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2005年5月

2005年5月31日 (火)

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

来週6月7日の講義ファイルをアップします。教科書ですがあと4冊残っています。3,000円という破格の安値で買える機会はほとんどない貴重な本です。購入のほど、よろしくお願いします。

第8回 絶対王政の確立 をダウンロード

がっかりしたこと

というか、フランスのニュースが入ってきたのでとりあえず前言のような長文を書いてしまいましたが、本当は僕は昨日はあらかじめ書きたいことがありました。それは「がっかりした」ことがいくつかあったということです。なにもフランスの住民投票の結果にがっかりさせられたということではありません。

まず、先日もお話したBizTabletにがっかりさせられました。関西外大の学生のみなさんはその現場に居合わせ、「来た、見た、失笑した…」でしたよね。昨日の講義で新兵器として意気揚々と持ち込んだBizTabletでしたが、全然使えません。PowerPointのスライドにアドリブで線を引くくらいなら十分できますが、パソコン本体からケーブルで離れたタブレットを介して、アドリブでコメントを書き込むことに全く向かない。これはどういうことかというと、タブレット上でのペン入力がコンピュータの画面のどのあたりに反映するかわからないので、文字がすっちゃかめっちゃかになっちゃうということです!

4000円弱もこれに自腹を切ったわけですが、それくらいあったらちょっとしたランチが食べられた筈だと思うと、相当に悔しい。

次、一昨日HMVから届いたフルトヴェングラーのいわゆる「バイロイトの第九」のSP復刻版のCDにがっかりさせられました!「豪HMV初期1stフラットプレスの国宝級否、世界遺産級のミント盤」と宣伝されていたから速攻で購入したのだけれども、そんなに音質が良いものとは思えませんでした。フルトヴェングラーの「バイロイトの第九」と言えば、大袈裟に言えばここ百数十年の音楽録音の歴史を振り返ってみて「何か一枚だけレコードを選べ」と言われたら、これを選ぶに値する代物です。この録音を聞く度に、近代ドイツの辿った「特有の道」だとか、「近代における啓蒙の逆説」とか「啓蒙的理性の腐食」とか…いろんな思いがめぐってくるからです。僕は中学生の頃はじめて購入した、いわゆる「足音入り」の「f u r t w ä n g l e r」 ってドデカク書かれたパッケージの2枚組LPレコードにはじまり、EMIが正式にマスターをおこした録音をいくつか所有してきました。で、今回はマニアの方々渾身の復刻版らしいので期待していたのですが…。

「復刻に際しては音質劣化を招くデジタルリマスタリングはなしで、フォノ端子を介してプレーヤーと業務用CDレコーダーを直結しただけのシンプルな構成での可能なかぎりの原音再生を心がけましたので、どうぞ安心してこの世界の至宝をご鑑賞くださいませ」と宣伝文句にあります・・・うーむ、素人の僕にはよくわかりませんが、マスターテープおこしたCDのほうが僕の耳にはずっと安心です。

最後、関西外大からの帰り道、あまりにお腹がすいていたので千里中央の地下街にある「ラーメン名作座」に立ち寄りましたが、そこにがっかりさせられました。ここは最近はやりの「ラーメン店舗コンプレックス」です。鳴り物入りで開店しましたが最近は客数が伸びず、まぁぼくとしてはいついっても空いているからかえって好都合だったのですが、昨日言ってみたらその筋では定番である「山頭火」や「福助」まで閉店していて、あまりにも客がおらず閑散としていて、怖くなって帰ってきてしまいました。お客さんがいないということは、つくりおきが多いということですから、味に新鮮みがなくなる…でもって、まずいという結論に至ることが多い。「ラーメン名作座」はこの悪循環が見られます。新しい店が6月初旬に入いるということですが、そもそも定番の店が撤退していくというのですから、今後どうなるのか、期待はあまり持てません。お願いだから、関係者の方々、がんばってください。北摂の最後の砦だと思っています。

というか、そもそも大阪のラーメン店で心底おいしいと感動した店は、僕の過去5年近くの大阪生活のなかでありません。かつて東京で生活していたころは、一日に三軒くらいのラーメン店のはしごは当たり前だったのですが…よくそのような無謀なデートにつきあってくれた妻には申し訳なく思っています。確かに、東京にはいろいろ嗜好を凝らしたラーメン店が多すぎるのですが、でもその過激な競争の結果おいしい店も多いというわけです。そこで鍛えられた僕のラーメンに対する味覚を、大阪のラーメン店は満足させられないというのでしょうか…そんなたいしたものではないはずですが。ここ大阪も相当な激戦区だと思うのです。きっと感動的な経験のできるラーメン店はあるはず。

良質の居酒屋とラーメン店は僕にとって「がっかりさせられた」ときの癒しの場。ですから…美味しいと思う大阪のラーメン屋さんの情報を心底求めます!

2005年5月30日 (月)

うたっておどろんぱ

僕の尊敬する歴史研究者のブログのアンテナにNHK教育テレビで土曜日の朝9時から放映されている『うたっておどろんぱ』の「ひとみ」こと吉田仁美さんのブログが張られているのを発見…。こ、こ、この衝撃的な事実をどのように解釈すればよいのか…。いえね、ぼくはあの番組、踊りのキレがよくて好きですが…。

(大阪のテレビだと土曜日の朝はこれを見てから『せやねん』へと流れるという「黄金の休日テレビモード」がぼくにはあります…。)

急告 関西外大の学生のみなさんへ! 地域研究VIII第一学期末課題について

先週の授業で予告しました1学期末の課題の件ですが、今日の授業でみなさんと話し合った結果を踏まえて、以下の内容とします。(念のため、もう一度発言します。)

  • 北欧諸国について日本語で書かれた文献を一つ読み、その内容について自分の意見を反映させながらレポートする。
  • このレポートの対象とする文献は、単行本や研究論文として公刊されているものとし、インターネット上で書かれた文章は対象としない。
  • 各自がレポートする文献、ならびにレポート執筆上用いた参考文献の書誌情報を必ず付記する。
  • レポートの分量は図版込みで原稿用紙換算7枚~10枚程度とする。
  • 提出方法は(1)直接手渡し、(2)メールの添付ファイル、(3)郵送に限られる。(1)手渡しの場合は1学期最後の授業である7月11日までにレポートを僕に手渡すこと。(2)、(3)の場合には7月19日を到着締め切り日とし、これを過ぎたものは認めない。(3)の郵送は講義中に示した大阪外大宛に送ること、ただしこの(3)の郵送による提出は郵便事情の遅れなども予想されるのであまり好ましくない。

以上です。

デモクラシーの落とし穴

今日は関西外大に来ておりますが、隣に座っていた音楽学を専門とされている老紳士(…彼、何人なんだろう…?関西外大に来るたびに思うのですが、ここは本当に外国人の方々が多いですね…)とオリヴィエ・メシアン談義に興じていたら、彼の故国フランスからえらいニュースが入ってきました。

昨日フランスでは欧州憲法への是非を問う住民投票が行われたのですが、その結果「反対」が過半数を超えたようです。この欧州憲法をめぐるフランスでのレファレンダム(住民投票)の結果については、今日の関西外大での講義でたまたま1920年の南ユラン(ユトランド)国境問題におけるデンマーク系住民とドイツ系住民との間で実施された住民投票を扱ったところでしたので、個人的にはタイムリーな話題です。

我が国の西洋史研究者の間で影響力をもつ某掲示板で、フランスの問題は「重要政策のイニシアティヴを現代の「普選デモクラシー」という与件のなかでいかに貫くかという問題であり、これは「弁論部」における古典的な論題」と指摘され…なんだかこの問題がかつて大学学部生の頃「弁論部」の末席を穢した僕に振られてしまったように「感じました」。ですから、北欧史研究者の観点から思うところを学生のみなさんにもわかるようなかたちで発言したいと思います。

そもそも近代ヨーロッパ政治史を振り返った際に、レファレンダムという政治手法が「国際」的問題について実行力を伴う解決手法として史上はじめて注目された事例は、上で述べた1920年の南ユラン「国境線」確定の事例でした。当時の国際連盟の管理下で行われた住民投票は、懸案となっていたスレースヴィ(シュレスヴィッヒ)地方を詳細な選挙区に分割したうえで、デンマーク系とドイツ系住民双方の意思を具体的に反映させる工夫がなされ、結果、当該地域住民の利害関係を満足させ、現在に至るデンマーク・ドイツの「国境線」を平和裏に確定できたと評価されています。

これは一見するとレファレンダムという政治手法が、現代ヨーロッパ世界における国際問題の解決手法として有効であるという感想をぼくたちに抱かせますが、しかし話はそれほど単純ではなく、その手法がもつ歴史的な性格を理解する必要があります。例えば、先ほどの南ユランにおけるレファレンダムによって何が決定されたのか。それは近代ヨーロッパという時代の枠組みに限って「普遍」的価値を与えられた近代的「デモクラシー(これを普選デモクラシーと言っても良いでしょう)」の手法を借り、当該地域住民の利害を汲み上げるかたちで、まさに近代的観念においてつくりあげられたデンマーク・ドイツ間の「国民国家」の枠組みを決定したというわけです。

ヨーロッパの歴史を振り返ってみるならば、「デモクラシー」という政治形態は古代・中世・近代とそれぞれの時代・地域概念を背景として多様な姿をとり、変貌を遂げてきた歴史的概念であると言えます。古代にはポリスにおける民主政、中世には都市における自治…といったようにです。僕たちは日常的に現在ある「(普選)デモクラシー」を普遍価値をもった政治手法と考えがちです。しかしそれは17・18世紀以降の政治思想のなかから創造され、近代の市民革命の「実験」を踏まえ、それが結論としてもたらした政治・経済・社会・文化的環境としての「国民国家」という枠組みが前提となって、はじめて有効たりえた手法であることを理解しなければなりません。

近代ヨーロッパ世界は、私的所有を大前提とするがゆえに自由だけれども常に不平等を孕む資本主義経済というより大きな「場」のうえに「国民国家」という枠組みを育んできました。その際にアメリカの社会学者R.ダールの物言いを真似するならば、「成就ではなく、目的として」維持されてきた理念がここでいう近代的「(普選)デモクラシー」だったと言えるでしょう。つまり「国民国家」の枠組みでは、常に資本主義経済の孕む根本的問題が存在するがゆえに、その正統性を維持するためには「国民」とされる当該地域住民の利益を満足させる異議申し立ての手段として「デモクラシー」が必要とされてきたというわけです。

こうした「デモクラシー」は成就される前の未完の状態にあっては、市民革命や政治運動の「目的」として十分に機能したと思えますが、しかしそれが一度達成され成熟してしまうと、今度は自らの首を絞める結果をもたらします。多元性を認めるがゆえに孕む近代的「デモクラシー」の矛盾、あるいは落とし穴ということです。かつてH.ケルゼンというオーストリアの法学者が、デモクラシーが確立された社会にあってはそれを否定するような権威主義的な主張をする勢力もまた認められなければならず、そこにデモクラシーの根本的な矛盾があると指摘していたように記憶しています。今日における近代的「デモクラシー」は(権威主義といったことは抜きに考えるとしても)利害当事者の多元的な政治主張を保証するがゆえの矛盾に直面していると言えます。それが大衆化した場合には、いわゆる衆愚政治の危機といった感も否めません。

現在EUに加盟するヨーロッパ諸国は、公式的政治形態として高度な「デモクラシー」を保証しています。しかしそれは「国民」の包括的な政治参加と異議申し立てを認めるがゆえに落とし穴にはまってしまっています。それは今回のフランスにおけるレファレンダムの結果に明らかです。自分たちの生活圏を保証してきた従来の国家・市場の枠組みに対して、広域的な政治・経済圏が確立されると労働力の自由な移転が起き、自分たちの生活圏が脅かされるという不安が今回のNONをもたらしたのだとは、どこのメディアも分析するところです。しかし近代的「普選デモクラシー」を背景としたレファレンダムという政治形態をとるならば、自ずと利害当事者が自分たちの生活圏の確保を前提として異議申し立て手段として活用するのは、「デモクラシー」の歴史的展開を見ればあまりに明白な結果です。翻って1920年の南ユランの国境問題におけるレファレンダムを見れば、まさにそうした意味で機能する「デモクラシー」だからこそ成功したのだと言えるでしょう。

そもそも今回の欧州憲法の結果については、第二次世界大戦後の北・西ヨーロッパ諸国が模索した社会民主主義(あるいは福祉国家体制)の流れが、1980年代よりいわゆるサッチャリズム的転回を遂げた時点からある程度予想できたものです。例えば、福祉国家体制の典型としてよく言われるスウェーデンでさえ、1990年代の税制改革を通じて所得税を減らすことによって国家による手厚いサーヴィスを切りつめる一方、可処分所得を増加させることによって市場を活性化させ、最低限の社会保障については市場の活性化を見越した法人からの税収に依存して実現する試みが模索されてきました。多かれ少なかれ、こうした福祉国家の転換はどの北・西ヨーロッパ諸国に共通してみられた傾向でしょう。その結果、確かにある程度景気は好調になった地域もあるわけですが、その一方で平等な公的サーヴィスは切りつめられ社会的・経済的格差が広がったのだという「感覚」は蔓延し、その「感覚」から派生した不安はEU統合のような壮大な実験を頓挫させる原動力になりました。

自分の生活している「場」が実際にどのような構図であるのか理解することはなかなか困難なことです。例えば、主立ったヨーロッパの企業はグローバル化の度合いを深め、国際的ネットワークを前提としてはじめて経営が成り立ち、その収入をもってして住民の最低限の社会保障がなされているといったことはなかなか理解しがたい。ふつうは手っ取り早く目の見える自分のところの家計こそが重要ですから。ですが、もはやどこの社会民主主義的体制もそれを背景で支えるグローバル化した市場構造を覆すことは不可能であり、かつてのような「国民国家」的枠組みを前提とした高福祉を快復することなど到底不可能です。今回のような欧州憲法への手厳しい判断は、とりわけ福祉国家体制への「記憶」が根強く残る地域では今後も続くでしょう。その先どうするのかは、これこそまさに利害当事者であるヨーロッパの人たちに聞いてみないとわからないことです。結局は後戻りできないグローバル化の流れを前提に、近代的「デモクラシー」の落とし穴を統制する権能をもった集団指導に行き着くんじゃないかと予想します。そのためにはそうした流れを模索したいひとたちは、近代的「デモクラシー」の手法に親しんでしまった人たちを満足させるようにアジェンダづくりに積極的に参加させていく必要があるでしょう。「テキ屋」じゃないので具体的にその内容を予想することはできませんが、この過程はすなわち近代的な「デモクラシー」概念からの転換と新たな「デモクラシー」概念を図るに等しい作業になることは間違いないと思っています。

MacOS Xへの乗り換えで直面した問題

先週EndNoteも無事入手でき、また日本語入力ソフトATOK17のMacOS X Tiger対応アップデータが配布されたことで、ほぼ僕の自宅でのコンピュータ環境はMacOS Xへの移行を完了しました。全体としてはこれといった問題もなく(メール環境も含めて)順調にWindowsから移行できましたが、この機会に一つだけ、解決に僕自身しばらく時間を要した問題をご紹介します。

それは英語キーボードにおける日本語キーレイアウトの問題です。先般ご紹介のとおり、僕は無駄のないキー配列をもった英語キーボードを個人的に好んで用いています。WindowsをOSとしたパソコンの場合は、英語キーボードにおいて日本語入力環境を切り替える場合、通常は「Alt」と左上列「1」の隣にある「~」を同時入力するのですが、これは面倒ですから、レジストリエディタで古いAXコンピュータのキーレイアウトに書き換えて、スペースキーの右隣にある右「Alt」で切り替えるように設定しています。AXのキーレイアウトはそれ以外は通常の101英語配列と同じ設定ですので、キー上にプリントされた文字・記号と、実際に入力される文字の間に相違は起きません。ですから英語キーボードで日本語環境を扱う際には、AXのキーレイアウトに書き換えるととても便利なのです。

MacOS Xでも十数年来馴染んできたATOKを用いようと思って、Tigerでの不具合を修正したアップデータが公開されたタイミングを見計らい、昨日これを導入しました。「どうせMacだし、何も問題はないだろう…」とたかをくくって臨んだのが大間違い。導入当初より英語キーボードによる日本語環境切替はコントロールキーとスペースキーの組み合わせで問題なくできていたのですが、日本語環境は日本語キーボードのキーレイアウトに支配されていて、英語キーボードのキートップ上の文字と乖離現象が起きてしまいました。ここでふと冷静になった場合、Mac OS XにWindowsで言うところのレジストリエディタのようなものが思い浮かばず、ここでいかにしてキーレイアウトの設定を変更するのかが問題になりました。ネット上にも有効な解決策が具体的に明示されたサイトはなく、「やはりATOKは日本語キーボード上でだけ用いるように設定されているのか」と最初は思いました。

で、Mac OS Xの標準日本語入力環境である「ことえり」を参考にしてみると、「ことえり」はその環境設定でデフォルトのキーレイアウトを「US(つまりここで言う英語キーボードのことですね)」に変更する設定項目がありました。そこでATOKの環境設定をみてみると…ありました!USキーボードを選択する項目が!「環境設定」→「設定項目」→「入力補助」→「特殊」の項目に、「キーボードの種類」を選択するラジオボックスがでてきます。インストール直後は、これが「JP(日本語)」と「US」とを自動選択する項目にチェックが入っているのですが、そのままでは日本語のキーレイアウトによる言語環境の支配が続きます。必ず「US」にチェックを入れるということですね。

そんな感じでこの日本語設定の問題を解決したわけですが、やはり個人的に慣れ親しんだATOKを導入したことで生産性は格段にあがってきました。ちなみに以前ご紹介した角川類語新辞典による連想変換についても、コントロールキー+「A」を同時入力することによってMac OS X Tiger上でも問題なく動作しています。

それからEndNoteなのですが、Ver.8はUnicodeに対応したと謳われていますが、個人的に数日間試用した感覚としては、新規データ入力時の日本語表示に問題がありそうです。日本語が入力されても直後に表示されるのではなく、改行などを踏まえた後に表示されるといった感じです。うーむ、困った、困った。繰り返しますが、このEndNoteはこれがなくても研究はできます。いわゆる「人柱」報告です。

おすすめの接着剤

先日、パソコンの補修について発言しました。塗装が禿げたら、ホルツ社の自動車補修用タッチペイントが便利だと述べました。これを補足する発言として、プラスチック系のパーツが割れたり、ゴム足などゴム部分が取れてしまったりした場合のお奨め接着剤をご紹介します。

(これが文系研究者や学生のためのお役立ち道具といえるかどうか、はなはだ疑問なので、標題は「おすすめ接着剤」としてあります。カテゴリーも「住まい・インテリア」のほうがしっくりきますね。日常生活のあらゆる局面で、これから紹介する接着剤は使えますから。)

