業中に適宜必要な情報を記入するということです。

それからWindowsには大きな欠点があって、WindowsMediaPlayerなどを使って動画を、見せたい場合、パソコン側のモニタ出力を切って、プロジェクタ側だけに動画出力しないと表示されません。つまり動画を扱うときには、パソコンの画面上から操作ができないという…なんともスットコドッコイな仕様です。動画を使ったプレゼンをする際には、ご注意ください。

プレゼンテーションの機材について基本的な情報はこれくらいかと思います。僕はもっと授業中に教室中を動き回りたくて、完全ワイヤレスなプレゼンテーション環境を模索していますが、これはすべての人がそうあるべきとは思いませんし、みなさんの好みもあるでしょうから、そのノウハウをここで詳細に示すことは控えます。簡潔に示すならば、完全ワイヤレスなプレゼン環境に必要な機材は、(1)無線LANとBluetoothが内蔵されたタブレットPC、(2)無線LANプロジェクタ・アダプタ、(3)プロジェクタ、(4)スクリーンとなります。この場合には、直接タブレットからペン操作ができますので、レーザーポインタやリモコンは必要ありません。小脇にタブレットPCを抱えながらのプレゼンになります。

2005年6月 2日 (木)

スウェーデン人の死生観

ブログの影響力は相当なもので、ここでの情報を契機に昨日ある仕事の依頼を受け、ちょっと調べ物をしていました。先方との関係もあるので詳細を語ることは慎みますが、その一端でとても興味深いことがわかったのでここにその一部をご紹介しましょう。それはスウェーデン人の死生観についてです。

スウェーデンにはいくつかの世界遺産がありますが、そのひとつストックホルムにあるSkogkyrkogården(森の墓地)は、現代スウェーデンの死生観を考えるに最適な場所です。この墓地は、現代スウェーデンを代表する建築家E.G.アスプルンドのイニシアチブで1919~40年にかけて造成された墓地です。ここをはじめて訪れた人は木々に囲まれた爽快な環境に「ここは本当に墓地なのか」と思わず感嘆の声をあげることでしょう。よくスウェーデン人たちが散策する光景を目にする場所でもあります。その一方で現代スウェーデンの都市計画(あるいは建築)が自然との共存のうえに成立していったことを認識できる場所でもあります。中京大学の大岡頼光先生が、現代スウェーデンにおける福祉国家の成立根拠をスウェーデンに独特な「家」意識と人格崇拝のあり方に求めた『なぜ老人を介護するのか』(勁草書房)(個人的にこれは近年の我が国における現代スウェーデン研究のなかで出色の論考だと思います…現代スウェーデン社会を勉強したい学生のみなさんは必読です…)において、現代スウェーデンの死への考え方の特徴は「死者は追憶のなかに生きる」という点であることを論じられていますが、まさにアスプルンドの「森の墓地」(ならびに「森の火葬場」)はこうした「死の追憶」という死生観を反映させた場です。

一般的にキリスト教信仰が広まったヨーロッパ世界では、死者を土葬して「肉体」を保持し、「死者の復活」を祈念する死への考え方があったと言われています。これに対して現代のスウェーデンでは「死者の追憶」という考え方を背景として火葬されることが一般的であり、しかもその遺骨は匿名墓地(Minneslundといいます)に葬られるケースが多く知られています。スウェーデンでは1889年に火葬が容認され、1957年に埋葬法改定により匿名共同墓地ができ、1963年には散灰も認められており、国民の7割以上はそうした匿名墓地を支持していると言います。先の大岡先生も指摘されていることですが、もちろんひろくヨーロッパ世界を考えた場合でも、19世紀以降、社会衛生上の観点、ならびに都市拡張に伴う墓地不足の理由から火葬が必要とされ、伝統的なキリスト教信仰における死者崇敬が薄れる傾向にありました。ですからスウェーデンでもまさにこうした社会の近代化あるいは福祉国家建設の計画のなかで、Skogkyrkogårdenに代表されるような都市部の集合墓地が企画・建設されていったことは想像がつきます。

