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2005年5月18日 (水)

西洋史学会で感じたこと(2)

今回の西洋史学会における公開のセッション(…このブログにおいては公開のセッションに限定して興味深かったことや問題と感じたことを発言しています…)において僕個人が楽しんだ時間のひとつは、公開シンポジウム『ヨーロッパの港町』でした。(技術的なサポートは一部失態をお見せ致しましたが。)東京大学の深沢克己教授による大変明晰な問題提起からこのシンポジウムははじまりましたが、先の僕の発言に関連して言えば、例えば深沢先生のプレゼンはパワーポイントのような小手先の技術など必要とするまでもなく、今回のシンポジウムへ至る問題設定の在り方とそれを論じることの意義を整理されている点に感心します。問題提示をクリアに示すことは報告者の誰もが行う作業ですが、それを論じることの意義が社会的にどのようなところにあるのかを整理することによって、はじめて異分野を研究している人、あるいは西洋史とは全く関係のないところに生きる人に対しても、議論の必要性を理解してもらい、その研究の価値をも認めてもらえるようになります。今回のシンポジウムの場合(どうもネット上ではすでにこのシンポジウムでの個別報告やコメントについていろいろな意見が飛び交っているようですが)、西洋史以外の領域を巻き込んだ点(…ここで注意を促したいのではもはや東洋史や日本史との交流は当たり前で「それを超えた」!というところ…)、単なる研究者ためだけの議論ではない点、例えば行政関係者や「神戸」という港町をめぐる人々との協業関係を戦略的に目論んでいたという点が僕には斬新でした。

日本における西洋史学をはじめとする人文系学問の在り方がもはや純粋に学問的な成果を声高に叫んでいただけでは社会的に顧みられることが少ない危機的な状況にあることは、以前このブログでも述べました。僕は今回のシンポジウムはそうしたことに対応する学問側からの一つの戦略が伏線として示されたのだと理解しました。それぞれの大学における西洋史学あるいは学問全般をめぐる厳しい現状について、昔なじみの勝手知ったる仲同士で愚痴りあいたくなる気持ちはわかりますし、僕もそうした状況を愚痴りたい。でも昔なじみの勝手知ったる仲だからこそ、そろそろ知恵を出し合って西洋史学界をめぐる危機的状況にどのような戦略を立てて乗り切っていくか、真剣に論じあうべきところに来ていると感じた今回の学会でもあります。

ところで『海港と文明』(山川出版社)や今回のシンポジウムに表明された社会=文化史の作業用具としての経済地理学的モデルたる海港という深沢先生の考え方、とりわけ今回のシンポジウムで明確に提示された「界面」としての港湾都市というテーゼは、ここ数年僕が大阪外大で学生諸君とともに取り組んでいる「北欧の地誌」という授業での都市論に共通する分析視角であり、その点でこのシンポジウムが興味深かったということでもあります。僕が大阪外大で教えるようになってからいつも抱えている悩みは、ディシプリンとしては普遍的に「人間」をめぐる問題を対象とした歴史学で訓練を受けた者が、例えば「スウェーデン」や「デンマーク」のように地域文化に深く沈潜してそれらのもつ特殊な個性を掘り出して教えねばならないという点です。「北欧の地誌」という授業は、その担当が任されたときから実験的にいろいろな学問的手法や授業運営の方法に取り組んでみようと思いましたので、毎年一学期の授業では人文地理学の手法にこと寄せながら北欧の「都市」に立脚したグループ学習を、二学期は文化人類学の手法にこと寄せながら広く北欧の「風俗」をめぐるグループ学習を、直接北欧語による情報を活用しながら学生諸君とともに(これは大阪外大の学生でなければできないことです!)取り組んでいます。これらの企ては一般的に現象学の分野で言う「生活世界」の解明に歴史学とは異なる視野から迫ってみたいという僕自身の知的冒険の過程の反映でもあります。大阪外大で教えるようになってからの数年間の僕の歩みは、いわば北欧の「生活世界」へ沈潜する過程だったとも言えるわけです。図らずも今回のシンポジウムで深沢先生から提起された問題は、こうした僕の関心を捉えたもので興味深かった次第です。

個人的な話で言えば、今回の学会ではすでにこのブログをご覧の方が多くいらっしゃいまして、久方ぶりにお会いしてみると挨拶もそこそこに、このブログで発言した内容にいろいろと質問や批判を頂けるという、ある意味「幸せ」な経験を得ました。ブログの影響力を再認識させられたわけですが、とりわけ集中した話は(やはり!)コンピュータ=リテラシに関するお話でした。ここで紹介したPDF ReaderのことやTablet PCのこと、はたまたPDFとパワーポイントを組み合わせた授業運営のことなど、質問は多岐にわたりましたが、そこで実感したことはいずれこうした技法を集中的に蓄積し、さまざまな要望に応じて最適なソリューションを提案するようなデータベース(あるいは組織)が必要かなぁということです。みながみな、こういうことに詳しくなる必要はないのですけど(あるいは高価な道具をもつ必要はないのですけど)、こういった技術の恩恵に浴する機会は平等に開かれているべきだと思っています。例えば自分が研究や教育で「こういうこと」や「ああいうこと」をやってみたいと頭に思い描いているのだけれども「そんなこと」ってできますか…なんて問題が出てきたら、それに対して文系的な言説の枠組みで(つまり難しいコンピュータ用語を使うことなく)技術的なアドヴァイスをするようなところがあって、こうした知識を共有できる道筋が開かれてもいいのかなぁとも思いました。

なんだかんだと発言が多岐にわたりましたが、天気が良かったこともあって昔なじみの先生や先輩方と爽やかに楽しい時間がもて、いろいろと「勉強」させてもらった学会であることに違いはありません。無念だったことは、懇親会で神戸牛を食べ忘れたことです。明石焼なんかにパクついている場合ではなかった…。

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