接着剤といえば子供の頃から「セメダイン」社が定番ですが、大人になった今ここで紹介するのはスーパーXという接着剤。これはいわゆる瞬間接着剤のようなものではなく、接合させたい部品に塗って、まずは5分程度馴染ませ、それから貼り合わせてまたしばらく待つ…という、昨今のインスタントな文化傾向からまったく相反する(…あるいは一頃流行った「スローフード」的雰囲気に十分合致する…)性格の接着剤です。しかし、とにかくいろいろな素材を接合できますし、なにより仕上がりが頑丈という肝心な接着剤の基本はきちんとおさえられています。多少はみ出た部分も、乾燥後、女性がマニキュアで使う除光液や子供がプラモデル塗装で使ううすめ液などではがすことができます。

セメダイン社は本当に良い「仕事」をしていると思います。このようなものがあるのだから、「ものは大切につかいたい」ものです。

地域研究VIII

次週6月6日の講義ファイルをアップします。6月はノルウェーとフィンランドについて勉強しましょう。よろしくお願いします。

第7回 ノルウェーの基本 をダウンロード

なお今日5月30日の授業では、デンマークに関する質問・意見に関するミニットペーパーを提出してもらいます。よろしくお願いします。

2005年5月29日 (日)

BizTabletの使用感

昨日はとにかく電車好きな息子を連れて、大阪モノレールで万博公園まで、阪急電車で梅田まで、御堂筋線と北大阪急行で千里中央まで、という「黄金のトライアングル」コース(本来ならば、蛍池→梅田→山田が最高なのだけれども)で北大阪を半周しました。万博公園はかなり暑く、せっかく今が満開のばら園でも、この暑さとあっては、ビール片手でも散歩を続けられるといった天気ではない。たまらず国立民族学博物館まで涼みに行きました。(大阪でものめずらしいものをお求めならば、この民族学博物館はおすすめスポットです。このなかにあるレストラン「みんぱく」は、ランチがちょっと高いけれども、なにかしら世界中の珍しい料理を出しています。ちなみに今日はハンガリー料理でした。)

さてその後、公的にはズボンプレッサーを買いに梅田へ移動。ズボンプレッサーは適当に安い東芝のもので済ませてしまいました(…みなさん、知っていました?ズボンプレッサーの価格差は連続稼働できるかどうかで決まってくるんですって。日本製品なら大抵ワンタームが15分で終了しますが、安い品だとこのあとプレッサーが冷めるまで20分ほど待たなければなりません…僕の場合、そんなに連続稼働させる必要があるほどスーツがないので、安いので良かったということです…)が、ここで以前から気になっていたワコム社のBizTabletを思わず衝動買いしてしまいました。

このペンタブレットについては以前発言をしました。本来買うつもりはなかったのですが、ふと次回の関西外大での講義に使ってみようと思い立ったのです。(…正直に話すと先週関西外大の授業にLogicoolのコードレスレーザーポインタ(…これも先の日本西洋史学会の公開シンポジウムで大活躍していました…)を持ち込んでみたら結構うけがよかったので、こりゃ新兵器は縁起が良いと思ったのです…。)実際に売られている価格が4000円に満たなかったということもあります。で、今回のこの道具購入の目的は、以前も書いたように「普段持ち歩いているノートパソコンに携帯型ペンタブレットを接続することでタブレットPCをリプレースできるか」を検証することにありました。

結論からするとビミョーで、「良い」とも、「悪い」とも言えないですね。このペンタブレットの接続は非常に簡単ですし、親切にも携帯用のケースまで付属しています。動作もPowerPoint、OneNote、Acrobat上での手書き入力が全くストレスなく行われますので、これによって実現される操作性はほぼタブレットPCと同じと言えます。これらは確かなこと。(補足します。僕は標準添付されてくるJustWriteというペン入力ソフトをインストールはしていません。ただ単にドライバを入れただけで使える(より正確に言うとドライバはWindows標準のものでO.K.であり、このタブレットの設定ユーティリティが導入されるのですが)ソフトしか使っておりません。このJustWriteが「くせ者」で、PowerPointのスライドショーがこのソフトを経由しなければ使えなくなってしまうらしいので、これのインストールはしません。それでも十分に使えます。)

しかし…何か決定的なことが違う。それはこのペンタブレットがUSBケーブルでノートパソコンにつながっているということです。タブレットPCの最大の利点はパソコンの本体部分がペンタブレットと共通化されることによって確保される機動性にあり、タブレットPCを左手に抱えながら右手でペンを操作して、「動」的なプレゼンを行えます。しかし、このペンタブレットはいくら軽量とはいえノートパソコンからケーブルで繋がっており、机上に設置したノートパソコンから離れられず行動範囲が限定されます。椅子に座りながらの「静」的なプレゼンなら、これも十分な力を発揮できるとは思いますが、講義中教室中を動き回るようなプレゼンにはむきませんね。(もとよりそんなプレゼンをする人は多くないかもしれませんが。)

ペンタブレットを使ったプレゼン(例えばペンを用いてアドリブで文字を書き加えいったり、アンダーラインを書き加えたり…)を現在あるノートパソコンで即座に実現したい人には「良い」選択だと思います。(なおこのタブレットはあくまでもプレゼンテーションに特化させた小型のものですので、これで絵を描くというような用途は期待しないでください。)ただし、タブレットPCのような機動性は確保されないので、僕の当初の目的であった「タブレットPCをリプレースできるか」ということには対応できません。結論、タブレットPCはやはりタブレットPCなのです。

最後に嬉しい誤算として、全くドライバやソフトがなくても、PowerBook G4のMac OS X上でこのBizTabletが見事に動作しています。メーカーの保証対象外の行為ですからリスクが伴いますが、PowerBook G4あるいはiBook G4による外出先でのプレゼンで効果を発揮してくれるものと思います。(Macのこのどうしようもなく「いい加減」なところは好きです。)

僕はといえば、僕の用途には最終的にはワイヤレスなペンタブレットが合っているのかも知れません。とにかく今度の関西外大での講義で使ってみようと思っています。

2005年5月28日 (土)

やはりビールでしょう!

ようやく週末になりましたので(…学会や研究会のある週末を除けば、ぼくは週末は一切仕事をしないのですが…)、大好きなビールの話をします。

僕はビールが大好きです。一年を通じて、その時々のシチュエーションに応じて美味しい飲み物ですが、やはりこれからの暑さいやます季節が一番美味しく感じられるでしょうか。最近は子供が増えた関係ではやく帰宅しなければなりませんが、帰りがけにはいつも立ち飲み屋さんで賞味滞在時間10分で「かけつけ一杯」しています。大阪に来てよかったと思うことの一つは、この「立ち飲み」文化が根付いていることです。いまだに大阪の「炭水化物摂取量過多」の「粉モノ食文化」には同意できませんが、安く早くビールだけにありつける立ち飲み屋は欧米のパブのようで実に居心地がよいです。

僕の飲みのスタイルは大抵ビールだけで、あてを頼んでもそれはさしみこんにゃくやトマトくらいです。はっきり言ってビールだけで良いのです。ビールだけというとなんだか痛風とかになって体に悪そうなイメージがありますが、ビール通で知られるあるお医者様が書かれた記事によると痛風の原因になる高い尿酸値をもたらすプリン体はビール自体よりも、そのつまみのほうがはるかに多いと言います。何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」で飲み過ぎはよくないでしょうが、僕はビールだけで十分です。

ビールと言えば1994年に酒税法が改正された後、我が国では地ビール生産ブームが訪れましたが、最近はその流行も一段落ついたようでブルワリーの淘汰がすすみ、本当に美味しい地ビールを生産できる業者だけが選ばれ、残っています。例えば、同郷の誼みで紹介するならば、茨城の木内酒造がつくる常陸野ビールや、いま住んでいる近所の誼みで紹介するならば、箕面ビールなんてのもある。(つくづくビールづいている人生に運命を感じます。)こうした日本の地ビール業界の動向についてはビール評論の神様であるマイケル・ジャクソンも注目するところらしいです。彼はスウェーデンに来てたときは、スウェーデンのブルワリーの動向が世界で一番興味深いとも言っていました。スウェーデンなのか、日本なのか、どっちなんだ!という突っ込みはなしで、まぁ、世界のビール文化はみな仲良しで…ということで今日の話は日本だけに限定してスウェーデンのことはまた別の機会にします。

こうした我が国での落ち着いたビール愛好の雰囲気はビール文化の着実な浸透と深化をもたらしているといえます。最近はそうしたことを背景として、ビール文化を紹介する良質な雑誌『Beer & Pub』なんていうのも刊行されるようになりました。(大手ビール会社はビールの代替物の開発に躍起になっていますが…発泡酒はビールじゃありませんからね。揶揄しているのではなく、酒税法上本当に違うんです。)

最近同僚のスペイン史の先生と「牡蠣って、美味いよね」と牡蠣談義に花を咲かせていて思い出したのですが、最近は日本でオイスタースタウトさえ飲めるようになりました。牡蠣といえばシャルドネしかも「シャブリので」というのが定番でしょうが、むかーしイングランドで牡蠣の殻を砕いて飲ませるスタウトがあったと噂で聞いたこがありました。で、雑誌『Beer & Pub』の記事によると、牡蠣を食べるときにあうスタウトということで本当にこれをつくっちゃって、今はそれが飲める店があるっていうんですよ…東京の八重洲とか新宿とかで飲めるらしいんですがね。一言、すごい。

『Beer & Pub』発の情報を続けますと、最近は日本でもイギリスのパブなんかで出されているリアルエールも飲める店が増えてもいるらしい。むこうのパブを最初訪れてはじめてビールを飲んだときに「ん?なんで気が抜けてるの?冷えてないの?」って日本人なら多くの人が思うと思うのですが、いえいえ、あれは炭酸ガスを注入する一般のビール製法とはまるで違うわけで、ブルワリーから出荷された樽がパブのなかで保存され、もうすこし発酵(二次)させられてからだされるわけで、それであってこそそのパブごとに独特な味わいと個性をもったエールを楽しめるわけです。高品質な味をどこでも均質に楽しめるビールもその良さがありますが、パブごとに味のことなるリアルエールとなるとこれは「パブ巡礼」という楽しみもできるわけです。

日本でのビール文化のメッカといえば、それは両国にある「麦酒倶楽部POPEYE」だと誰もが認めるところでしょう。今度上京したときに誰かと「巡礼」したい場所です。

大学の財産

感傷的な話で気恥ずかしさもあるのですが、個人的にはとても嬉しいことがあったので発言します。昨日はデンマーク歴史ゼミで学生たちと一緒に図書館へ書庫利用と文献検索のガイダンスに行ったのですが、図書館の職員さんから彼ら・彼女らの丁寧かつ真摯な態度を誉められました。これはとても嬉しいことでした。

僕の本務校である大阪外大は「こうした学生に救われている」のではないかと感じることが多くあります。大阪外大は教室やキャンパスの設備はよくありません。近くに喫茶店やレストランやコンビニもありません。コンパをしたければ、30分以上バスに乗らないと一番近くの繁華街にまで出ることはできません。このように書くと、なんと不便な大学だろうと思う人がいるかもしれません。確かに一般的な生活から言えば便利な大学とは言えないと思いますが、僕はそれをもって悪い大学だとは答えられないと思っています。

設備も悪く、不便な立地条件にある大学が悪くないと思えるのは、先にも挙げたような学生が大きな「財産」としてあるからだと言えます。これは大阪外大の外からはなかなか見えてこない部分ですが、大学の質を判断するうえでとても大切な基準の一つであると思っています。よく経済週刊誌などで見られる大学評価の基準は、財政収支の健全性や教育・研究の実績など、外見的に調査・判断できる側面だけに限られ、その大学で勉学に励んでいる学生の質にまで目が向くことはありません。確かによくマスコミでなされる評価からすると大阪外大は芳しい評価を受けることは少ないのですが、外からなかなか見えてこない「そこで勉学に励んでいる学生の質」は高いものだと思っています。ぼくの授業について言えば、ほとんどの学生は出席をよくしてくれるし、(驚くべきことに!)講義中に雑談や居眠りをする学生もほとんどいません。課題もこちらの期待以上の成果でこなしてくれますことが多く、こちらが勉強させられる機会が多い。

一般的な傾向として大阪外大の学生が他大学の学生と異なる点は、勉学への動機付けを入学後も高く維持し、積極的に勉強を続ける姿勢が比較的長くみられることです。大阪外大には、特殊な言語を短期間で習得せねばならない環境だとか、すぐに個人の名前を特定できるような少人数の学習環境だとかいった特殊な条件があります。もちろん大阪外大のすべての学生が真剣だとは言い切れませんし、他の大学にも真剣な学生がいることを僕は知っています。しかし、ここの学生にみられる向上心は特筆に値するものであって、そうした学生からの突き上げがあればこそ、大阪外大は学生の欲求を満足させられるようなカリキュラムをつくりあげてきたわけです。それゆえに今ある大阪外大の教育(…研究は除く…)環境は「向上心をもった学生」を資本として築き上げられてきたものだと言えるでしょう。最近大阪外大をめぐる将来についていろいろと外野で噂されているようですが、現場の教員は大阪外大の財産とは何かを今一度理解する必要があります。

昨日図書館の方から学生たちが誉められたときに、また「この大学はこの学生たちに救われたな」と思ったわけです。こんな学生たちに次回以降のゼミでどう「恩返し」をすべきか、手ぐすね引いて考えています。とりあえずしっかりと論文を読んでもらうことからはじめましょう(笑)。

2005年5月27日 (金)

急告 デンマーク歴史ゼミに参加しているみなさんへ!

今日は図書館ガイダンスお疲れ様でした。さて来週以降のゼミですが、何人かの人から意見がありましたので、A棟6階の共同研究室で実施したいと思います。教室移動の理由は意見が複数寄せられたということもありますが、僕自身もコンピュータを利用したり、参考文献を紹介したりと、とっさの事態に柔軟にかつ即応できる場所として共同研究室が適当だと判断したためです。スウェーデン歴史ゼミとの合同セッションのときだけ、大部屋へ移動しましょう。それでは、来週以降はA棟6階ということでよろしくお願いします。

新選組!続編!!

シャワーを浴びに行こうと思ったら、個人的には凄いニュースに遭遇。

昨年放映されたNHK大河ドラマ『新選組!』の続編が来年正月放映予定で制作されるようです。まぁ、このドラマは近藤勇の斬首シーンで終わりましたから、その先、少なくとも箱館での盟友土方歳三の死まで見たいという要望が強かったってことでしょうね。僕としてはこのドラマは近藤や土方といった有名人を賛美するような歴史劇としてではなく、気鋭の舞台俳優たちが集団としておもしろおかしく魅せる群像劇として楽しんでいました。それぞれのキャラクターの位置づけが新選組との距離感において多様にかつ独特に描かれていて、昨年は毎週日曜日の夜が楽しみでした。だから、このニュースを聞いて正直嬉しい。記憶のうちで大河ドラマの続編が作られたという先例を知りませんので、これがはじめての事例というならばNHKの久方ぶりの「英断」として認めてあげましょう。

まぁ、結局は昨年来の「海老沢」体制への批判とドタバタ続きで株がグッと下がってしまったNHKは、なりふりかまわず視聴者からのウケが良かったものに、藁をもすがる思いで飛びついたというのが正直なところではないでしょうか。(…僕は海老沢って人と同郷らしいのですが、彼の肝いり(…権力の私的濫用とも言う…)でつくられたらしい水戸を舞台とした飯島直子さん主演のドラマ『ねばる女』(…“水戸”で、“ねばる”で、“納豆”っていう発想がベタすぎるなんて突っ込みはなしよ…そもそも水戸がドラマの舞台になることなんてなかったんだから…)とか見られたので、結構よかったんですけどね…そういえば紅白歌合戦の資金着服したとかで捕まったプロデューサーも茨城出身だったらしい…つまりNHKには“茨城閥”がある…というか「あった」ということですね…)だとしたら是非とも脚本の三谷幸喜氏には、そうしたNHKのお家事情を逆手にとって、これまでにないブッとんだドラマを書き上げてもらいたい。

例えば、幼い子供のいる家族むけに、NHK キッズワールドオールスター出演というのはどうだろうか。のっぽさんへの支持がいまだ圧倒的に高い裏で存在感が薄いまま健気に工作を続けている「つくってワクワク」のワクワクさんになにか武器を「工作」してもらうとか、やたらと甲高い声の「おかあさんといっしょ」のうたのお姉さん(はいだしょうこさん)に一曲景気づけに歌ってもらうとか、「からだであそぼ」から運動神経抜群のケイン・コスギさんを五稜郭で敗退寸前の旧幕軍への助っ人としてかけつけてもらうとか(助っ人という意味では「一畳マン」でもいいな)…次いでなので「にほんごであそぼ」からやたらと古典暗誦に長けた子供たちのオール出演で『平家物語』の冒頭の一節を読んでもらい諸行無常を感じてもらうとか…『義経』とつながるでしょ…もちろんドラマのナレーターは同じく「にほんごであそぼ」から神田山陽師匠に登場願おう。

嬉しい余り、つい悪のりしてしまいました。まじめに期待しています。スタッフのみなさん、がんばってください。

2005年5月26日 (木)

戦い終えて…

今日も大阪は爽やかな初夏の陽気でした。こんな陽気ならビールの話題でもしようかと思ったのですが、今日は午前11時から昼休みもなしで午後6時まで会議、会議、会議…。挙げ句の果てにその会議の宿題を持ち帰り、先ほどようやくそれを終え、まさに「戦いの後」といった感じで疲れ果てているので、ながーくなりそうなビールの話題はまた後で。

こんな激務の間隙を縫って、昨日・今日と待ちに待った品を手にしました。まず前の発言でも書いたThinkPad X40用の英語キーボード。会議書類をMacで書きながらも、待ちきれずに交換してしまいました。いやー、すばらしい…この打鍵感。ほれぼれします。僕は堅く深いキータッチを好むのですが(…だから端から見てると、僕のキー入力はたいそう騒々しく見えるでしょう…)、まさにドンピシャ。いつも英語キーボードに換装してみて思うのですが、日本語キーボードよりも打ち込みが深く感じられます。ただ最近X40のハードディスクの回転停止音が大きくなっている点、気になります。まだ買って一年なのに!