しかし僕が専門とする歴史学の知見からして、スウェーデンの場合にはこうした福祉国家建設の前よりも、こうした火葬形態をとることで「追憶」のなかに「死者」を弔う傾向が歴史的に継続していたと思います。例えば、キリスト教が普及する前のスウェーデンで信仰されていた北欧神話のなかには、「バルドルの船葬」に代表されるような火葬の情景がよく登場します。その一方で土葬の情景もでてくるので、スウェーデンには複数の死生観が存在していたと考えた方がより正確かもしれません。つまりスウェーデンでは古来「追憶」の観念に裏付けられた火葬形態と死者の復活を祈るような土葬形態が併存していたということです。後者の死生観は、スウェーデンがキリスト教化した12世紀以降外来のキリスト教信仰と合致して普及しましたが、その一方で前者の死生観もスウェーデン社会には「執拗低音」のように深く維持され、それが19世紀以降社会の近代化の要請に伴って噴出したと僕は考えています。

スウェーデンには、Allemänsrätten(「万人の権利」が直訳ですが実態を反映した訳語なら「自然享受権」)という権利があって、私有地であっても所有者のプライバシーや財を犯さない限り散策することが認められていることが知られています。こうした権利が成り立つのも「自然を享受する権利は皆にある」、あるいは翻って「人はみな自然に属する」という伝統的なスウェーデンの自然観があるからこそと言えます。スウェーデンではそうした自然観があればこそ、「死者の肉体」に固執せず、「死者は追憶に生きる」として共同墓地を支持する考えも成立しうるのでしょう。

ストックホルムの「森の墓地」を訪れてみれば、死して灰となった人が遍く自然へ回帰する「場」を目の当たりできます。しかし僕は短絡的にそうした自然とスウェーデン人との共存関係の事実を手放しで礼賛するわけではありません。あくまでもスウェーデン福祉国家の存立基盤を考える際には、そうしたスウェーデン独特な伝統的観念との関連において考察を進めるべきだろうということを言いたいのです。この点では先の大岡先生の主張される点を支持します。その一方では、ここで長々と自然と共存する「死者への追憶」が伝統的なスウェーデン人の死生観だと言っておきながらも、「それって本当なの?」という疑問が心の片隅に残っていることも事実です。(誰か批判してください。)僕の研究は近世スウェーデン国家が対象ですから、具体的検証の術と時間がないので仕方がないのですが、例えばこの「森の墓地」については以下のような考えももっています。

つまりこの「森の墓地」は、福祉国家建設の初期的段階で計画されていったことから、ひょっとすると「国民の家」という家父長制的な構想のもとで立案されていったスウェーデン福祉国家の運営上、理想的とされた「死生観」をスウェーデン国民に広めるために有効に作用した施設だったのではないかという考えです。そもそもスウェーデン社会民主党が掲げた「国民の家」という発想自体、家父長的な権威と家構造が一般的だった(とされる)福音主義ールター派の精神性を背景として考えない限り理解できませんし、そうした伝統的なスウェーデン人の精神構造を援用してこそ、はじめて「家」というイメージのもとに福祉国家を建設できたのかもしれません。

今でこそ「死者への追憶」という死生観やそれに基づく火葬はスウェーデンで一般的となっていますが、ひょっとするとこれは福祉国家体制が、スウェーデン人が長年慣れ親しんできた伝統的な自然や死への観念を援用しながら、それを再構成して新たに作り出した言説なのかもしれません。他にも福祉国家が理想としたライフスタイルが新たに構想されスウェーデンの人々を支配した事例は、都市計画との関連で言えばストックホルム郊外のモデル住宅区として建設されたHammarbyの事例がよい検討対象になるかも知れません。20世紀の前半から半ばにかけてスウェーデンは辺境の極貧国から福祉国家へと劇的な転換を遂げましたが、その転換の謎を解明したいならば、一方では新たな体制作りのための「素材」として利用されていった伝統的な観念や慣習を考え、他方でそれがどのような理念と過程のもとで再構成されていったのかを共に論じる必要があるのではないでしょうか?

誰か研究してみてください。

2005年6月 1日 (水)

急告 スウェーデン歴史ゼミの参加者のみなさんへ!

