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2005年5月17日 (火)

西洋史学会で感じたこと(1)

いつの頃からか西洋史学会に参加するときにいつも感じていた緊張感はなくなり、毎年楽な気分でその場に居合わせるようになりました。さすがに今年は裏方の仕事を依頼されていましたので失礼がないようにと…その点では緊張感を維持しましたが、その一方で学会会場の各所での会合・邂逅・懇親会などなどではリラックスした気分で「場」を観察しています。(今回の個人的サプライズは、懇親会の後の二次会の席で気が付いてみたら僕はなぜか西川正雄先生の隣に座ってお話させて頂いたことだけです。なぜ僕がドイツ史研究者たちの宴席に紛れ込んでいたのか、それだけが分かりません。)

そもそもこの学会は一年に一度の西洋史学研究者のための「祭典」であり、普段は日本中・世界中に散らばっている人がこの日ばかりは学会会場に集まってくるのですから、ある意味「同窓会」のような雰囲気が溢れています。久方ぶりの先生、先輩、後輩との出会いと近況を知ることは大切な学会の機能です。オフィシャルなことからプライベートなことまで、いろいろな話があって貴重な情報交換の場としても機能します。また普段論文や本のうえの研究でしか知り合えない方々に実際にお会いできる楽しみもあります。その場で意気投合すれば新たな共同研究への踏み台として学会は機能しますし、出版社の方々も来ていますからそのまま仕事という流れもありえます。いずれにせよ、みな同じ歴史学徒であることにかわりはなく、前提として共通の学問的・知的土台に立っている人たちの集団ですから話がはやくすすむので、そうした意味では居心地の良い「場」です。

学生の立場からすれば、学会のそうした「雰囲気」を楽しんで「機能」を活用できるような余裕がなく、緊張するのもわからないではありません。僕もかつてはそうでしたから。とはいえ…それにしても今回の学会(とりわけ個別報告)に参加して思ったことは、院生の報告者たちが「行儀が良すぎる」というか、「打たれ弱い」というか…なんていうのか、もちろんみな地道な史料調査を重ねてまじめに勉強を積み重ねてきた結果を披瀝しているということはよく理解できるのですが、報告というのは質疑応答という「他者」とのコミュニケーション作業を加えての「報告」ですから、報告文を読み終えてそれで終わりなのではなく、やはり質疑応答も乗り切ってこそ自分の研究の真価が問われるというものです。僕などは質疑応答でのアドリブな受け答えの様子を見て、その人を判断する材料の一つにしますが、もう少し学外の研究会などに積極的に参加して、普段から学外の研究者と交流してディベートを積み重ねて、学会の「雰囲気」を楽しめるような余裕をもちあわせるべきと思います。本来、学会はそうしたコミュニケーションの応酬の「場」として楽しい場所なはずです。

そして、おそらく院生のこの話と通底する問題なのだろうと思うのですが、僕が感じたもう一つの問題は西洋史研究者のプレゼンテーション能力の低さです。もちろんこれは技術的な問題ということではありません。無理にパワーポイントなどを使う必要はなく、アナログな手法でもまったくそれは構わないわけです。パワーポイントはあくまでも歴史の「語り」の作法を補助する手段に過ぎず、例えそれを用いたとしても語り手の一方的な自己満足に終わってしまえば、パワーポイントは無駄に終わります。つまり「語る」際の議論の整理の仕方と話し方と会場の雰囲気のつかみ方次第で、パワーポイントなど用いなくても効果的にプレゼンテーションができている研究者を見かけた場合、それは「語り手」と「聞き手」の双方向なコミュニケーションが成立していることが成功の要因なのだと感じとることができるでしょう。

しかし多くの報告者は聞いていて「つまらない」。いや正確に言うならば、もちろん情報のインプットの段階、つまり史料調査と分析の段階はとてもしっかりとこなされているんだろうなと思うものがほとんどなのです。しかし肝心の報告技術が「ただ紙切れを読むだけ」のものだと、せっかくの斬新な議論も何がポイントなのかが、30分なら30分の報告時間のなかで明示されず埋もれてしまい、聞いている側としてはそれが伝わってこないから「つまらない」となるわけです。