次にEndNote Ver.8のMac版。無事MacOS X Tigerでも動作しました。EndNoteについては文系研究者のためのお役立ちツールで紹介しようかと思ったのですが、万人向けではないのでやめました。(別にこれが無くても研究はできますし。)EndNoteといえば、書誌データベース作成と論文脚注作成支援のソフトウェアとしては大変古い歴史をもったソフトで、かつてはこれがあるからMacintoshを買ったという文系研究者が多かったくらい影響力のあるソフトでした。確かに日本語を必要としない欧米言語でしたらこのソフトの価値は大きいです。これによる書誌データベース作成の基本過程は一件、一件、自分の読んだ本や論文の情報を入力することです。しかし欧米系の大学図書館や研究機関の蔵書検索データベースとEndNoteが連携して瞬時に書誌データベースを作成することもできます。世界的な学術的デジタルデータベース構築のリーディングカンパニーと言えばThomson Galeですが、このEndNoteは数年前からGaleグループのリサーチソフトウェア部門であるThomson ISI Researchが開発販売元になっており、世界中の欧米系言語による研究機関が作成するデータベースとの親和性は大変高いわけです。

さて最新のEndNoteについて特筆すべきは、Mac版も、Windows版も、このVer.8からUnicodeに対応して日本語もようやく…というか「やっと!」扱えるようになったことです。これで文献メモはEndNoteに日本語を用いても書き込めるようになりました。屈折十有余年…僕は待ちました。しかもこのEndNoteの最新版の威力は、自分の作成した書誌データベースから脚注作成を自動化できるなんていう点だけに留まりません。最近はこのソフト自体にネットワークで公開されている世界中の書誌データベースに接続して、そこにキーワードを入力すればそれに該当する文献情報を即座に自分のパソコン内に取り込んでくれる機能が加わりました。この機能は実に「恐ろしい」です。例えばこの機能を使ってしまうと、ほぼ「漏れ」のない当該テーマの文献書誌情報が自動作成されてしまうので、もはや先行業績の「遺漏」など許されなくなります。(ゼミや研究会、学会の前に、報告者の報告テーマに関連した書誌情報なんて、あらかじめこのEndNoteを使って作っておくと…わかりますよね、門外漢であっても書誌情報だけはなぜか報告者より完璧で…という場合もありえます。)

ネットワーク文化の深化とともになんだか凄い方向へ進化を遂げているEndNoteではありますが、Ver.8については機能をいろいろ試してみないと良いとも、悪いとも評価できません。例えば、PDFファイルなどの処理の仕方などです。ローカル上のファイルでも、ネットワーク上のファイルでもEndNoteからリンクを張ることはできるのですが、EndNoteのつくるデータベースにPDFの内容まで含まれてくればもうこのソフトは完璧です。あとは…最大の問題点として、このソフトがとても高価であることが挙げられるでしょう。これもThomson Galeの戦略なのかな。

疲れたので、ビールを飲んで明日の「戦い」に備えることとします。

道具を大切にする

かつてとある番組で、シアトルマリナーズで活躍されているイチロー選手が、野球を上手くなるための極意はなにかと子供たちに問われたときに、「道具を大切にすることだ」と答え、バットやグローブを黙々と丹念に磨きあげる姿を見たことがあります。もとより我が国の精神風土には、例えば身近で多用した「道具」に魂を感じ、それとの別れの機会が訪れたときにはその魂を供養する風習(例えば、筆供養)がありますが、イチロー選手が語っていた「道具を大切にする」ということは、どの世界に生きる人にも通用することと僕は感じています。

例えば、僕が今働いている仕事では、筆記用具と(僕の場合)パソコンは絶対に欠かすことのできない大切な道具です。筆記用具については、学生の頃、万年筆はモンブラン、シャープペンシルはヤードレッドという「定番」に出会ってしまた(…というかより正確には、中学生の頃、モンブランとかパーカーとかいうような筆記具を世の「文化人」と言われる人たちがことさら愛用していることを知って以来、田舎育ちの丸坊主の「少年」はそんな道具を格好良く使える姿に憧れて勉強を続けてきたといったほうが良いかもしれません…)ため、これ以外のものを使うことはもはやありません。職人さんの手によって丹念に作り込まれた「道具」のできと耐久性はすばらしく、すっかり僕の手になじんだいずれの品もすでに15年以上の長きにわたって、僕の良きパートナーであります。

これがパソコンになるとパソコンはそれ自体消耗品としての性格が強く、一般的には筆記具のようにリペアが利かないものですから、寿命は短くなります。ノートパソコンの場合には、3年ももてばそれは大分「長生き」してくれたなといった感じです。しかしながらこれがIBMや東芝のパソコンになりますと、保守部品を一般の消費者も買い求めることができ、「メーカー保証の失効」を恐れず自分の腕の器用さに自信があれば、リペアを積み重ねて長く使い続けることができます。

東芝については正確にはそのことは公表はされていませんが、例えば秋葉原にある東芝製品販売の老舗チチブデンキ(ここは秋葉原の冬の風物詩である「おでん缶」の自動販売機を最初に設置した店としても知られています)のような良心的なお店に行けば購入することができます。IBMについてはパソコンの保守マニュアル(これは本来パソコン技師の方々むけに配布されるべきものなのですが)が公開されており、そのマニュアルに示された部品番号を調べ、部品のひとつひとつを注文することができます。最近、僕のコンピュータ環境の中心がMacに移りつつあることはすでにこの場で何度も発言していますが、Macの場合には世界中にいる熱心なMacユーザーが古いMacでもそれをひとつひとつの部品にばらし、それらの部品がインターネット上で取引されています。そんな環境があればこそ、かつて僕は本務校の研究室にうち捨てられていた古いPowerBook 2400cをひとつひとつの部品を購入して、リペアすることができました。

現在この発言を書いているパソコンは、IBMのノートパソコンThinkPad X40ですが、このパソコンも昨年購入してから、そろそろ一年を迎えようとしています。昨夏はスウェーデンやイングランドに持ち込み、つい先日は日本西洋史学会の公開シンポジウムでも活躍してくれました。(…ちなみに公開シンポジウムの際に、スクリーンに映っていた指は女性ではなく、僕の指でした…ごめんなさい…。)とてもとても頑丈な「道具」で僕の仕事に欠かすことのできないパートナーですが、だからこそ大事に使いたいという気持ちも強いです。最近はPDAを用いる機会が少なくなったので、かわりに何処へ出かけるにもこのThinkPad X40を持ち歩いていています。(…だから最近は「手ぶら通勤」をしなくなりました。あらためて思ったのですが、鞄って便利ですね。本がたくさん入ることにあらためて気づいたので、嬉しくて何冊も鞄に入れて持ち運んでいます…重いのが玉に瑕ですが。)そんな感じですからすでに筐体の塗装ははげ、キーボードもヨレヨレになりつつあります。

筐体の塗装については、自動車のボディ補修用の塗料(とりわけ英ホルツ社のもの)を用いて補修しています。僕は酒好きということもあって、自動車を運転しないどころか免許証さえもっていませんが、この年になってから「オートバックス」なんていう自動車用品のお店へはじめて足を踏み込んだら、自動車のボディーカラーは各社事細かにいろいろと用意されていて驚きました。しかも、ちょっとしたキズ補修用のタッチペンは色乗りもよく、乾燥後は着色の度合いもしっかりしていてパソコンの補修にも使えると思いました。

キーボードについては、もとより日本語キーボードは「無変換」だの「変換」だの無駄なキーが多く嫌いで、英語キーボードを個人的に好んでいますから、この際思い切ってThinkPad X40用の英語キーボードを発注しました。英語キーボードに換装しても何ら問題はありません。キーボードドライバを古いパソコンの規格であるAXコンピュータ用のキーボードドライバにする(…Windowsって古い資産と伝統の積み重ねの上にできあがっているんだと実感します…古い装置のドライバが入っていますからね。)と右Altキーが日本語変換の切替キーになり、ワンタッチでそれができますから、むしろ英語キーボードのほうが便利なくらいです。

今これを書いていてふと思ったのですが、(東芝はまだ良いほうだけど正式には保守情報は公開されていないと考えた場合)最近の日本のパソコン企業っていうのは寿命が来たらリペアを認めず「使い捨て」感覚で「どんどん消費してくれ!」といったふうに、次から次へと製品を出しまくっているような感じがしますね。節操のない企業の典型はSonyでしょうか。(だから業績も悪化しているんじゃないですかね。)それに対して、普通アメリカって国は大量生産・大量消費文化の典型って考えられているんだけど、IBMも、Appleも、日本なんかよりずっと"Do it yourself"の精神でものを大切にする道「も!」開かれているように思いました。

このように「ものを大切に使う」という精神に合致しているから、僕はIBMの製品を愛用してきたという経緯があります。しかし…パソコンのリペアにはそれ相応のリスクが伴います。筐体内部を自分で開けた瞬間から「メーカー保証」は失効し、なにか部品を破損させてしまったら、あとは自力でお金を払って修理しなければなりません。(例えば、上で紹介したキーボード交換も、確かに簡単な部類の作業ではあるのですが、キーボードとマザーボードをつなぐ薄く繊細なフレキケーブルは断線しやすいので、注意が必要です。)ですから、この発言はみなさんに部品交換などをお奨めすることを目的としたのではなく、道具は時代とともにかわっても「それを大切にする」という心はいつも持ち続けたいということを言いたくて、書いてみたものです。

2005年5月24日 (火)

就職するなら…第二章

前と前々の発言でついうっかり『機動戦士ガンダム』のことを話題にしてしまいましたので、もう一度そのネタをふってしまおうかと思います。

『ガンダム』もその第一作目が公にされた年が1979年のことですからすでに四半世紀の歴史をもつに至っているわけで、一世を風靡した第一作目の後に数々の作品が「後付け」で制作されていった結果、(ときたまその作品間の整合性に疑問は残るものの)それなりの「ガンダム・ワールド」と呼びうる作品群を構成するようになりました。

僕は熱心なガンダム・ファンではありませんから、最近の「ガンダム」的意匠を「あれでもか、これでもか」と引き継いで増殖しつづける「○○ガンダム」には詳しくありません。しかし、その背景ではバンダイというおもちゃメーカーの市場戦略があるからこそ、四半世紀も「ガンダム・ワールド」なるものが発展させられてきたことは理解できます。バンダイの戦略からすれば、「ガンダム」の名前を冠したおもちゃを作れば売れますから、それに踊らされて後付けで様々なガンダムの物語が想像され、「○○ガンダム」が増殖していったのでしょう。

さてバンダイというおもちゃメーカーがプラモデルを中心に展開している「ガンダム」戦略によって、最近では「ガンダム」という記号は大人と子供の違いを問わず世代間のコミュニケーションを図る格好の素材にさえなっています。僕が大学院生の頃でしたが、バンダイのプラモデル戦略において大人をターゲットとした「マスターグレード」というラインナップが拡充されたこと(その値段は2500円~4000円くらいと明らかに子供向けではありません)によって、その路線は確実になったように思います。

驚くべき点は、この「マスターグレード」という路線においては、例えば同じ“ファースト・ガンダム(すなわちその世界ではRX-78-2と呼ばれているものですが)”だけとってみても、(1)ガンダム、(2)ガンダムVer.1.5、(3)ガンダムVer.Ka(これはカトキハジメ氏というデザイナーによってリファインされたものです)、(4)ガンダムVer.One Year War 0079(これはナムコというゲームメーカーと共同開発されたテレビゲーム上でリファインされたガンダムのデザインを再現したものです)といったように、プラモデル開発の技術的蓄積を付加価値としながら、実際にお金を落とす大人たちの物欲を継続的に刺激する目的で、「ガンダム」デザインのリファインが積み重ねられていることです。それはあたかもバンダイのガンダム関連企画に携わっている人たちは「モビルスーツ」という架空の存在を本当に現実化するつもりでいるんじゃないかと思わせるほどの勢いです。

かつて大河原邦男というメカニカル・デザイナーが書き上げた「ガンダム」のデザインが、バンダイというおもちゃメーカーの経営戦略にのせられて、その時々の最先端の技術を援用しながら、消費者である大人の欲求を満足させるかたちで付加価値がつけられ、"Ver.○○"といった形で増殖しつづける道程については、常々、ある一つの事象に与えられる多様な解釈がどのような歴史的・社会的背景をもって生産(あるいは再生産)されていくのかという問題を考えるうえで格好の素材になりうるのではないかと僕は思っています。

かつて『スタートレック』のなかで想像されていた数々の技術が、その熱心なファンの手を通じて現実化されていったことはよく知られた話ですが、我が国では『ガンダム』という作品がそのような役回りにあるかのようです。世代を超えてこれにお金をつぎ込む層がいればこそ、こうした経営戦略が成り立つ話となるわけですが、そうした意味では、このバンダイという会社(あるいは「ガンダム」のおこぼれに預かろうとする企業)というのは、そうした世代がある限り安泰であって就職先としては狙い目なのかもしれません。

この間も大阪のどこかで、ガンダムのプラモデルの箱絵を「ボックスアート」と称して、ひとつの美術作品として扱う回顧展が開催されているというポスターを目にしました。いったいどこまでこのガンダム・ワールドが展開するのか一寸末恐ろしく感じる話ですが、今の日本という国においては個人的な趣味・嗜好のために果てしなく欲望を追求する大人が多く存在し、しかもそうした欲望をひとつの背景としながら技術立国化が進んでいる典型的事例であると思います。

やしきたかじん賛

直前の発言でついつい『機動戦士ガンダム』の話をしてしまいましたので、続けてみようと思います。で、今となってみれば懐かしい『ガンダム』の映画公開版第一作には「砂の十字架」という副題が付いていて、同名の主題歌をやしきたかじん氏が歌っていたことを子供ながら記憶していました。「なんと朗々と歌い上げる人なのか」と感心したそのとき以来、やしきたかじんという人はすばらしい歌手として長らく僕は認識していました。

関東の文化圏で生活していると、テレビ番組の構成が東京をセンターとして作られるために、地方局のローカル色豊かな番組に接する機会はほとんどありません。しかし地方には地方の特色を生かした魅力的な番組が多々あります。(例えば以前何度か発言したKBS京都の『Go on→』など。)ここ大阪で言えば、それは「話芸」を中心に展開される番組の豊かさに大きな特色があると言えましょう。

数年前突如としてNHKの紅白歌合戦の司会者として上沼恵美子さんが登場したときが、関東で育った若い世代にとっては彼女の絶妙な「話芸」に触れた最初の機会ではなかったかと思います。東京のテレビ局で放映されている番組には、この上沼さんに代表されるような「パーソナリティ」の「話芸」でもって魅せる番組は数少ないと思います。僕が大阪へ移ってきて、最も衝撃を受けた事実は大阪にはそうした「話芸」で人を惹きつけることに長けた方々が多くいらっしゃることでした。

グローバルに開かれたインターネットの空間でローカルな話をすることは大変恐縮なのですが、大阪で制作されているテレビ番組を概観してみると、人気の高い番組はそうした技術に長けた「パーソナリティ」が存在する番組であると言えます。で、その東西横綱格に君臨するのが上沼恵美子さんとやしきたかじん氏だと僕は思いますし、おそらく大阪に生活している人なら誰もがそれを納得するものと思います。

大阪で制作されているバラエティ番組において情報伝達の手法として多用されている方法は、「パネル」を用いてそこに表示された情報を用いながらメインパーソナリティにあたる人が縦横無尽に話題を切りまくっていく方法です。先に紹介した上沼さんは純粋に話だけで場を盛り上げるタイプですが、大阪では「パネル芸」と通称される手法の第一人者がたかじん氏になります。この「パネル芸」については、MBSのアナウンサーである角淳一氏が『ちちんぷいぷい』で展開する事例も知られていますが、角氏(あるいはその後継者であるアナウンサーたち)の場合にはアナウンサー個人の人柄で魅せるタイプのもので、これを「パネル芸」と考えることには個人的には同意できません。ここで紹介したい「パネル芸」はまさにやしきたかじん氏が展開する縦横無尽にして奔放なタイプのものです。

大学の学問の現場においてプレゼンテーションをする身としては、「パネル」を紙芝居的に説明するのでは、学生など聴衆の心に訴えかけるプレゼンはできないことを肌身で感じています。大切なことは聴衆との間になんらかの「共犯関係」を築いて、お互いがその場の空気を「共有」することにあると考えています。そうした「共犯関係」の築き方が、たかじん氏の「パネル芸」(芸と呼ぶには失礼かもしれません・・・もはや神業と思えるほどです)には巧妙で、参考になることが多々あります。ときに毒舌を乱発し、パネルが壊れるのではないかと思わせるほどにそれを打ち付けながら罵倒し、神懸かり的に興奮したかと思えば、その次の瞬間には非常に冷静なコメントをする。パネルをただ読むのではなく、パネルに激しく突っ込みを入れ、書き込みを入れ、修正を加えながら巧みに「ライブ」感覚を醸し出す。さすがに大学の現場ではたかじん氏のように「ぶっちゃけ」、「はじける」ことはできませんが、そんな手法は、プレゼンテーションのひとつのスタイルとして大いに参考になります。

「臭い・・・だな」

とは、現在30代を迎えた人たちには昔懐かしいアニメーション『起動戦士ガンダム』の一作目のなかで、左遷されたシャア=アズナブルがひっそりとショットバーでたたずんでいた折、密かに彼をリクルートにやってきた親衛隊の身元をズバリ彼が見破り、「なぜ身元がわかったのか」と問われたシャアが発した台詞ですが、歴史学を勉強していると、ときに嗅覚めいたものがはたらいて目的の史料に到達することがあります。

「なぜか」と問われると論理的な回答は不能なので、きっと“バルカン人”からは嫌がられますが(・・・どうでも良いことですが、最近話題のスターウォーズの100倍僕はスタートレックのほうが好きです)、おそらく長年の訓練で培われた経験値から自然と史料の在処への嗅覚が備わるのでしょう。昨日は関西外大で補講を含めて二コマ全力投球をしてヘトヘトだったのですが、学会後依頼されたある仕事に向かったらそんな経験をしました。

自分とは全く専門のことなる(とはいえ同じ北欧史ですが)史料の探索が必要だったのですが、たまたま昨日はルンド大学のハラルド=グスタフソン教授から娘誕生へのお祝いのメールをもらったこともあって、何気なくハラルドの書いたNordens historiaという現在スウェーデン語で読みうるもっともすばらしい(と僕は思う)北欧史の教科書を眺めていたのです。そこのコラムにあった叙述から、依頼されていた史料についてピンとひらめき、あとは一気呵成に検索、検索・・・で、ありましたよ。

深夜だったにもかかわらず、我を忘れて「ビンゴ!」と叫んだ瞬間です。

東京大学の近藤和彦教授もECCOについて言及されていますが(・・・ん!ECCOもThomson Galeの絡みなのか・・・いずれEndNoteの言及も必要ということかな)、デジタルアーカイブへの試みはいろいろな分野でなされていて、今回も19世紀後半から20世紀にかけての雑誌群そのものがしかるべき研究機関の監修を経てPDF化されていた。PDF化されているとはいえ、それが映し出すところは当時の雑誌のままだから、当然一次史料として使えるというわけです。

確かに検索術は磨いておくべきですが、検索術があったとしてもキーワードが適切でなければ目的の情報には到達しません。今回の場合は間接的にハラルドからのメールがなければヒントが与えられなかったわけですからハラルドには感謝ですが、デジタル歴史学における嗅覚(というか極意)とは一言で言ってキーワードの着想に尽きるんじゃないかなと思っています。ピンときたひらめきから嗅覚が働いて目的の史料を発見できたときの快感はなにものにも代え難いもので、これも歴史学を勉強している醍醐味の一つなんじゃないかなと思います。問題は史料を見つけてしまったが故に、これからその史料についての仕事を進めなければならないことです。