大分以前に発言しましたが、来週6月8日のゼミは図書館ガイダンスを行いますので、16時30分に附属図書館の玄関前に集合してください。よろしくお願いします。

自由への翼

昨日はBizTabletの失敗談を発言しましたが、今日は有効な「新兵器」をご紹介できます。以前発注していたTriLink社のAirProjector KJ-200がようやく届きました。これは既存のプロジェクタにVGAケーブルで接続させる小型の無線LANアダプタです。詳細は上記のリンクをたどって商品紹介のページをご覧いただきたいと思います。要は、このアダプタを介し画像情報を無線伝達することで、プレゼンター側で用いるノートパソコンをワイヤレスで使うことができるという代物です。これがバッテリー駆動可能なタブレットPCならば、すべてのケーブルを廃してただタブレットを抱えながら行動範囲を限定されることなくプレゼンテーションができるわけです。

昨日このアダプタを入手後、速やかに手持ちのプロジェクタに接続させましたが、何の設定もいらずあっけなくプロジェクタ側で認識。ノートパソコン側からはWindowsXP SP2の場合、Windowsデフォルトのネットワーク接続の項目で自動認識されているアダプタからの無線を指定して手動接続した後、アダプタに付属する接続ユーティリティを起動すると、プロジェクタから画像出力が問題なく出力されました。初接続させ画像表示させるまでの時間、約3分程度。あまりにあっけなくワイヤレスなプレゼンテーション環境が実現してしまったので、感動を通り越して気が抜けてしまいました。

さて無線LANによるワイヤレスなプレゼンテーション環境ですが、実にすばらしいと思います。画像の伝達速度に若干のタイムラグがありますが(とはいえそのラグは1秒ありません…きもちほんの少しだけ遅れるという感じです)、操作感は有線でプロジェクタと接続させていたときと何もかわりません。昨日は、このアダプタ入手の約1時間後には実際に授業で使ってみました。何ら操作感に違いはないのですから、さしたる問題もなく「外見上」は今まで通りプレゼンテーションができました。

(…大阪外大の学生のみなさん、僕が多少興奮していた様子で申し訳ありませんでした。でもあの場で言ったように、確かに画像を表示させるだけことなのですが、それを「何気なく」感じさせる技術はすごいことなのです…)

これはすごい!あたかも僕の講義は自由への翼を得た…といった感じです。ケーブルのとりまわしに煩わされることなく、タブレットPCを小脇にかかえてPowerPointを遠隔操作し、適宜必要な事項についてはタブレット上からダイレクトにスライドへ記入できる…これをもって僕が講義で目指したい「動的」なプレゼンテーション・スタイルの技術的環境が整ったわけです。

(ただしプレゼンテーション・スタイルは時と場合に応じて最適なものを選択する必要があると思っています。講義や講演では身振り手振りといった「身体」演出も含めた「動 的」プレゼンテーションが有効ですが、学会や研究会での発表では落ち着いた「静的」プレゼンテーションが望ましいと思います。)

しかしながら新たな問題点も浮かび上げってきました。昨日の講義で反省したことは、「外見上」技術的問題は解決されたとしても、その講義を支えるノートやファイルが従来のプレゼン・スタイルに基づいて立案されたものでは、このワイヤレスなプレゼン環境ももどかしいものになってしまうということです。つまり講義形式を完全にタブレットPCによるものに変えた場合、タブレット側で文字を入力したいときなど、文字入力の設定や文字色・ペンの太さの設定を切り替えたりする時間が必要となり、その時間が講義の「流れ」を中断させてしまうことがあります。

僕の講義の場合、「紙のノート」→「ノートパソコンによるデジタル紙芝居」と発展させてきた講義内容は、一気呵成によどみなく話すことによって一時間、一時間が構成されるものでした。つまり、こうした構成の講義内容のままでタブレットPCを用いていくと、文字入力の一時的中断の際、奇妙な「間」が生まれることになり、本来一気呵成の「流れ」のもとに組み立てられている講義内容が(死には至らないが)傷物になってしまうのです。となるとこうしたタブレットによる一時的な「間」を逆に有効に使えるように講義内容を再構築する必要があるということです。もちろん早急に「外科的処置」を講義内容に加えることは困難ですから、プレゼンにおける僕自身の「話し方」の演出に工夫を加えることが、今のところ一番手っ取り早い解決方法だと考えています。(たとえば、「間」を「間」と感じさせないような、落ち着いた「話し方」にするとかいった感じです。このあたりのことは自分をいかに「演出」するかという問題になり、技術的な話題からは逸れます。)

自由を得た後は、それを有効に活用するための試行錯誤を重ねなけらば、それを無駄にしてしまうことは、数多くの歴史が物語ってきたことです。僕は今自由への翼を得ましたが、それを生かすも死なすも、講義・研究内容の不断の革新を含めた今後の僕自身の試行錯誤次第ということです。これが学生のみなさんに対する僕なりの仁義のきり方でもあります。

AirProjector KJ-200は使用者の工夫次第で大きな可能性を秘めた道具です。

« 2005年5月 | トップページ | 2005年7月 »