西洋史研究者に見られるプレゼン技術の低さという問題は、日本における西洋史学界という大局的な見地からすればかなり深刻な問題だと僕は思っています。戦後日本社会のように学界外にあって知的関心を有する人たちのほうから西洋史学に接してきた時代とは異なり、学界外の人たちがほとんど西洋史学に関心を寄せることのない今の日本にあっては、そもそも西洋史学の存在意義はどういったところにあるのかが根本問題なわけです。そうした問題に関して西洋史研究者自身が日本社会に対して意見を発信していかねば死滅してしまいかねないのにそれを有効にできないでいる一つの要因は、西洋史研究者側にある意見の表明方法としてのプレゼン能力の低さにもあるのではないでしょうか?もちろん一人一人の研究者が真摯に史料を向き合うことが西洋史学の根本に据えられるべきですが、そうした作業を踏まえて得られた知見もうまく外部へ発信されねば、単なる自己満足として終わるのであって、残念ながらそこに「意義」は見出されません。自分の研究の「意義」は自分が評定するのではなく、他者(ないしは社会)が評定するものだからです。西洋史研究をめぐる今後の状況は、例えば資金などの面においてますます厳しさを増す一方と思いますが、他者に対して有効に意見表明できる術を身につけなければ外部資金も獲得できず、すなわち資金のない研究には引導が渡されるまでです。研究の分析視角や対象はおもしろくても、プレゼン能力の乏しい「つまらない」報告がいまだに多いということは、こうした日本の西洋史学界をめぐる危機感が低いということの証左ではないでしょうか?

長いので続きは別の発言とします。

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コメント

 プリゼン下手で済みません。でも、下手なのはぼくだけじゃない、西洋史だけじゃない、と言いたい。別の機会に聴いていますが、日本史や、また文学や哲学の人でも下手なのはごまんといる‥‥
 下手な教師として言わせてもらえば:問題は、第1に、研究報告してる人じしんがご自分の研究をおもしろい、意義ありと思い、エキサイトしてるかどうか。第2に、なぜこれがおもしろく意義あるのかを考え、人に分かるように表現しようとしているかどうか、でしょう。
 要するにオタクのまま、お嬢さんのまま、では通用しない。「お勉強」を離れてご自分の生涯のことを考えましょう、ちょっと「ひとの眼」で見なおしてみましょうってことでしょうか。
 古谷先生の言葉では「危機感が低いということの証左」ですが、これは「日本の西洋史学界」だけの問題ではないような気がします。

昨日までの学会・研究会と興味深いお話や基調なご指導を頂きありがとうございました。「プレゼン下手」とおっしゃられますが、僕は決して技術的な問題としてそれを批判するのではなく、もちろん学問に対するパッションを語り手と聞き手が共有できたプレゼンは成功だと思っています。僕は西窓妄人様の一昨日のご報告については、西窓妄人様の学者としての生き様と知的興奮の反映された内容を、楽しく共有させて頂きましたし刺激を受けました。そしてそうした刺激を与えてくれる「先生」はいつまでも僕にとっての「先生」です。

(まだ時間はそれほどたっていませんが、ごそごそと書棚を散らかし、一昨日の報告で受けた刺激を忘れないうちに自分の研究でもなにかできないかと考えています。)

このブログでは、非公開のセッションでの話は公開しない原則でおりますが、例えば例の研究会でもたれたご報告や合評会での議論は、おなじ学問的関心を真摯に共有する者同士が語り合う場としてすばらしいものだと感じております。プレゼン技術にはしり自己満足に陥ることは僕も多々あることであり「聞き手」の存在を忘れたそうした失敗の数々から言えば、僕も「下手」なプレゼンターです。しかし高度なプレゼン技術を用いることなくとも、西窓妄人様がおっしゃられるように、「なぜ研究がおもしろく意義あるものか」を伝えることができた場合、成功に至る場合は多いと思います。大学での講義にもなれてきた最近では、肩肘張った(あるいは多少背伸びを強いられる)議論もしますが、自分自身の背丈にあった、そして自分自身が知的に興奮し楽しいと思ったそのままの気持ちを学生に伝える方針で講義に臨んでいます。自分が楽しくなければ、相手も楽しい気分になれないというごくごく当たり前のことに気づいたからです。経験も少なくまだまだ未熟ですが、それでも研究者として歩んできた自分自身を(成功談も失敗談も含めて)投影するということです。

今回の発言には続きがあります。そこには、このコメントで西窓妄人様から頂いたご意見と似たような話がつづられます。そしてやはり西窓妄人様がおっしゃる通りだと僕も思うのは、今回この発言で僕が提示した問題は決して西洋史学界だけのことではないということ。しかしまずはディシプリンを知った自分の専門の場から発言することが仁義かと思い、西洋史学界の今後を憂う学徒として、意を決して発言した次第です。まずは誰かがどこかで発言することから、議論は出発するものと思いますから。

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