史料探索と話は異なりますが、デジタル時代の学問形成という意味では、キーワードの持つ大きな意味を理解する必要があります。検索は史料だけには限らず、例えば学問形成の場において共同研究プロジェクトなどを立ち上げるときに、研究者の研究内容を端的に示すキーワードが研究者を「すくい上げる」重要な要素になります。科研費の申請や学術振興会への申請、JREC-INの研究者人材データベースReaD研究開発ディレクトリなどへの情報登録の際に、キーワードが求められるのはそうしたことに対応するためでもあります。自分の研究を数語のキーワードで簡潔に示すことは困難なことですが、しかしながらデジタル技術がもたらした新たな人的交流のあり方に対応するには、そうしたところにも工夫が必要ではないでしょうか。(院生のみなさんへ。)

史料絡みの話題では、やはり昨日スウェーデン最大の古書店Rönnelsから届いた本のなかに19世紀に活字化された近世スコーネ地方における教会領経営の史料を見いだしました。粘り強く探せば、あるものですね。

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

来週5月31日の講義ファイルをアップします。さて先週教科書を配りましたが、先週の時点でお金を払っていない人は明日忘れずに3,000円を払ってください。お願いします。それから先週欠席した人でまだ教科書を買っていない人も3,000円で購入してください。お願いします。

第7回 17世紀の危機と主権国家の動揺 をダウンロード

2005年5月23日 (月)

地域研究VIII

今日の配布ファイルは補講があるためにちょっと複雑です。本来今日の3時間目(つまり正規の講義)で行う予定分の講義ファイルはだいぶ以前に配布済みです。しかしながら、話す分量が多くなることと、あらかじめ欠席することがわかっている人がいることを理由にここに僕が話す分すべてを掲載した増補版ファイルをアップします。基本的には3時間目は以前にアップした「スウェーデンは福祉国家か?」のファイルで十分に間に合いますが、復習が必要な人はこの増補版ファイルをダウンロードしてください。

第4回 スウェーデンは「福祉国家」か?(増補版) をダウンロード

また補講が予定されている5時間目のファイルは「デンマークの基本」のファイルを用意してください。すでにこのファイルについては、僕が話す内容を補足したファイルを配布済みですから、今日の補講に出席できなかった人はそれを参考にしてください。この「デンマークの基本」に関して質問がある場合には、来週の授業前後に質問を受け付けます。で、今日の補講では時間に余裕があれば、ここにアップロードする「デンマークはアンデルセンだけか?」の話をします。

第6回 デンマークはアンデルセンだけか? をダウンロード

2005年5月22日 (日)

文系学生・研究者のお役立ちツール(3)

早稲田大学のMt-KBさんが勉強スタイルを変革している最中だと発言しています。ここで関心した点は「読みながらPCにノートをとっていく」という勉強方法を実践中だということです。

僕もこの勉強スタイルを支持します。(それがイギリス風だとは知らなかったのですが。)いずれWindowsでも、Macでも(MacではOS X TigerSpotlightですでに実現しましたが)、ハードディスク内の全文ファイル検索機能が実現されれば、ハードディスク内に蓄積された文章を検索して逐一正確な論文やレポートの執筆が可能になるからです。しかし、論文やレポートを清書するときにはWord、プレゼンテーションするときにはPowerPoint、論文をスキャンするにはAcrobatなどとデファクトスタンダードがすでに存在するのですが、「読みながらPCにノートをとっていく」ときに一番多様する「ノート」として何を使うかという肝心な問題が残ります。文献の抜粋をノートするだけならば、最新のEndNoteはようやくユニコードにも対応しましたから欧米系言語と日本語の混在も可能になりました。しかしそれでは文献単位でノートした情報が拘束されてしまうので、論文などを書くときの俯瞰的イメージを作り上げるには難しい。テキストエディタでテキストだけのファイルを積み重ねていくという古典的にして確実な手法もありますが、マルチメディアの発達した現在(ここであらためて史料論を展開する余裕はありませんが)、図像や音声、動画さえもテキストと同列に扱えるようになっているのに、テキストファイルだけではそれらを同時にうまく扱えず、なんだか魅力的な果実を無駄にそこら中に放り投げてしまっているよう。

そんなときに「ノート」として活用したいアプリケーションが、Microsoft OneNote 2003です。このソフトは、テキスト、手書きメモ、音声、図像、動画、Web情報 などや思いついたアイデアを PC 上に集約して整理できるソフトです。小学生の頃、よく夏休みに自由研究の課題が与えられたときに、いろいろな情報を切り抜いてきてスクラップブックを作りましたよね?あのスクラップブックをパソコン上で再現したソフトだと考えてくれれば良いです。今様「スクラップブック」はデジタルデータの形式的恩恵を受けてありとあらゆる形態の情報を一カ所に集約できるようになりました。音声や画像も、テキストと同列にストンストンと落とし込みように配置していくことができますし、その配置もドラッグすれば自由にレイアウトできます。とにかく情報の形式の差に束縛されずに、思いの丈を思いのままにバーッとノートできるのです。(このブログを読んでもらえば分かるように、思いの丈を一気呵成に書き上げる僕のような人間にはもってこいのソフトです。)

WordやPowerPointなどを使っていると、いちいち使用法がわからなくて思考が妨げられることがありますが、このOneNoteは直感的に操作できる感じですので(いまだにマニュアルに目を通したことがありません…そもそもマニュアルがないんじゃないかな)、とにかく思いついたことを書き込んでいくだけ。そしてこのソフトの最大の特徴は、ファイルの概念がないこと。どういう風にデータ蓄積されているのか技術的に細かいところは置いておくとして、早い話、ノートパソコンをポンと立ち上げてしまえば、そのまま前に書きつづっていたOneNote上のノートがそのまま同時に立ち上がって即ノート書きに移ることができるのです。いちいち「あのときのメモ書きは、どのファイルだったかな」とファイルを探し出すことをする必要がないのです。この点でも思考が妨げられない。バーっとノートを書きつづった後は、目的の情報を検索して、清書しようとするならばWordにコピーすれば良いし、プレゼンファイルを作るならばPowerPointにコピーすれば良い。とにかく思ったままのことを思ったままに綴ることのできる「スクラップブック」風ノートが、OneNoteだといえます。

惜しむらくは、このOneNoteがMacOS Xに移植されていないことです。かつての予定ではMac版のOffice 2004には所収される筈だったらしいのですが、いまだ実現されていません。この点、学外や海外での史料収集ではOneNoteの使えるWindowsの薄型ノートにアドヴァンテージを感じます。早々にこのソフトがMacOS Xにも移植されることを望みます。

就職するなら…

自分も二児の父になった訳ですが、週末に子供を連れて買い物に行くたびに実感することは、赤ん坊をはじめとする子供関連の産業が「異様」なまでに活況を呈している事実です。これは少子化の影響が大きいのだと思いますが、「団塊の世代ジュニア」にあたる僕らの世代はもちろん、お金に余裕のでてきて孫をもつようになった「団塊の世代」も、少ない子供に集中的にお金を落としていく「熱狂」的な構図だと言えます。

今日は近所にあるフランス系資本の(すでに日本市場に見切りを付けてスパッと撤退を決めたらしい)某スーパーへ買い物に行きましたが、そこでNHK教育テレビの乳幼児向け番組『いないいないばぁ』の人気キャラクター「わんわん」が来て記念撮影ができるとかで、そこに集まった親御さんの数と言ったらすごいのなんの、想像を絶する数…というか混乱ぶりで焦りました。(僕たちはその行列を傍らに身ながら、某カフェでフラペチーノを飲みながら涼んでいましたが。)

この「わんわん」が代表的事例ですが、子供をもってみてはじめて気が付くのは、子育ての世界でしか通用しないコードだけれども、その市場では独占的シェアを占めるものがあるということ。それゆえにその「おこぼれ」に預かろうという業者は計り知れず、今日のような事態も起きてくるわけです。子供を愛おしく思う気持ちはもちろん分かるのですが、それに群がる父母や祖父母をターゲットとした赤ん坊(子供)業界はそうした親御さんの盲目的な愛情がある限り安泰な業界かもしれません。ですから子供向けの衣服や器具などの製造業や小売業などは、就職するなら狙い目の業種と言えるでしょう。

あ、それからどうでも良いことですが、今日以前紹介したKBS京都の大学生番組『Go on →』で、新しい女性MCを募集していました。真剣に芸能活動を目指す意思のある女性募集だそうです。これもまぁ、狙い目といえば狙い目?!

iBook G4、PowerBook G4のバッテリーリコール

Apple社から2004年10月から2005年5月にかけて発売されたiBook G4とPowerBook G4のバッテリー交換プログラムが発表されました。長くマック・ウォッチャーをしてきた身としては、「またか…」という感がありますが、問題をひた隠しにして先延ばしにするのではなく、迅速に公表して対応するあたりの「潔さ」に感心。

これだけ世界経済のグローバル化が進展すると例えばパソコンの部品は世界中の国々から集まり、Windows系マシンとMac系マシンに名前とOSの差はあっても、両者は意外なほど多くの共通部品を使っていたりします。となると、Apple社のものだけどうしてこれほどにリコールが多くでてくるのか…という点、疑問を持つに至ります。やはり日本製品はつくりが違うのでしょうか、できがいいのでしょうか、それとも三菱ふそうみたいな会社ばかりなのでしょうか…いやぁーバッテリーの問題なんて怖いですよ、発火するんですからね。

しかしApple社はかえすがえすもブランドイメージは完璧だと思うのですが、顧客サービスへの「詰め」が甘い…これもだいぶ前から感じていた点。(…僕のなかのApple社のイメージは、「がんばって、突っ張ってかっこつけようとしている大いなる田舎者」って感じで微笑ましいのですが…「都会的で洗練されたイメージ」ってのも、東京に住んで「気取っている」人たちほど田舎出身っていう話と似ているような感じがして微笑ましい。)例えば今回のリコールでも、僕が所有するPowerBook G4のリコール対象番号は「3X446~3X510」だったのですが、この「X」が「エックス」一文字に限定されるのか、「abc...xyz」といったすべてのアルファベットが対象となるのかがわかりませんでした。結局、電話してみましたよ…結果、僕のPowerBook G4は対象外でした。

iBook G4はかなり売れている人気機種ですので、もしお持ちの方がいらっしゃったら一度確認してみてください。

2005年5月21日 (土)

初夏の陽気に誘われて…

今日は息子と実家から応援に駆けつけてくれている母とともに阪急電車に乗って、梅田へ。息子が満足するまで阪急電車の往来を見せた後、ちょうど時間がよかったので阪急百貨店のレストラン街「阪急ダイニングステージ」で昼食をとりました。ここは昭和初期に日本ではじめてつくられたデパートレストランがあったということで有名で、西日本における洋食普及の拠点の一つだったところです。(阪急は昭和初期にあって交通手段を核としながらも、それと連携させるかたちで宅地開発・商業施設開発など総合的に進めていたわけです。今の大阪の原型は実はその頃にあって、秀吉の頃の姿などとはほとんど関係はない。例えば今の大阪を代表する目抜き通りの御堂筋。あれなんて昭和初期につくられた大阪の代表ですよ。それを作ったのは今の大阪市長のおじいさんですけどね。)で、多くの大阪の人たちは小さい頃この阪急百貨店の“大食堂”へ親に連れてきてもらったことをよく懐かしそうに話します。そのレストラン自体は数年前に解体されてしまいましたが、そこの装いを新たにした場所が現在の阪急ダイニングステージで、いくつかの専門的レストランから構成されるようになっています。今日はそのなかでも「阪急」の名を冠した「ザ・グリル阪急」で昼食。で、今年のぼくの「食」のテーマは「ハンバーグを極める」ことなので、間髪入れずハンバーグを注文。文句なく掛け値なしでここのハンバーグは美味しかったです。とりわけたっぷりとかかった(というか正確にはソースのなかにハンバーグが浮いているといったほうが良いのですが)ドミグラスソースが甘酸っぱくてよろしい。もとよりここの洋食はカレーもシチューも水準以上であることは知っていましたが、ハンバーグもここまで美味しいとは思いませんでした。例えば東京から大阪を訪ねたときに、食べる場所や飲む場所があまりに多くて決められないといった場合には、大阪ではこうしたデパートのなかの店に入ると、ほぼ間違いはない…なにせ大阪近隣の有閑マダムに認められなければやっていけない立地条件ですから。

その後、梅田駅構内から一歩も出ることなく、ヨドバシカメラ・マルチメディア梅田へ。梅田は地下街が発達していますが、大阪に来た4年前にはその迷路のようなつくりにただただ迷うばかりでした。今はなかなか機能的なのだと思っています。ヨドバシカメラでは、自宅の小さな子供用にダイキンの空気清浄機を間髪入れず即購入。これは僕の母のお薦めだったのですが、なにやらちょっとしたにおい(例えば「体」発のものなど)を立てただけでもすぐに反応して「空気を洗ってくれる」らしい。しかも作動音はとても静か。(この清浄機の特筆すべき長所は、この静謐性にですね。)僕は「光触媒」という言葉に惹かれ、「お、これは東大との産学協同ものか?!」と思って(…お金を稼ぐのが上手な東大コミュニティセンターで以前この光触媒を応用した製品をいくつも見ていたんですよ…)選んだのですが、実際のところ放電効果でにおいを除去するこの清浄機の仕組みは、大分大学との産学共同研究の成果らしい。いずれにせよ、そんなことを気にしながら「白もの家電」を選んでしまうのも、一つの職業病かなぁと今になってみて思います。肝心の清浄機の効果ですか…うーん、神のみぞ知るって感じ…気分的にはお金をスパッと出しましたから十分「洗われた」感じですよ。

2005年5月20日 (金)

急告 スウェーデン歴史ゼミ、デンマーク歴史ゼミに参加しているみなさんへ!

これまで僕がドタバタとしていて日程を決められないでいたのですが、以下の日程で図書館利用のガイダンスを行います。

  • デンマーク歴史ゼミ…5月27日(金)午後4時30分~ 大阪外大付属図書館玄関前集合
  • スウェーデン歴史ゼミ…6月8日(水)午後4時30分~ 同じく図書館玄関前集合

このガイダンスを受けないと、図書館の書庫への入庫証が交付されません。論文執筆のための文献検索の方法も指導されますし、なにより書庫にある閉架図書の活用方法を知らなければ、論文執筆のための最低限必要な文献を手に入れることもできないでしょう。みなさんの勉強にとってとても大切な話が、図書館にいらっしゃるプロの司書さんから伺える貴重な機会です。自分の研究を成功させるには自分自身の努力や教員からの指導も大切ですが、司書さんを仲立ちとして図書館を十分に活用することも大切です。是非参加してください。

なおガイダンスの時間はおよそ30分くらいですので、それが済んだら本来当日に予定していた内容を進めます。この日に報告が予定される場合にはその報告は次週へと順延し、かわりに僕の論文を読んできてください。よろしくお願いします。

QRコードによる投稿実験

(この文章は昨日午前中に作成しましたが、バスの中からは揺れが激しく、結局投稿できないでいました。深夜になってからそれを思い出しましたので、もう一度トライしてみました。)

登校中の阪急バスからの投稿です。このようなブログの便利なところはどこからも投稿できることですが、それはあくまでもネットに繋がっていることが前提です。無線LANのアクセスポイントが普及しておらず、第三世代携帯電話のパケット通信代が高い現状では、従来のPHSや携帯電話がまだまだ必要ですが、今どきの学生諸君のように高速で携帯電話に文字入力ができない僕は(本当に学生のみなさんはすごい進化をとげていると思います)、携帯電話の文字入力で困ってしまいます。  そうしたとき僕のような人のためにちゃんと救いの手はありまして、それが今回投稿するQRコードという手段です。最近PDAを使わないでいたのですが、先の学会で運営マニュアルが膨大だったこともあり、それをPDF化してむかーし使っていたSharpのLinux ZAURUSをビューワとして復活させました。(ZAURUSもPDAの一種だと言われれば確かにそうなのですが、じつはその中身はLinuxという汎用性の高い基本ソフトを使ったミニミニコンピュータなのです。)で、このZAURUSは小さなキーボードをもっているので、これで文章をうちそのテキストをQRコード化して、携帯電話のカメラで撮影し、携帯電話のメールで投稿するという寸法です。  QRコードって、最近は雑誌のレストラン情報や店舗情報などの記事の余白に、正方形のモザイク状のアイコンがよく載っている「それ」です。これを携帯電話のカメラで撮影すると、その画像情報を文字情報に読み替えてくれます。複雑な文章入力を携帯電話でしなくても、お店のURLアドレスとかを自動的に認識してくれるのです。このコードをメールに利用すれば、長文のメールもブログの発言も可能になるという寸法です。  今回は実験ですが、これがうまくいけば、携帯電話の電波はほぼどこでも繋がるので、どこからでもブログに発言できることになります。

(ここまでが実際にQRコードで投稿した文章です。しかしながらバスはやはりゆれが激しく、カメラ撮影の際に手ぶれして無理でした。)

2005年5月19日 (木)

興奮しています!

先日の日本西洋史学会では、それとは別に開かれた研究会で東京大学の近藤和彦教授が"Lost in Translation?"という題目でとても興味深い報告をされ、そこで近藤先生が最近「劇的」に出会われた(見いだされた)史料について熱く語ってくれました。研究生活をしていると、ときに普段の公務の忙しさを忘れて「あぁ、歴史勉強していて本当に楽しい!」と思う瞬間があります。そうした幸福な瞬間にはそうそう巡り会えるものではありませんが、実はそうした知的に興奮できる体験があってその楽しさと意義を還元してこそ、充実した研究と充実した教育の現場が開かれるのだと、近藤先生の報告を伺いながらあらためて勉強させてもらいました。

実は僕もそうした興奮を今味わっています。子供が産まれた直後、学会のあとの知的関心がブラッシュアップされた直後ということがあるかもしれませんが、数日前スウェーデンから届いた史料のなかに17世紀スコーネにおけるゲリラ闘争でのゲリラ部隊の編成名簿を発見したのです!

スカンディナヴィア半島南端のスコーネ地方にあるルンド大学へ留学していたときから、僕の関心事の一つに17世紀のスコーネで頻発したゲリラ活動という対象があります。17世紀にスコーネはデンマークからスウェーデンへ領土替えがあって、スウェーデンは現在のように南北に長い領土となります。しかしルンド大学のH.グスタフソン教授が主張するように当時の国家は帰属意識を異にする様々な文化的・政治的・社会的共同体が複合的につながる構造をもっていました。スウェーデンと言えば、グスタヴ2世アードルフが三十年戦争に参加していらい合理的な戦争経営の仕組みをもった軍事国家の典型と理解され、その代表的組織として軍隊が常に挙げられるわけですが、実際のところスコーネなどでは伝統的な社会的異議申し立ての手段の延長線上にゲリラ活動があったことが知られており、この事実を分析すれば、理論的枠組みとしてグスタフソン教授の言う「複合国家」論を背景に据えながら、先に紹介した集約的な近世スウェーデン国家観に対して、まさにそうした典型的見方を用意した軍隊の観点から批判を行うことができるのです。

すでにスコーネ北部のいくつかの郡におけるゲリラ闘争参加者のリストは見いだしていましたが、まさか部隊編成まででてくるとは思わなかった!このスコーネにおけるゲリラ闘争は近世北欧における最後の大規模な民衆騒擾という点でも重要ですし、ひろく「軍隊と社会」の歴史という観点からすれば、初期的な近代国家における非正規軍の問題とも通底します。非正規軍の存在というのはあまりこれまで研究の対象とはわれてきませんでしたが、地域社会の利害を代弁し、地域社会における正統性を確保したからこそ、地域社会においては中央の正規軍以上に国家機能を国家の周縁部で補完する性格が強かったという見方もできます。単純に近代国家が暴力手段を一元的に独占していったと考えるのではなく、近代以前の複合的な地域アイデンティティの重層的存在を考えるならば、そうした複合性を基盤として国家機能を補完する組織があったとも考えられるということです。

さぁ、この史料をどうやって料理してやろうか!忙しいけど、こんな興奮できる素材にはなかなか出会えない!

パソコン屋さんみたい…

このブログ、冷静に考えてみるとなんだか「パソコン屋さん」みたい。

学生のみなさんには意外かもしれないのですが、僕は結構こういう相談をもちかけられることが多いのです。人文系の学問の世界では、なかなか自分自身で蓄積した技術的ノウハウが公にされないし、それにこうした技術の話は雑誌やホームページでは小難しく説明されていてよくわからないけど、同じ業界に生きている人の具体的な経験に基づいた話だと理解しやすいのかもしれませんね。

そもそも僕は機械のことは全く詳しくなかったし、数字の扱いも弱いから(…だから最近自分の研究視角としては、恥ずかしくて財政史的なものからは離れています…)、文系の道に進んだわけです。昔はパソコンなんてなくて、僕が大学に入った頃はワープロが主流だった。(1990年代初頭に小学生になったかならないかだった今の学生のみなさんには説明が必要かもしれませんね。昔ワープロっていう機械があって、欧米言語の文化圏におけるタイプライター文化を、仮名文字と漢字という複雑な文字体系のある日本文化に定着させた画期的な機械として一時期かなりもてはやされたんですよ。)このワープロさえ学部生のときにレポートを書く必要に迫られてはじめて触れたくらいで、なかなかキーボードのブラインドタッチなんて身に付かなかった。卒論を書くときにはじめてノートパソコンを親に買ってもらいましたが、(今思えば、このときに買ってもらった40万円もするIBM ThinkPad 330Csから僕のコンピュータ「道」がはじまったのですから、親には感謝です…)、それがIBMのPC/AT機という規格で、これは今でこそ主流になりましたが1990年代初頭当時はNECのPC98という規格が主流だったために、研究室の周りにIBM系を教えてもらえる人もおらず(…ときには「なんで98じゃないの」と揶揄されながら…)、結局自分で問題を解決してきました。

もともと僕は心配性な性格もあって、(…これまた意外と言われることがなぜか多いのですが、僕は典型的な血液A型人間だと自分では思っています…)中学・高校の頃からいつも辞書を数冊持ち歩いているような学生で、「知識ってのは本当に重たいもので、それを得るには体力が必要なんだ。」と肌身で感じていました。(だからAppleのノートパソコンはPowerBookっていうんだって、今でもまじめに思っています。)で、辞書をいつも携帯するにはPDAを工夫して使えば良いんだと思い、PDAのことをゴニョゴニョやり続けていたらなんだかそれにも詳しくなった。今では数種類の百科事典と数カ国語の辞書をいつも携帯できるようにもなりました。昨今の我が国における「知識」はずいぶんと扱いが軽くなったものです。

それから日本ではスウェーデン史関連の文献が少ないこともあって、スウェーデン史の文献情報を得るためにはネットワークを活用する必要に迫られ、そんな技術にもなんとなく詳しくなっていきました。今でもTelnetを通じて、東大の総合図書館からスウェーデンのウップサーラ大学のOPACにはじめて繋がったときの感動は忘れられません。これと関連することでは、日本語とスウェーデン語は活字の体系が異なるので、どうやって両者を混在させれば良いのか(日本語を主とする言語環境でどうやってスウェーデン語を扱うか)といった問題に頭を悩ませていたら、コンピュータにおける言語の問題にも詳しくなっていきました。

つまり僕は決して生まれつきのマニアではなく、いつも必要に応じて試行錯誤を続け、その結果今の僕があるのだと言えます。で、これまでも多く自腹を切ってきましたけど、公のお金を利用させて頂いて勉強してきた部分も多くあります。その結果として今の僕のノウハウがあるとするならば、そうした技術的な知見も世の中に還元されるべきだと思い、こうして意見を公開しています。もちろん学問的知見を公開することが一番大切なことですが、学問や文化の将来を考えれば、そうした知見に至るまでの技術的な過程も公開されるべきで、そうした手法を知ることによって、もとより優秀な同輩がさらにすばらしい研究ができるようになったり、さらに優秀な後進が育ったりすることを期待しているということもあります。だから僕は好んでこうした相談を受けます。

こんな僕ですが、全くわからないことだってあります。携帯電話のこととテレビゲームのことです。携帯電話はその出始めの頃に乗り遅れたこともあって、今でもほんとうに使い方になれていません。使いこなしている学生のみなさんを見ると、本当に尊敬します。それからゲーム。一時期学生のときにPlayStationを買ったこともあったのですが、夫婦喧嘩の代理戦争としてゲームを用い、その決着をつけるくらいしか用途がなく、そもそも細かなルールにいちいち束縛されるゲームの性格が嫌で、喧嘩のやり方までそんなことに束縛されるのは嫌だから全くやらなくなりました。今の古谷家にはパソコンの中身も含めて、全くゲームの類はありません。あと漫画も一冊もない…漫画を誰も読まないんですね、うちの家族は。話題になっているものくらいは、読んでみても良いと思うのだけど…。アニメは通り一辺倒には見ますが、現在の日本文化を支えているケイタイ・ゲーム・漫画(アニメ)といった流行から隔絶している感があります。

僕はマニアなのだろうか…なんなのだろうか…。研究者なのか…パソコン屋さんなのか…、よくわからなくなることがあります。誰かそれを教えてください…え!昨日の前世占いでは「花魁」ってでてたって!…そうか、「花魁」系歴史家ってのも悪くはないなぁ…すみません、最後はおちゃらけてしまいました。

スキャナ選定への助言

前の発言の続きです。スキャナとOCRについて助言しました。

  • スキャナですが、もし購入するならば従来型のフラットベッドスキャナとドキュメントスキャナの二つを考える必要があります。ドキュメントスキャナは高速にA4用紙を読み込ませることができ、僕などは最近論文などのコピーはすべてこれで取り込んでPDF化して持ち歩いています。富士通PFUのScanSnapの独壇場でfi-5110EOX3(あるいはfi-5110EOX2)がよい。

ScanSnapについては以前このブログでも簡単に紹介していたと思いますが、OCR(光学文字認識)との関係では、以下のように助言できます。

  • これを買うとあらかじめAdobe Acrobat 7 Standardが附属してくる点もポイントが高いです。(中略)はっきりいってOCRを使う局面は実に少ない。もし使うとしたら、TextBridge Proというソフトを買えばわりと高い精度で文字認識してくれますが、あまり使う頻度が高くなければOCRソフトをあえて買うまでもありません。実はAdobe Acrobat 7 StandardにはOCR機能がついていますので、それで十分なのです。だからScanSnap(これは5万円弱しますが)はAcrobatがおまけでついてくると考えると良い買い物なのです。(もちろんAcrobat側の設定をしておけば、論文コピー→ScanSnapでスキャン→AcrobatでOCR認識させたPDF作成をボタン一つで自動化することも可能です。)

次にフラットヘッドスキャナについての僕の意見です。

  • さてフラットベッドスキャナですが、分厚い書籍を読み込ませる機会の多い僕たちの場合、本の綴じ込み部分まで立体的に読み込んでくれるスキャナが必要です。いわゆる安い薄型スキャナ(中略)ではCISというセンサーが一般的に使われているのですが、このCISは立体的な画像表現が不得意という欠点があります。こうした問題はCCDというセンサータイプを使っているスキャナーで解決できるのですが、CCDタイプは筐体が分厚くなる傾向があります。そうしたことから、僕はCCDを優先してこのタイプのスキャナが搭載されていて、インクジェットプリンタとしても妥協のない高品質印刷ができる複合プリンタ(CanonのMP900)を使っています。つまり結論として、スキャナは一つはScanSnapを買うこと(中略)、もう一つフラットヘッドのほうはCISかCCDかで選択がわかれるということです。

CIS方式でも良いというのでしたら、CanonのCanoScan Lide500Fというものをお勧めしますが、おそらく本の綴じ込み部分までは無理じゃないかと予想しています。こればかりは試してみないとわかりませんね。スキャナについては、他にも接続形式の問題もあるのですが、最近のパソコンはほぼ高速大容量のデータ転送に対応したUSB2.0という規格に対応しているので、それはあまり深刻な問題ではないと僕は思っています。(例えば僕が使っているMP900の転送速度はとても速いです。)「解像度はどうなの?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、A4サイズくらいの画像でしたら2400dpiくらいで十分であり、もはや選定の問題にはなりません。

長くなりましたが、こんな感じです。みなさんのお役に立てれば幸いですが、なによりこうした情報の公開を認めてくれたK君に感謝します。不明な点があれば、お気軽にコメントをどうぞ。

パソコン選定への助言

先日の西洋史学会で久しぶりに会った東京大学の後輩からパソコン選定の助言を求められました。それが今時のパソコン、プリンタ、スキャナ選びのよい具体例となりましたので、このブログをご覧になっている方に参考になればと思い、公開について彼の承諾を得ましたのでここにその情報を一部公けとします。

今回のパソコン選定には、(1)資金面はそれなりに問題ないということ、(2)彼が(僕の後輩ともあって)以前からIBM ThinkPadの使用者であったということが前提になっています。(一時期、東大西洋史の院生のみなさんの間でThinkPadユーザーが増えていたのは、その最大の責任は僕にあるといえます。)

まず肝心のノートパソコン選定について、僕は以下の文面で回答しました。

  • メインマシンとしてなにを選択するかですが、自宅机上の据え付け用途でしたらA4サイズ2kg以上のものでも構わず、ただし液晶サイズにこだわりをもって15インチ程度が妥当と思います。この点から言って、また資金が潤沢であることも勘案するならば、IBMブランドのフラッグシップマシンであるThinkPad T43は最良の選択としてお薦めできます。

彼の場合、これまで留学中に愛用していたThinkPad X31があり、それを出先用のマシンにして、かわりにメインマシンが必要になったという事例です。ThinkPad Tシリーズは、「ノートパソコン界のメルセデスベンツ」と勝手に僕は読んでいますが、高価ではあるけれど高価な分しっかりとした作りで長期間の酷使にも耐えうるものと思います。

  • T43のなかでも、もっとも機能の充実した2668-92Jという型が良いでしょう。15インチ液晶で解像度はSXGA+。液晶が大きければ目にも優しいですし、高解像度だと一画面でワープロや画像ファイルなど、複数のアプリケーションを一覧しながら作業できます。作業効率が高いというわけです。またこれはDVDマルチドライブを搭載しているという点でも良い選択でしょう。メモリは512MBあらかじめ搭載されていますので、それだけでも十分動作すると思います。ですから今回の購入はとりあえず本体だけで様子を見て、メモリが不足していると思えば後から購入すればよい。

T43にもいろいろな型がありますが、一般的に言って最近のノートパソコン選定のポイントは液晶画面にあると僕は考えています。とりわけ液晶サイズというよりは、液晶に表示できる解像度の広いもの(SXGA+)が、史料を読みながら論文や講義ノートを書く僕らには必要です。

  • 高いという場合には、僕は作業効率という点で液晶の解像度を重視するので、DVDマルチドライブをDVD/CD-RWコンボドライブにグレードダウンして2668-8BJ という型。IBMの場合、DVD系ドライブはあとから換装可能なウルトラスリムドライブという規格なので、後々DVDマルチドライブだけ購入することも可能です。それに対してSXGA+という高解像度の液晶部分は後から交換はできません。そうした意味からも、ノートパソコンを購入する際に液晶部分で妥協してはいけません。

ThinkPadの良さは、そのキーボードのタッチのすばらしさやブランドイメージに基づいた安心感だけにあるのではなく、こうしたドライブ類を後から必要と資金に応じて交換できるという拡張性が確保されている点にもある(…Lenovo社になってどうなるかわかりませんが…)のです。次にモノクロレーザープリンタについて。

  • 同僚の間ではEpsonのものが評判が高いですね。カタログを見る限り、3万円程度で20PPM(1分間に20枚印刷ということ)という高速度印刷を実現しているLP-1400が良いと思います。

レーザープリンタの場合、スイッチを入れてからの立ち上げ速度と1分間あたりの印刷速度(この単位をPPMと言います)を基準として判断すると良いと思います。長文になりますので、ひとまずこの発言はこれで終わりにします。

2005年5月18日 (水)

大江戸前世占い

どうにもこうにも疲れが抜けず、昼休みにこんな占いで気分転換。僕は「遊女(花魁)」と判断されました…。結構当たっているかも…。ついでに息子と産まれたばかりの娘の前世を占ってもらおうと思ったら、2002年も2005年も設定にありません・・・若いんだなぁ。

デジカメ雑感

静岡県立大学にいらっしゃる栗田先生が、無事梅田のソフマップにて「物欲」を開放され、コニカ・ミノルタのディマージュZ3を購入されたという話を読み、デジタルカメラのことについて思っていることをそろそろ書いてみようかなと思いました。

栗田先生も指摘されていますが、デジカメにもいろいろなカテゴリに属する機種が売られていますので、自分の用途に応じて(後悔のないように)購入する必要があります。僕は瞬時に光を数値化してその場に最適な撮影設定を考えることができないので、そしてなにより被写体と構図の関係を「芸術」的にとらえることができないので、人物や風景を写真に撮ることがとても下手です。(妻からはよく「よくもまぁこんなに下手な写真が撮れるわね。」(妻からこの部分を太字ゴシックで強調せよとの指示です)と揶揄されること、しばしばです。)ですから人物や風景を撮ることはほとんどせず、用途としては資料撮影など画像メモを撮るということに限定して、それに適したデジカメの自動撮影設定があるものを使っています。

いろいろなメーカーのデジカメを使ってきましたが、こうした僕のようなユーザからすると一番撮影が楽なものはカシオのEXILIMシリーズだと思います。カシオといえばかつて(日本中の親父層を毎回感動させている)『プロジェクトX』でも紹介されたように、デジカメ開発の老舗ですから、その基礎体力は確実なものがあります。僕はちょっと古いEXILIM Z3を普段持ち歩いていますが、文書撮影モードという撮影モードがあらかじめ設定されていてマクロだの露出だのの設定が最適化され、しかもファインダーに格子が現れるのでテキストもビシッと収まりるので、それなりに便利です。

一般的に言ってデジカメで撮影された画像には各社が採用しているレンズやCCDの特性から、微妙に色合いなどの点で各社それぞれの性格が現れます。結論から言って、そうした各メーカーごとの撮影結果の違いについては、個人的な好みの問題で対処するしかありません。(もちろん撮影した画像をあとから画像加工する手間を加えればどのメーカだって良いのですが。)この点で、例えば僕はソニーやパナソニックといったメーカーのデジカメが写し出す画像特性が嫌いなのです。そして、上で紹介したカシオのデジカメについても、確かに画像メモを撮影するという意味では設定が楽なのですが、色合いが少し青みがかって撮られる傾向を感じていて本当は好きではありません。

資料などをメモするときに、僕は少し黄色みがかった「白」主体の画像を好むのですが、そうなってくると経験的な主観的判断から言って、キャノンのデジカメを好みます。図らずも栗田先生もキャノンのPowerShot S40を資料撮影用にお使いだと紹介されていましたが、実は僕も本格的な資料撮影ではPowerShot S45というちょっと前に売られていたデジカメを使っています。

例えば画素数が高いからといったような宣伝文句につられて新しいものを買ってしまうと、実際に撮影してみて「なんだか話が違う」と後悔することがあります。確かに、画素数が高くなると理論上詳細に描写できるようになるのですが、色合いや光の具合も詳細に再現されるかというと一概にそうとは言えません。CCDにおける受光面積は限られていますので、その面積のなかで画素数が高くなると一画素あたりの受光量は少なくなり、撮影された画像が暗くなったりする「可能性」があるのです。従って、画像メモ用のデジカメ選択のポイントは、画素数とCCDの素子面積とのバランスにあるというわけです。コンパクトなデジカメだと1/1.8型のCCDが主流かと思いますが、この面積で高画素のものになるとくらーい感じ、青みがかった感じが強くなると個人的には感じています。ですから、僕はちょっと明るめの色合いのほうが個人的には資料を読みやすうので、同じ1/1.8型のCCDならば多少低い400万画素くらいのものを使っているということです。

以上のことを勘案すると、例えばCCDの受光面積が広ければある程度画素数は少なくても、画像メモ撮影に問題はないという次第。この点、新しいデジカメのなかでは文書撮影時の画像補整機能をもった撮影モード(ビジネスショットモード)のあるカシオEX-S100に注目していますが、今のところ現在のデジカメ環境に問題を感じていないのでこれの購入はスルーです。

そして手ぶれしない撮影のためには、文書館へさすがに三脚を持ち込むのは躊躇するので、ネックストラップを使います。資料とデジカメの距離を首もとで長さ調節し、ストラップをピンと張って、いわば体を三脚代わりに使っています。

カメラのことは本当に難しいので、より詳しい人に教えを請いたいことが多々あります。

西洋史学会で感じたこと(2)

今回の西洋史学会における公開のセッション(…このブログにおいては公開のセッションに限定して興味深かったことや問題と感じたことを発言しています…)において僕個人が楽しんだ時間のひとつは、公開シンポジウム『ヨーロッパの港町』でした。(技術的なサポートは一部失態をお見せ致しましたが。)東京大学の深沢克己教授による大変明晰な問題提起からこのシンポジウムははじまりましたが、先の僕の発言に関連して言えば、例えば深沢先生のプレゼンはパワーポイントのような小手先の技術など必要とするまでもなく、今回のシンポジウムへ至る問題設定の在り方とそれを論じることの意義を整理されている点に感心します。問題提示をクリアに示すことは報告者の誰もが行う作業ですが、それを論じることの意義が社会的にどのようなところにあるのかを整理することによって、はじめて異分野を研究している人、あるいは西洋史とは全く関係のないところに生きる人に対しても、議論の必要性を理解してもらい、その研究の価値をも認めてもらえるようになります。今回のシンポジウムの場合(どうもネット上ではすでにこのシンポジウムでの個別報告やコメントについていろいろな意見が飛び交っているようですが)、西洋史以外の領域を巻き込んだ点(…ここで注意を促したいのではもはや東洋史や日本史との交流は当たり前で「それを超えた」!というところ…)、単なる研究者ためだけの議論ではない点、例えば行政関係者や「神戸」という港町をめぐる人々との協業関係を戦略的に目論んでいたという点が僕には斬新でした。

日本における西洋史学をはじめとする人文系学問の在り方がもはや純粋に学問的な成果を声高に叫んでいただけでは社会的に顧みられることが少ない危機的な状況にあることは、以前このブログでも述べました。僕は今回のシンポジウムはそうしたことに対応する学問側からの一つの戦略が伏線として示されたのだと理解しました。それぞれの大学における西洋史学あるいは学問全般をめぐる厳しい現状について、昔なじみの勝手知ったる仲同士で愚痴りあいたくなる気持ちはわかりますし、僕もそうした状況を愚痴りたい。でも昔なじみの勝手知ったる仲だからこそ、そろそろ知恵を出し合って西洋史学界をめぐる危機的状況にどのような戦略を立てて乗り切っていくか、真剣に論じあうべきところに来ていると感じた今回の学会でもあります。

ところで『海港と文明』(山川出版社)や今回のシンポジウムに表明された社会=文化史の作業用具としての経済地理学的モデルたる海港という深沢先生の考え方、とりわけ今回のシンポジウムで明確に提示された「界面」としての港湾都市というテーゼは、ここ数年僕が大阪外大で学生諸君とともに取り組んでいる「北欧の地誌」という授業での都市論に共通する分析視角であり、その点でこのシンポジウムが興味深かったということでもあります。僕が大阪外大で教えるようになってからいつも抱えている悩みは、ディシプリンとしては普遍的に「人間」をめぐる問題を対象とした歴史学で訓練を受けた者が、例えば「スウェーデン」や「デンマーク」のように地域文化に深く沈潜してそれらのもつ特殊な個性を掘り出して教えねばならないという点です。「北欧の地誌」という授業は、その担当が任されたときから実験的にいろいろな学問的手法や授業運営の方法に取り組んでみようと思いましたので、毎年一学期の授業では人文地理学の手法にこと寄せながら北欧の「都市」に立脚したグループ学習を、二学期は文化人類学の手法にこと寄せながら広く北欧の「風俗」をめぐるグループ学習を、直接北欧語による情報を活用しながら学生諸君とともに(これは大阪外大の学生でなければできないことです!)取り組んでいます。これらの企ては一般的に現象学の分野で言う「生活世界」の解明に歴史学とは異なる視野から迫ってみたいという僕自身の知的冒険の過程の反映でもあります。大阪外大で教えるようになってからの数年間の僕の歩みは、いわば北欧の「生活世界」へ沈潜する過程だったとも言えるわけです。図らずも今回のシンポジウムで深沢先生から提起された問題は、こうした僕の関心を捉えたもので興味深かった次第です。

個人的な話で言えば、今回の学会ではすでにこのブログをご覧の方が多くいらっしゃいまして、久方ぶりにお会いしてみると挨拶もそこそこに、このブログで発言した内容にいろいろと質問や批判を頂けるという、ある意味「幸せ」な経験を得ました。ブログの影響力を再認識させられたわけですが、とりわけ集中した話は(やはり!)コンピュータ=リテラシに関するお話でした。ここで紹介したPDF ReaderのことやTablet PCのこと、はたまたPDFとパワーポイントを組み合わせた授業運営のことなど、質問は多岐にわたりましたが、そこで実感したことはいずれこうした技法を集中的に蓄積し、さまざまな要望に応じて最適なソリューションを提案するようなデータベース(あるいは組織)が必要かなぁということです。みながみな、こういうことに詳しくなる必要はないのですけど(あるいは高価な道具をもつ必要はないのですけど)、こういった技術の恩恵に浴する機会は平等に開かれているべきだと思っています。例えば自分が研究や教育で「こういうこと」や「ああいうこと」をやってみたいと頭に思い描いているのだけれども「そんなこと」ってできますか…なんて問題が出てきたら、それに対して文系的な言説の枠組みで(つまり難しいコンピュータ用語を使うことなく)技術的なアドヴァイスをするようなところがあって、こうした知識を共有できる道筋が開かれてもいいのかなぁとも思いました。

なんだかんだと発言が多岐にわたりましたが、天気が良かったこともあって昔なじみの先生や先輩方と爽やかに楽しい時間がもて、いろいろと「勉強」させてもらった学会であることに違いはありません。無念だったことは、懇親会で神戸牛を食べ忘れたことです。明石焼なんかにパクついている場合ではなかった…。

2005年5月17日 (火)

TabletPCをリプレースできるか?!

日本西洋史学会で出会った多くの方から、このブログで紹介したTabletPCのことを質問されました。うん、確かにTabletPCは工夫次第で教育効果の高い道具だと思いますが、しかし値段が高いのが玉に瑕で、なかなか購入には踏み切れないという意見も聞きました。

そんなこんなで多くのTabletPCに採用されているタブレットデヴァイスの開発元であるワコム社のホームページを見てみたら、大変コストパフォーマンスの高いペンタブレットが発売されているようです。BizTabletという製品ですが、直販価格でなんと3,990円

これはUSBケーブルでノートパソコンに有線接続させるペンタブレットですが、200gと軽量ですので教壇(演壇)の上ではパソコンからこのタブレットだけを離して操作し、アドリブでコメントなどを画面に書き込むことができます。本体そのものがペンタブレットであるTabletPCほどの機動性は確保されませんが、それでもすでに手元にあるノートパソコンを使ったプレゼンテーション技法を「格安」で変える可能性を秘めた道具ではないかと思い、ここに紹介します。(うーむ、こういう風に紹介しておきながら、これMacOS Xで使えないので僕はちょっと見送りか…でも、試してみたい道具であることには変わりありません。)

僕はといえば、さらなる新兵器の導入を企てています…ワイヤレスプロジェクターアダプターという道具ですが…。ノートパソコンやTabletPCを使ったプレゼンテーションでいつも嫌になるのはケーブルの取り回しで、これに行動範囲が制限される点です。この道具を導入することでプロジェクタもワイヤレス化できれば、自由に動き回ってのプレゼンができるようになります…というか「なるだろう」という目論みです。導入後の評価はおってこのブログにて紹介します。

「飛び道具」とか「新兵器」とかいう言葉(というかモノ)に弱い僕ですが、そんな僕なので「グスタヴ王」などと呼ばれてしまうわけですね。光栄です(笑)。

急告 スウェーデン歴史ゼミの参加者へ!

明日18日のゼミですが、報告者急病のため急遽休講とします。今後ゼミの日程は基本的にそのまま一週づつスライドさせることにしましょう。よろしくお願いします。

西洋史学会で感じたこと(1)

いつの頃からか西洋史学会に参加するときにいつも感じていた緊張感はなくなり、毎年楽な気分でその場に居合わせるようになりました。さすがに今年は裏方の仕事を依頼されていましたので失礼がないようにと…その点では緊張感を維持しましたが、その一方で学会会場の各所での会合・邂逅・懇親会などなどではリラックスした気分で「場」を観察しています。(今回の個人的サプライズは、懇親会の後の二次会の席で気が付いてみたら僕はなぜか西川正雄先生の隣に座ってお話させて頂いたことだけです。なぜ僕がドイツ史研究者たちの宴席に紛れ込んでいたのか、それだけが分かりません。)

そもそもこの学会は一年に一度の西洋史学研究者のための「祭典」であり、普段は日本中・世界中に散らばっている人がこの日ばかりは学会会場に集まってくるのですから、ある意味「同窓会」のような雰囲気が溢れています。久方ぶりの先生、先輩、後輩との出会いと近況を知ることは大切な学会の機能です。オフィシャルなことからプライベートなことまで、いろいろな話があって貴重な情報交換の場としても機能します。また普段論文や本のうえの研究でしか知り合えない方々に実際にお会いできる楽しみもあります。その場で意気投合すれば新たな共同研究への踏み台として学会は機能しますし、出版社の方々も来ていますからそのまま仕事という流れもありえます。いずれにせよ、みな同じ歴史学徒であることにかわりはなく、前提として共通の学問的・知的土台に立っている人たちの集団ですから話がはやくすすむので、そうした意味では居心地の良い「場」です。

学生の立場からすれば、学会のそうした「雰囲気」を楽しんで「機能」を活用できるような余裕がなく、緊張するのもわからないではありません。僕もかつてはそうでしたから。とはいえ…それにしても今回の学会(とりわけ個別報告)に参加して思ったことは、院生の報告者たちが「行儀が良すぎる」というか、「打たれ弱い」というか…なんていうのか、もちろんみな地道な史料調査を重ねてまじめに勉強を積み重ねてきた結果を披瀝しているということはよく理解できるのですが、報告というのは質疑応答という「他者」とのコミュニケーション作業を加えての「報告」ですから、報告文を読み終えてそれで終わりなのではなく、やはり質疑応答も乗り切ってこそ自分の研究の真価が問われるというものです。僕などは質疑応答でのアドリブな受け答えの様子を見て、その人を判断する材料の一つにしますが、もう少し学外の研究会などに積極的に参加して、普段から学外の研究者と交流してディベートを積み重ねて、学会の「雰囲気」を楽しめるような余裕をもちあわせるべきと思います。本来、学会はそうしたコミュニケーションの応酬の「場」として楽しい場所なはずです。

そして、おそらく院生のこの話と通底する問題なのだろうと思うのですが、僕が感じたもう一つの問題は西洋史研究者のプレゼンテーション能力の低さです。もちろんこれは技術的な問題ということではありません。無理にパワーポイントなどを使う必要はなく、アナログな手法でもまったくそれは構わないわけです。パワーポイントはあくまでも歴史の「語り」の作法を補助する手段に過ぎず、例えそれを用いたとしても語り手の一方的な自己満足に終わってしまえば、パワーポイントは無駄に終わります。つまり「語る」際の議論の整理の仕方と話し方と会場の雰囲気のつかみ方次第で、パワーポイントなど用いなくても効果的にプレゼンテーションができている研究者を見かけた場合、それは「語り手」と「聞き手」の双方向なコミュニケーションが成立していることが成功の要因なのだと感じとることができるでしょう。

しかし多くの報告者は聞いていて「つまらない」。いや正確に言うならば、もちろん情報のインプットの段階、つまり史料調査と分析の段階はとてもしっかりとこなされているんだろうなと思うものがほとんどなのです。しかし肝心の報告技術が「ただ紙切れを読むだけ」のものだと、せっかくの斬新な議論も何がポイントなのかが、30分なら30分の報告時間のなかで明示されず埋もれてしまい、聞いている側としてはそれが伝わってこないから「つまらない」となるわけです。

西洋史研究者に見られるプレゼン技術の低さという問題は、日本における西洋史学界という大局的な見地からすればかなり深刻な問題だと僕は思っています。戦後日本社会のように学界外にあって知的関心を有する人たちのほうから西洋史学に接してきた時代とは異なり、学界外の人たちがほとんど西洋史学に関心を寄せることのない今の日本にあっては、そもそも西洋史学の存在意義はどういったところにあるのかが根本問題なわけです。そうした問題に関して西洋史研究者自身が日本社会に対して意見を発信していかねば死滅してしまいかねないのにそれを有効にできないでいる一つの要因は、西洋史研究者側にある意見の表明方法としてのプレゼン能力の低さにもあるのではないでしょうか?もちろん一人一人の研究者が真摯に史料を向き合うことが西洋史学の根本に据えられるべきですが、そうした作業を踏まえて得られた知見もうまく外部へ発信されねば、単なる自己満足として終わるのであって、残念ながらそこに「意義」は見出されません。自分の研究の「意義」は自分が評定するのではなく、他者(ないしは社会)が評定するものだからです。西洋史研究をめぐる今後の状況は、例えば資金などの面においてますます厳しさを増す一方と思いますが、他者に対して有効に意見表明できる術を身につけなければ外部資金も獲得できず、すなわち資金のない研究には引導が渡されるまでです。研究の分析視角や対象はおもしろくても、プレゼン能力の乏しい「つまらない」報告がいまだに多いということは、こうした日本の西洋史学界をめぐる危機感が低いということの証左ではないでしょうか?

長いので続きは別の発言とします。

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

来週5月24日の講義ファイルをアップします。以前にも書きましたが。教科書が届いています!早速今日17日の講義時間中に頒布したいと思いますので、注文した人は3000円を用意してきてください。よろしくお願いします。

第6回 主権国家体制と国際戦争の展開 をダウンロード

2005年5月16日 (月)

ご無沙汰しております

先週末神戸大学にて開催された日本西洋史学会第55回大会に参加しており、しばらく発言が途絶えました。ようやくその仕事からも解放されましたので、通常業務に復帰します。この間、多くの方から第二子誕生についてお祝いのメールやお言葉を頂きました。ありがとうございました。とりわけメールを頂いた方にはこれから返信を書いていきますので、今しばらくお待ちください。

また(いつものことですが)日本西洋史学会では多くの方との新たな出会いがあり、また多くの方からの有益なご助言・ご指導を賜ったこと、この場を借りて御礼申し上げます。今年の学会につきましては近日中に発言したいと思います。そもそも僕はいろいろな出会いがあるがゆえに学会を毎年楽しみにしていますが、とりわけ今回の学会については普段お会いすることができない神戸大学の学生・教員のみなさんと裏方で共同作業することができたことを嬉しく思います。実際には神戸大学のほかにも、関西大学や京都大学などからも学生のみなさんが仕事を手伝いにきてくれていました。無事に学会を終えることができたのも、裏方でこうしたたくさんの学生のみなさんの力があってのことと思い、何日も前から夜遅くまで準備作業をしてくれたみなさんにあらためて感謝します。

僕は土曜日から月曜日まで三日間、早朝から神戸大学に通いました。(もちろんこのような経験ははじめてでしたが、豊中から十分に通学できると思いました)

一日目の公開シンポジウムでの技術サポートについては、二つの離れた会場を結びながら全く見ず知らずのシステムを一カ所でコントロールするという困難な条件下での仕事だったわけですが、音声関連の不手際があったことは明らかなミスであり、シンポジウムの報告者のうちマイクの調子が悪かった東京大学の深沢克己先生と桜井万里子先生にはあらためてお詫び申し上げる次第です。(ここで学んだ教訓は、画像については問題ありませんが、音声についてはしつこいくらい事前チェックをすべきということです。一応今回もマイクチェックはしていたわけですが、別会場との連絡やマイクの電池残量までは確認してませんでした。)

二日目は近世史部会に会場責任者として張り付いていました。近世史部会は滞りなく進行しましたが、これは各個別報告の報告者と司会者の方々の周到な準備もさることながら、僕をバックアップしてくれた神戸大学、関西大学、京都大学からの三人の院生諸君の無駄のない迅速な仕事ぶりがあってこその成功です。よくやってくれました。ありがとう。

というわけで先週産まれた娘に会うこともなく、神戸と豊中を往復する毎日で、正直に言えば体力的には相当に消尽しました。しかし気力の面では、先にも述べた新たな出会いと学会・研究会で新たに得られた知的な刺激から相当に充実した日々でした。

2005年5月13日 (金)

事務手続との格闘

昨日の第二子誕生につき、いろいろな方からお祝いのメールを頂いております。現在大変たてこんでおり一人一人に逐一返答ができない状態ですが、いずれご回答さし上げますので、今しばらくお待ちください。申し訳ありません。この場を借りまして、暖かいお祝いの言葉の数々に感謝申し上げます。

さて今日は、もとより明日からの日本西洋史学会の準備のために一日予定を空けていたのですが、結果的に新たに産まれてきた子供のために時間を費やしました。出産直後の妻はゆっくりと休んでもらわなければなりませんので、今日はやんちゃになってきた息子をつれての強行軍でした・・・子供が産まれてくると現実には感慨に耽っているような余裕などなく、まずは様々な事務手続きの山との格闘がはじまります。

今日はまず本務校へ出頭し、事務方(これは所属大学によって様々だと思いますが、僕のところの場合、子供関連は独立法人化後は人事と財務の管轄です)に報告し、指示を受けます。後進のみなさんために参考までに整理してみましょう。例えば今回事務方に提出せねばならない書類は、扶養親族届や扶養申立書、共済組合から支給される一時金申請書、共済保険の書き換えのための被扶養家族申請書などです。で、扶養親族が増減した場合にはそれを証明するためのものとして住民票の写しが必要になりますから、次に市役所へ出生届を出して、新しい住民票を作ることになります。

今日の場合、産院にいる妻と娘のもとへは、市役所へ行く前にはじめて訪れることができました。ここで必要なことは赤ん坊の命名、母子手帳の一時取得(母子手帳は出産時産院で管理されています)、産院の署名の入った市役所提出用の出生届の取得、共済組合からの一時金申請書への産院の医師(あるいは助産師)の署名申請です。赤ん坊の名前を最終的にここで決定し、産院のナースステーションから一時的に母子手帳を預かって、一路市役所を目指します。

市役所ではまず戸籍課(住民票などを扱うところですね)へ行って、母子手帳とともに命名した赤ん坊の名前を記入した出生届を出す。これが受理されてはじめて、正式に赤ん坊は日本国民として登録され、さまざまな公的サービスをうけられる対象になります。ここで同時に大学へ提出するための新しい赤ん坊の住民票を申請します。住民登録システムの書き換えは時間がかかりますので、その間に子育て支援課に行って、児童手当の申請と児童医療保障の申請のための指示をあおぎます。児童手当の申請は、これまでは本務校にしていたのですが独立法人化後は市役所が窓口にかわったのだと聞きました・・・これは今日行ってはじめて知った事実で、つまり長男の児童手当については、昨年一年分は(もし児童手当申請が受理されたとして)受け取れず損をしていたということですね。(なんで知らされなかったのだろう・・・。)「独立行政法人国立大学○○大学」にお勤めのみなさんは市役所へ児童手当を申請する点、注意が必要です。(知らなかったのは、僕だけなのか?!)そのほかの児童医療保障の申請は大学での保険証の書き換えが必要ですから、今日はこの時点で戸籍課へ戻り新たな住民票を得て、産院に立寄って母子手帳を看護士さんに返却して、帰宅。

どうです!これが子供をもつ現実・・・大変そうにみえますよね。でも子供関連の話はどこへいってもわかりやすく内容を説明してくれるので理解しやすいし、職員さんも手慣れたもので、ほかの業務に比べれば手早く済みます。大学と市役所でそれぞれ複数の手続きをする必要がある点が大変ですが、おおむね事務処理の方法としては子供関連のことはよくできたほうではないでしょうか。そして、なによりこうした手続きの苦労を乗り越えたところに、子供のかわいい顔が待っていますからね・・・ほかの書類書きと比べれば、まったく苦痛には思えませんよ。

ところで、娘の名前は「歌子」としました。別にナイチンゲール(北欧神話では豊穣神フレイヤのお気に入りだったそうですね、この鳥・・・)のように美しく歌をさえずるように・・・とかいうこじつけではなく、妻と僕が敬愛する同僚の先生の名前の一部を頂いてつけた名前です。

さて、明日から日本西洋史学会が始まる訳ですが、全く心の準備が整っていません。でも遠くから普段お会いできない先生や先輩、友人、後輩が今回は近場の神戸にやってきますから、そうした人たちと再会できることは楽しみです。

2005年5月12日 (木)

第二子誕生!

我が家に第二子が産まれました。(先ほど帰宅して、長男を寝かしつけてようやく机に向かっています。)12日の午前12時12分というなんとも奇遇な巡り合わせの数で産まれてくれました。

第二子は女の子。産院へ行ってから4時間ほどで産まれましたので、17時間かかった長男のときと比べると産まれるまでの時間がだいぶ短く感じましたが、やはり妻にとっては劇的な苦痛のともなう時間だったことにはかわりありません。今回は出産の寸前まで立ち会い、2歳になる長男も一緒だったので最後は部屋の外に退出させられたのですが、最初は「一緒に家へ帰ろう」と泣き叫んでいた長男も、いざ出産間際となるとその尋常ならざる雰囲気に冷静になったのか、「大変なことになってるねぇ」と妙にクールな発言をしつつ、いざ産まれた妹に対面してみると、「よーしゅけ(長男の名前は庸典と言います)です」と自己紹介しながらはじめてみる出産直後の赤ん坊に楽しげに接している様子・・・。このあたりの応対ぶりが長男のたいしたところだと我が子ながら感心しました。

で、長男が産まれてきたときと比べると(産院の違いもあったのかもしれませんが)今度の赤ん坊はまるで「血の匂い」がせず、“ガッツ”的風貌をもって産まれ落ち人間進化の過程を白日の下にさらした長男とは異なり、娘はとてもかわいらしい顔立ちをしています。また出産直後一声しかあげずねむりこくった長男とは異なり、彼女はいわゆる赤ん坊の定型的イメージ通りで元気に泣いています。父としては長男も冷静なまま、母子ともに健康で出産が終わったことを大変うれしく思っています。

今回の出産劇で奇遇だったことは、数字の並びだけにとどまりません。昨日は5時間目まで授業があったのですが、妻からの電話連絡を受けてとんぼ返りで宿舎へ帰り、そのまま産院へ行ってみると大阪外大の先生で同じ宿舎の同じ棟に住んでいる方にそこでばったり出くわしたのです。そしてなんとその先生のところもほぼ一時間違いで第二子がお産まれになった!この先生のおうちにも2歳になるお子さんがいらっしゃるのですが、その子の誕生日はうちの長男の3日違いとのこと。まさかここまでうちの家族構成と似てくるとは運命的なものを感じずに入られません。しかし今になって思えば、深夜のとある産院で大阪外大の教員が二人してお産の話に興じている姿は客観的にみるとなんとも奇妙な光景だったと思います。(I先生、あらためましておめでとうございます。)

長男については、その誕生日が世界史に名を馳せるスウェーデン王グスタヴ2世アードルフの誕生日と一緒で、そのことを出産後しばらくしてから偶然知ったときには、自分自身がスウェーデン史のことを勉強し教えていることに、いやがおうにも「運命」を感じざるをえなかったのですが、今回はさすがにそうした北欧絡みの奇縁は(今のところ)見いだしていません。5月12日というとかのナイチンゲール女史の誕生日だということくらいしかイメージが湧かないのですが、先ほどよくよく調べてみると、なぜか今日は「ザリガニの日」だと言います。うーむ、ザリガニ。ザリガニと言えば、夏の風物詩としてスウェーデンの食生活に欠くことのできない重要な食材ですが、まぁ無理矢理こじつけるならば、このザリガニくらいしか北欧との縁は感じられないのですけど・・・さすがにザリガニ絡みのネタでは娘に申し訳ないので、この話は娘にしないでおきます。

さて、こうして無事に第二子が今日産まれてくれたことで、この週末に神戸大学で開催が予定されている日本西洋史学会第55回大会で依頼を受けた仕事にも集中できそうです。実はこの学会の終了後、とある研究会で東京大学助教授の長谷川まゆ帆先生が公刊された『お産椅子への旅—ものと身体の歴史人類学』(岩波書店)の合評会があるのですが、何を考えていたのか、僕の妻は妊娠中僕の本棚から長谷川先生から頂いたこの著書が面白そうだと言って、産院へ幾たびに持参して読み返し、出産に臨んだという古谷家的には曰くつきの書。僕も今回の出産劇の記憶が新鮮なまま、その合評会に参加できるというもので、そうした点からのコメントも用意できそう。これまたなんという奇遇!

最後に一言。諸々の意味を込めて、お母さん、新しい生命をありがとう。そしてお疲れ様でした。

急告 現代北欧地域論4・北欧文化講義II 「北欧史」を受講しているみなさんへ

北欧史の講義で指定した教科書(百瀬宏・熊野聰・村井誠人編『新版世界各国史21 北欧史』(山川出版社))が昨日山川出版社から届きました。頒布価格は3000円。来週17日の授業の際に販売しますので、注文した人は代金を用意しておいてください。

2005年5月11日 (水)

急告 「北欧の地誌」を受講している学生のみなさんへ!

大阪外大で火曜3時限に開講されている北欧文化特殊研究Ⅰ「北欧の地誌」を受講しているみなさん。先刻ご承知のとおり、受講者多数につき教室が手狭になりましたので、来週17日の授業からA203教室へ教室を変更します。よろしくお願いします。

急告 デンマーク歴史ゼミの参加者へ!

今週5 月13日金曜日のゼミですが、14〜15日に神戸大学で開催が予定されている日本西洋史学会の準備に対応するため休講にすると以前話していました。先週のゼミの時間やこのブログの発言のなかで「来週もやる」という発言をしてしまいましたが、それを撤回します。申し訳ありません。当初の予定通り13日は休講とします。

PDFファイルが閲覧できない場合

大阪外大と関西外大のみなさんのなかから、僕がこのブログにアップロードにしているPDFファイルをダウンロードしてみても「ファイルが壊れています」とか「ファイルのデータ形式が異なります」とかのエラーメッセージがでて、閲覧できないという指摘を(たまに)受けます。その場合、以下の点を確認してもう一度閲覧を試みてください。

(1)最新のAdobe Readerを使っているかどうか?

最新のヴァージョンはAdobe社のサイトから無料でダウンロードできますので、それをインストールしてもう一度閲覧を試みて下さい。

(2)データ転送が途中で途切れていないかどうか?

時間帯によってはネットワークが混雑していてデータ転送が途中で途切れやすくなる場合があります。例えば午後10時から午後12時頃がそうです。この場合には、比較的ネットワーックがすいている午前中にダウンロードを試みるか、高速度のデータ転送が可能な大学のネットワークを利用してダウンロードを試みてください。

この指摘をくれた、とある大阪外大の学生が僕にくれたメールのなかで、「ハードが古ければ、新しいソフトを使えない。ソフトが古ければ、新たな知が得られないといったところでしょうか。」と書いています。蓋し名言。僕もその通りだと思います。

わからないことがあったら、気兼ねなく僕に質問してみてください。

2005年5月10日 (火)

北欧における「ナショナル」と「インタナショナル」

疲れているのに眠れないので、ちょっと思ったことを一つ。昨日本務校へ赴いた際にデンマーク文学を専門とする同僚の先生へ唐突に不躾な質問をしました。

「今年はアンデルセンの生誕200周年だけど、なぜデンマークではアンデルセンだけが有名なのか。」

同僚の先生曰く、「口語文学ということもあるけど、彼の創作童話に見られる創造性はデンマークに限ってみればアウトサイダー的なものだが、世界的には普遍的価値と映ったのではないか。アンデルセンはデンマークでなく、ドイツで認められて評価があがった。」

うーむ。このときに僕が思ったのはノルウェーのイプセンのこと。彼の人生はまさに「ペールギュント」そのもので、ノルウェーではほぼ認められず、大陸で認められ世界的な名声とともにノルウェーへ帰国したわけです。ほかにも北欧の文化人で世界的に名の知られている人は、例えばノルウェーなら画家のムンクもドイツで認められたわけだし、スウェーデンでは例外的に名の知られているストリンドバリも『令嬢ジュリー』などは大陸へ逃避行していた時期の作品。デンマークにはもう一人キュルケゴールがいるけれど、彼だってベルリンでシェリングやヘーゲルに触発されて思索をはじめ、その思想は20世紀にはいってからドイツの実存主義を標榜する思想家によって「発見」されたもの。フィンランドのシベリウスだって、ドイツやオーストリアでの研鑽があってこその成功でした。(彼は本当はロシア音楽の影響が強く、ペテルスブルクへ行ってリムスキー=コルサコフに師事したかったけど実現できなかったという話は意外と知られていて、だから彼をロシアに対する「フィンランド・ナショナリズムの闘士」みたいに扱うのは、後のフィンランド建国で利用された言説にすぎないじゃなかろうか。)

こうした世界的に名を知られる北欧の文化人に対して、もちろん北欧のそれぞれの国には知るに値する文化人はたくさんいます。この文章をアンデルセンからはじめましたから同じ時代のデンマークの文化人を紹介するならば、例えばグロントヴィという思想家がいますが、彼は今のデンマークの文化と社会に多大な影響を与えたキリスト者・思想家としてデンマークではことさら高い名声を得ています。グロントヴィといえば僕たちの国では成人むけの実学重視の教育機関である「国民高等学校」の提唱者として知られています。(例えば、東海大学の建学理念はこのグロントヴィの精神を引き継ぐものです。)

そもそもこの「国民高等学校」は、19世紀後半の第二次スリースヴィ戦争(シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争)においてプロイセン・オーストリアに敗北し荒廃したデンマーク社会を、デンマーク国民の核たる農民たちの手によって「祖国」復興していく過程で重要な役割を担った教育機関でした。(内村鑑三が『デンマルク国の話』で紹介した「外で失ったものを内で取り返す」という精神ですね。)グロントヴィのキリスト教思想は本来キリスト教教義の普遍性を説くことで国王を頂点とする福音主義デンマーク教会を批判するエネルギーを孕むものでしたが、同時代のナショナリズムの思潮のなかで隣国ドイツなどと対抗しながらデンマーク「民族」の歴史的個性を創造しようとした派閥(グロントヴィ派)に利用され、今でも一般的にはデンマーク・ナショナリズムの草創期における精神的支柱を担ったと解釈されています。確かに

ここでデンマーク文化の「ナショナル」なものを代表するグロントヴィと「インターナショナル」なものを代表するアンデルセンを比較することはとても興味深いと思います。農民たちの啓蒙活動や農民生活が育んできた民話収集などを通じたグロントヴィの業績が、彼の意図せざるところで普遍的価値を解釈させる余地を与えず、狭義のデンマーク「民族」性の理解へと結びついたことは容易に理解できます。それゆえにデンマークに懐胎するその独特な文化や社会の性格に親しんだ人たちによって彼の思想が支持され普及し、結果として彼の名前はデンマーク文化の「ナショナル」な部分と結びつき「インターナショナル」な名声を獲得するには至りません。(いやもちろん彼の思想を子細に検討するならば、デンマークを超えた普遍的価値をゆうすることを僕も認めますが、一般的にはそうではないですよね。)

その一方でアンデルセンの場合には、同時代のデンマーク社会においてはアウトサイダーであり全くその同郷から顧みられることがなく、むしろデンマーク「民族」と正反対のところに位置するドイツで認められていった。今やデンマークを代表する文化人としてアンデルセンは紹介されるけれども(今や国を挙げての英雄的文化人ですからね彼は)、そもそも彼の業績が評価されていった道程を振り返るならばドイツで評価されたという点で矛盾を感じずにはいられません。しかし北欧の文化がそれ以外の世界で生きている人たちにとってはなかなか理解し想像することが難しい独特な自然・環境のなかで育まれていったとしたら、そうした環境に受け入れられなかった人のほうが北欧以外の世界の人には理解しやすい、つまり普遍的魅力をもつものとして受け入れられやすい訳です。上で紹介した他の北欧諸国において世界的な名声をもった文化人についても多かれ少なかれ似たようなことが言えるのではないでしょうか。

北欧における「ナショナル」なものと「インタナショナル」なものの対比。これらは相反するものにも見えますが、例えばアウトサイダーとして「インタナショナル」にならざるを得なかった者たちも、その裏面には「ナショナル」なものへの強い対抗意識があったわけですから、むろんそうしたものを通じてでも北欧の固有な性格を知ることはできると思っています。問題は、例えばデンマークを知りたいと思っているときに「ナショナル」なものに沈潜するとある特定の社会で作り出された言説にのみ視点が偏り、「インタナショナル」なものだけではそれを批判する力が強く作用してしまうこと。両者をバランスよく観察する必要があるというわけで、なんとも予定調和的な結論は片腹痛いところがあるのですが、ことほど左様に地域研究は奥深いものです。(この話は北欧における「文化回路」という視点でまた続けようと思っています。)

現代北欧地域論4・ 北欧文化講義II

来週5月17日の講義ファイルをアップします。教科書は今日の時点ではまだ届いていません。おそらく3000円での頒布になると思いますので、注文した人はいつ届いても良いように手元にプールしておいてくださいね。

第5回 主権国家体制と宗教改革 をダウンロード

2005年5月 9日 (月)

摂津・河内強行軍

今日はとある事情があって本務校に立ち寄ってから関西外大に向かいました。ゴールデンウィークも後半戦はそれほど遠出をしなかったので疲れてはいなかったのですが、朝早く豊中の自宅を出て、箕面と茨木の境にある大学へ寄り、間髪入れず枚方の大学へ向かい、授業をこなしてまた豊中へ戻るという次第で、お昼頃枚方へ到着した時点でヘトヘトでした。

本来、摂津国と河内国の境である淀川沿いのこれら地域は、時間と心の余裕があれば「歴史」好きにはたまらないルートであるわけですが(・・・例えば、茨木高槻~枚方に継体天皇のロマンを求めても良いでしょう・・・例えば、京阪に沿って伏見~淀~(男山)~枚方~守口~大阪とエキストラ東海道を巡るのも良いでしょう・・・)、とてもじゃない!今日みたいなハードスケジュールの強行軍ではそれを楽しむ余裕などありやしない!(個人的には高槻とか枚方とかの旧街区の雰囲気が好きなんですが)結果的に本来あってはいけないことなのですが、正直に告白するならば非常勤先の授業にそのしわ寄せが来てしまった・・・。

今日の授業は(ベーシックな内容を扱う講義だったということもあるけれど)集中はしていたけど盛り上がりに欠けてしまった・・・基本の回ゆえに漫然と講義するだけでは雰囲気がよどむことは重々承知のうえだったのに、(実は戦略的に用意してある)余談も空回りが多かった・・・。で、みなさんには心から申し訳なく思い・・・授業が終わった後、一人寂しく関西外大のなかにあるシアトルズベストでアメリカーノのトリプル(結構濃い目のブラックで)を飲みながら、かなり深く反省。いやぁー久々に打ち拉がれました・・・未熟だなぁと。しかしこうした経験もまた勉強のうちであり、再来週以降の講義で価値ある内容を伝えることで信用回復に努めよう・・・と、ようやく豊中に着いて夕日に染まる伊丹空港の方角を眺めながら思い直したのでした。

今日勉強させてもらったことは以下の通り。プロに徹するならば体調管理はどこの業界でも大事。半日のうちに授業を抱えながら摂津と河内を巡行するような無茶なことは金輪際しない。周りの歴史風景を楽しめるような心の余裕をもちつつ、一点集中・・・っと。

地域研究VIII

5月3日に発言したように、「基本」の回の講義ファイルは詳細な内容と地図をあらかじめ付加したものをこれから配布することとし、講義中ではそのなかでとりわけ知ってもらいたい部分を強調して説明したいと思います。従いまして、今日はここにこれまで触れてきた「スウェーデンの基本」と、これから触れる予定の「デンマークの基本」のファイルをアップロードしておきます。「スウェーデンの基本」のファイルは今日の講義では間に合わないかもしれませんが、あとからダウンロードして復習の際に役立ててください。

第3回 スウェーデンの基本 をダウンロード

第5回 デンマークの基本 をダウンロード

2005年5月 7日 (土)

ぼーっと勉強してます

今日の発言はあまり意味がありません。PowerBook G4での入力訓練を兼ねた気分転換です。(新しいOS Tigerの不具合が少しずつわかってきました・・・例えばVirtualPCは作動自体問題はないのですが、起動時に必ずエラーメッセージがでます。)

さてゴールデンウィークも生憎の天気で終わろうとしています。今年のゴールデンウィークは個人的には「外れ」の年で、月曜日も金曜日も仕事をしていました。今日はデンマーク史のゼミで基本的な研究ツールを紹介しましたが、普段使わない大阪外大の共同研究室でその準備をしていたら、隣にオフィスのあるデンマーク人の同僚が、昨日ここで紹介したタブレットPCとプロジェクタの仕組みにえらく関心をもったみたいで質問攻めにあいました。語学教育のプロである彼女からしても、いかに高い教育効果をうむ仕組みが開発できるかは洋の東西を問わず大きな関心の的のようです。(なんだか来週デンマークから建築家が訪れて、そのとき建築のデータをプロジェクタで上映したいと言っていたけど・・・それはお易い御用ですよ。)

で、そのゼミで様々な参考文献の話をしていたら学部生の頃、歴史学の勉強を始めたときの気分を思い出しました。あの頃は北欧史研究の初歩を自分で手探り状態ではじめるしかなく結果的にIT技術に頼ることになり、なんだか僕自身本業は何かわからなくなるほどコンピュータのことに詳しくなってしまいましたが、しかしそうした技術があってくれたおかげで今でも研究を続けていられるのだとも思います。それを考えると手元に様々なレファレンスが常備されている大阪外大の環境は実にうらやましく思います。使わな、損、損・・・ですよ、ゼミ生のみなさん。

でも、外国語大学ってところでは、今なにげなく書いたことが実は深い問題だって感じるときがあります。例えば、学問としての北欧史を勉強するための参考文献が揃っていてもその使い方は指導されるまでわからないわけであって、ひょっとするとそんな文献を知らないまま卒業する人も多いかも知れないんですよね。外国語大学のすばらしいところは学部の1〜2年生のうちに短期集中で未知の言語について相応の運用力を身につけさせる教育を完遂しているところです(これは本当に偉いことしてると思います!)が、その一方でディシプリンの基礎をしっかり身につけさせる時間が少ないので、追々専門的な勉強をはじめようとするとそれへ至るギャップに苦しむことにもなりかねません。(結構、外大の大学院生たち見てると苦闘してますよね・・・がんばれよ。)だからこそ早いうちに懇切にそうした技術を指導する必要があるのですが・・・わかってくださいね、ゼミ生のみなさん。

しかし何故いまSR klassisktでカバレフスキーがかかっているのだろう・・・この間もかかっていたばかりなのに・・・カバレフスキーの『道化師』を聞くと運動会の短距離競走を思い出すので、深夜(といってもスウェーデンはそうじゃないか)に聞くのは酷ですね。そうこうしているうちに今度はプッチーニの「誰も寝てはならぬ」が流れてきた!(僕に徹夜を薦めてくれるのか、この放送局は!)いったいスウェーデン人のこの選曲センスや、これいかに?!(ま、肉団子にジャムを塗って美味い!って味覚の人たちですから、北の「荒地」で生き抜くためには、「なんでもあり」ってことかな・・・ヴァイキングの子孫はえらい逞しいですな。)

で、来週 再来週のデンマーク史ゼミはもう一度共同研究室でやります。予習としてごくごく簡単にこのブログで紹介した「北欧史へのゲートウェイ」をさらってみてください。

2005年5月 6日 (金)

文系教育者・研究者のお役立ちツール(2)

(1)は軽いジャブのような紹介でしたが、今回はちょっとしつこくこの一年間誰にも語らずじっくりと試用を重ねてきたTabletPCについて紹介したいと思います。TabletPCはWindowsXPの派生版であるWindowsXP TabletPC Editionを搭載した可搬型PCです。大きな特徴はペン入力が可能な液晶ディスプレイを搭載している点で、液晶ディスプレイ部分だけで運用できるピュアタブレット型と液晶ディスプレイとキーボードをもってノートパソコンとして運用可能なコンバーチブル型があります。

ペン入力ができるということは手書き入力ができるということで、液晶画面にサラサラとペンを走らせるとなかなか忠実にそれを再現してくれます。ソフトウェアによってはそれを活字化もしてくれますが、このTabletPCの利点はそうした情報のインプット部分ではなく、アウトプット部分にあると僕は考えています。つまり講義や研究発表などの場でその力が発揮される機器だということです。

最近はノートパソコンを用いてプレゼンテーションすることが一般的となりましたが、その場合はあらかじめ用意してきたプレゼンテーションファイルに従って、それを「紙芝居」のようにスライドするだけです。(もちろんマウスを使ってアドリブで情報も書き込めますが、プレゼンの流れ作業のなかでは非現実的な過程です。)TabletPCも基本的にプレゼンテーションの手法はかわりませんが、瞬時に直感的に液晶画面上に文字を書き込むことができますので、プレゼン中に思いついた点をアドリブで入力・表示することが可能です。(あとから付加した情報は保存することも可能ですし、破棄することも可能です。)これができるということは、あらかじめ「わざと」プレゼンテーションファイルに空白を多くつくり、実際にプレゼンをしている場で空欄を埋めるような芸当も可能になるということです。

例えば、僕の講義では一週間前までに次回の講義で話す予定のパワーポイントファイルをPDF化して配布しておき(PDF化の作業はとても簡単で、Acrobat Standardを使うとワンクリックで可能です)、翌週の講義の時間には学生たちにそれを印刷してもってこさせ(意欲的な学生はその印刷ファイルをみて予習も可能でしょう)、講義中は余白を埋める形でパワーポイントファイルを展開し、さらに講義の場でしか話したくないような重要なポイントやその場で補足すべきポイントなどはTabletPCに直接ペン入力をして示します。講義中は90分だったら90分の話の「流れ」がありますから、例えば黒板に補足事項を書くためにいちいちスクリーンを上げ下げしてその「流れ」を途絶させたりすると「場」の雰囲気が冷めてしまいます。ですから講義の「ライブ感覚」を学生と共有するという意味で、このTabletPCは革新的な情報のアウトプットツールだと僕は思います。

僕はhp社のTabletPC TC1100を使っています。この機種の利点は、時と場合に応じて液晶部分とキーボード部分を分離させ、ピュアタブレットとしてもノートパソコンとしても使える点にあります。僕は授業などではノートパソコン型にして用い、会議などではピュアタブレット型にして紙のノートと同じような感覚でメモをとっています。このTabletPCをノートパソコンとして考えた場合、最近の動静からみて多少値の張る点が玉に瑕です。しかしながらコンバーチブル型(この場合、液晶画面だけで分離させることはできず液晶部分は回転するだけですが)ならば、最近東芝から実売価格20万円を切る(kakaku.com情報では17万円弱)dynabook R10という機種も発売されました。これは2.8kgと重いのが難点ですが、DVDスーパーマルチドライブや無線LAN機能を含めてすべての機能をもったパソコンですので、「何かすべてを一台でこなせるマシンが欲しい」というのでしたら良い選択ではないかと思います。携帯ができる1kg台のものというのでしたら、価格の点から言って現状ではhp社のTC1100しか選択肢はないと思います。(僕は安いCeleronのものを使っていますが処理速度は十分ですし(ThinkPad X40などより快速です)、バッテリーのもちもThinkPad X40などより断然良いです。)

このTabletPCは文系教育者・研究者だけのためのツールではなく、大学生が手にすべき理想の学習ツールかもしれません。こうしたTabletPCを用いて情報を集め、レポートを書き、そしてプレゼンテーションの訓練をする。研究者になるにせよ、教育者になるにせよ、あるいは社会にでるにせよ、いかにすばらしい仕事をしていても、それを効果的に相手に伝えられないのでは、せっかくの仕事の魅力が半減してしまうのに等しいからです。

TabletPC、おすすめです。

2005年5月 5日 (木)

文系教育者・研究者のお役立ちツール(1)

Macの環境も落ち着いてきたので、MacとWindowsの違いを問わず、僕自身が普段の教育・研究の現場で使っていて便利だと思うソフトウェアやハードウェアの情報について、「思いついたときに、そのときの気分で」紹介したいと思います。

まずはじめは日本語変換ソフトについて。今更紹介するまでもないかとは思いますが、僕のおすすめはATOKです。はじめは特にこだわりもなくMS-IMEでも、ことえりでも「使う人が使いやすいと思えば、なんでも良かろう。」と思っていました。でも最近になって状況は激変しました。ATOKには別売でATOK用の変換語彙集が用意されているのですが、そのひとつに最近角川類語新辞典が発売されたからです。

普段論文などを書くとき、自分の文才の貧困さから平板な文章表現に悩むことは常で、学部生の頃よりこの角川類語新辞典はいつも机の上に置いて適切な文章表現のために活用してきました。この辞書はかつて電子ブック版が売られていたのですが、電子ブック版の場合、検索ソフトがシソーラス的な活用に対応できておらず、適切な表現を見いだすことが困難でした。

Justsystemから発売されているATOK版の角川類語新辞典は、とりあえず思いついた単語を入力し、それを確定する前にWindows版ならばCtrl+Tab、Mac版ならばcontrol+Wを打ち込むと、その単語に類似する表現が一覧されます。そしてそのなかから最適と思うものを選択すればよい。もとより日本語変換ソフトにシソーラス機能がついていればと強く願っていたのですが、それが図らずも定評のある角川類語新辞典のデータベースで実現したのですから、これを使わない手はありません。(Macの場合、まだ最新のMacOS X Tigerには完全対応しきれていないようですので注意が必要です。Pantherまでなら問題なし!)

おすすめです。

急告 デンマーク歴史ゼミの参加者へ!

デンマーク語の歴史ゼミに参加している学生のみなさん。明日は5時間目にゼミがありますが、歴史学文献を調査する際に必要となる参考文献/参考サイトについて、現物を提示しながら紹介したいと考えています。従って、明日の5時間目はA棟6階に集合してください!ここならば事典などの現物もすぐに紹介できますし、無線LANのアクセスポイントも僕の部屋に立ててあるのでパソコンですぐに検索サイトなどを紹介できます。よろしく。

北欧史研究へのゲートウェイ

大阪外大、関西外大、大阪教育大の学生諸君のなかで北欧史研究に関心があり深く文献検索をしたい人のために、以下に文献検索サイトの「基本」情報を整理します。もちろんこのブログを訪れてくれた方のなかで北欧史に関心のある方も、有効活用してください。

(1)まずは自分の所属する大学附属図書館の提供するOPACにて検索。例えば、関西外大には言語学者として高名だったJ. サールグレンの所収文献が約2800点も所蔵されています。

(2)次に日本国内の大学・研究機関の所蔵文献については、NACSIS webcatにて検索。他大学・研究機関にて目的の文献が所収されていることが明らかになった場合には、文献管理番号を控えて各自の属する大学附属図書館から相互貸借サービスを用いて、コピー(あるいは貸与)を依頼。

(3)日本国内に所蔵されていないからといってあきらめてはいけません。次に北欧諸国の主に中央図書館が提供する文献検索サービスを使って検索し、所蔵場所が判明した場合には各自の属する大学附属図書館の指示に従って文献依頼。

  1. スウェーデンの場合には、Kungl. biblioteketの提供するLIBRISでスウェーデン全国の大学・研究機関の所蔵文献を検索。王立図書館の所収文献については別途Regniaにて検索。
  2. ノルウェーの場合には、BIBSYSでノルウェー全国の大学・研究機関の所蔵文献を検索。そのほか適宜Nasjonalbiblioteketが紹介するデータベースで検索。
  3. デンマークの場合には、Det Kongelige Bibliotekの提供するREXで王立図書館の所収文献を検索。そのほか適宜Danmarks Elektroniske Fag- og Forskningsbibliotekが紹介するデータベースで検索。

(4)古本での購入を希望する場合には、以下の検索サイトで適宜検索。(ただし個人輸入となるので支払いなどには各自注意すること。)

  1. 北欧語の古本については、Antikvariska böcker i Skandinavienで検索。
  2. その他の欧米言語の古本については、とりあえずAbebooks.comで検索。ただしAbebooksにはAmazonのようにイギリス、ドイツ、フランス版のサイトも別途存在。

これらは特定分野のデータベースをのぞく、ごく基本的な文献検索データベースの情報を整理したものです。これだけでも有効活用すれば相応の量の文献情報に出会えるはずです。

2005年5月 4日 (水)

マウス長者

ゴールデンウィークも後半に入りましたが、古谷家では妻がそろそろ出産しそうなので遠出はできません。でも僕は休日になると買い物とか食事とか、出費することでカタルシスを感じるために外出したくなる性格なので、こんな良い天気だと居ても立ってもいられません。そこで自宅の妻から連絡を受けてすぐに帰ることのできる一時間圏内で散歩をしています。で、最近は二歳になる息子がモノレールに乗りたがるので昨日も今日も午前中から昼間にかけて、子守りをかねて千里中央をぶらつき、季節ものの柏餅や粽、ビールなどを買い込んで、青空のもとその味を楽しんでいます。

そういえば、千里中央のスターバックスは及第点でした!息子にも良いサービスでしたし、なにより製品に対する僕の質問にも丁寧に答えてくれた!やはり店員さんの資質で店の感想もかわるものです。

さてせっかくでかけてるのですから、何もお土産がないと面白みがないと思い、ちょっと買い物・・・そしてマウスです。

今の生活で一点豪華主義ができる品の一つがマウスです。僕のコンピュータ選びの基準で大切な部分は、液晶やキーボード、マウスといったユーザが長時間コンピュータで作業するときに触れるインターフェースです。やはり長い時間使う道具ですから、体に優しいものを選ばなければなりませんよね。(最近のコンピュータは文系研究者にとってはオーバースペック気味になってきましたから、今時CPUがどうのとか、メモリがどうのとかでは判断しません・・・そんな基準は古い。)

で、気がついてみたらいつの間にやら僕はマウス長者になっていました。今回のマウスは、昔MacのマウスをつくっていたというLogicool社のV500 Cordless Notebook Mouseです。昔からMacOS対応のマウスをつくっていたということは、はやいはなしグラフィカルユーザインターフェースの老舗というわけですから、この会社のマウスがマウスのつぼをおさえてない訳がない。グラフィック関連のデザイナーに多くのユーザがいるという話も納得です。

研究室のデスクトップPCでは、同社のMX700 Cordless Optical Mouseを使っていますが、ユーザの意思を的確にとらえる敏感な反応は長時間使用していてまったくいらつかせられることはありません。これはLogicool社のマウスに総じて言える傾向で、長年僕はマウスではMicrosoftのものを愛用してきたのですが、MX700に出会って以来、Logicoolにはまってしまいました。(研究室ではタブレットPC用に同社のNotebook Optical Mouse Plus・・・これはデザインとケーブルを巻き取れる構造がいいですね・・・を、厳密に言うとマウスとは言いがたいのですがプレゼンテーション用にBM-1000 Cordless Presenterを使っています。)

今回のものはコードレスマウスで、最近流行の赤外線レシーバ部分がマウス本体に収納できるタイプのものです。すでにこのタイプとしては、ThinkPad X40用にMicrosoft  Wireless Notebook Optical Mouseを使っていたのですが、デザインが少々無骨で持ち運びの際にかさばること、反応が微妙に遅れて気に障ること、マイかブラックというなんだかよくわからない色は厳密な黒ではなくThinkPadの精悍な黒に似合わない・・・など感じていました。

そこで今回はPowerBook G4に似合うデザインと色のものを物色していてV500に行き着きました。一般的に言ってコードレスマウスは電池消費がはやいことが欠点ですが、このV500は使用時にマウスのお尻の部分を持ち上げることでスイッチが入り、使い終わったときにはお尻の部分を下げることでスイッチが切れる仕組みになっています。お尻の部分が上下することによって、使用時には手にフィットする形となり、持ち運び収納時にはコンパクトになるといった次第。

Logicoolのマウスを紹介しましたが、マウス選びのポイントはいかに自分の意思が的確かつ素早くカーソルに伝わるかという点と自分の手へのフィット感にあると思います。人ぞれぞれの好みがあるとは思いますが、ここで紹介したマウスはいずれもよくできた代物と思います。

敗北を抱きしめて

臨月に入りいつ出産してもおかしくない妻が、最近僕のPowerBook G4をうらやましそうに眺めている。物欲の少ないシンプルライフを是とする妻には珍しい。

今や長年使い続けてきたWindows環境を継続させられることが明らかになったのだから、確かにMacは良い選択と思う。MacOS X Tigerの起動にかかる時間は圧倒的に短かく、小粋なユーザーインターフェースは想像力を刺激するかのよう。妻が僕の使っているブラウザをみるたびにフォントの美しさの違いに感嘆の溜息を落とすのも無理はないが、しかしそうしたところへApple社が行き着くには危機的な90年代の経験があったことを忘れてはならないと思う。

Apple社のカリスマ経営者S.ジョブスが経営に復帰するまでのMacは酷かった。OSの世界市場におけるシェアばかりが注目され、Apple社も一時は何を目指すべきかわからず、一頃はPDAにまで手を出して彷徨った。でも彼が戻ってきてからのApple社はできることを整理する一方(…例えばApple社のプロダクツラインはコンシューマー向けデスクトップとノートブック、プロフェッショナル向けのデスクトップとノートパソコンの4種類しかない…)、iPodのような新たな生活スタイルをデザインする道具の提案にも成功した。

ここで注目したいのは、失敗を踏まえたApple社が自己を客観的に見つめなおした場合、何が可能であるかを見据えたうえでプロダクトデザインを行っていること。Apple社がほかのコンピュータ関連会社と違う点は、OSからコンピュータまでの開発生産を一社で担っている点に集約できるが、それゆえにApple社は自らが開発したハードウェアの有効な使い方や理想的な使い方を使用者に提言することも可能になり、MacOS X とiMacのような使いやすいOSとハードウェアの連携も可能になる。そのようにトータルデザインされているのだから、妻がほしがる魅力が自然と醸し出される。

例えば、これがソフトウェアのライセンス料という架空の利益で潤っているMicrosoft社だとソフトウェア上の理想論をいろいろと述べたてるものの、それがときにハードウェアヴェンダの実情から乖離した空論にもなっている。逆にOSの開発に携われないところに立たされている日本のメーカーは、節操もなくつまらない小手先の機能だけで消費者を幻惑しようとすることに堕している。

今もApple社が世界市場で占めるシェアは微々たるものだから、その成功は決して数の論理や金の論理では図れるものではない。でもiPodやMacOS Xを見てみれば、それは確実に成功だと言える。敗北を抱きしめ自分のできることを見つめ直したところが、 Apple社が次のステップへと踏み出せた鍵だと思う。敗北を抱きしめることに躊躇し、失敗の原因に目をつぶりながらいつまでも幻想にとらわれ自分の実力を過大視したままでは、失敗を拡大再生産するだけ・・・どこかの国がまさにそれではないか!

2005年5月 3日 (火)

関西外大のみなさんへ

昨日はゴールデンウィークにもかかわらず多くの人が講義に参加してくれてありがとう。そのときにちょっとした質問・感想のコメントを書いてもらいましたが、個別に回答すべきものはあとで授業の時間に答えるとして、全体として答えるべきと思ったものについてここに僕の考えを明らかとします。

みなさんからのコメントで多かったのは、僕の授業スタイルに関する指摘です。僕自身「敗北を抱きしめて」反省し、今この時点でよい方向へと修正すべき素材になりますから、そうした意見を挙げてくれた皆さんには感謝します。で、多く寄せられた感想としては「雑談はおもしろい」という点と「講義の進度に不安がある」という点です。(あと「地図や写真といった図版が欲しい」という意見も多かったのですが、この点については版権の問題もありますのでどうすべきかは次回の講義でみなさんと話し合って決めましょう。)

雑談と進度の問題は密接に関連しています。僕は僕自身研究者としてこれまで経験したことのなかから、みなさんの知的好奇心に訴えかけられるような雑談を好んでしています。結果としてそれが将来のみなさんの問題関心の扉になればと思ってのことです。ただし雑談ばかりでは単なる与太話になってしまいます。大学の講義は学問の成果に学ぶ時間ですから、それを体系的に披瀝することも必要です。僕自身、北欧への好奇心で目を輝かせているみなさんにむかって、なかなか日本では接することの少ない北欧の知識を、せっかくの貴重な講義だからといって網羅的に語ろうとし、一回の講義内容にそれを詰め込みすぎた点をおおいに反省します。限られた時間のなかで、経験談と学問的内容を同時にすべて語り尽くすことはとうていできることではありませんね。

そこでこれからは少しづつ講義内容に濃淡をつけて語らせてもらおうと思います。もちろん何かを省くということではありません。北欧諸国それぞれの政治・経済・社会・文化の基礎情報は毎回配布するファイルに整理し、簡単な解説は講義でも行いましょう。そして、そのなかでも特定のテーマについては、配布するファイル以上の内容を実際の講義の時間に語りましょう。例えば、スウェーデンだったらスウェーデンの百科事典でも調べられるような基礎情報は講義ファイルにあらかじめ整理しておいて、みなさんに前もって読んできてもらう。そしてそのなかでも例えば社会福祉のような、とりわけみなさんの関心の高いテーマについて実際の講義の時間に深く語るといった感じです。

僕の雑談も、こうしたテーマに沿ったものを中心に語ろうとは思いますが、この間のように「4月30日と5月1日」についてだけでおもしろく語れそうな話があれば少々時間をとるかも知れません。難しいのは写真の処理ですが、例えば突然の雑談でふと思いついた内容にも対処できるように、デジタル化してある写真データは常にコンピュータに入れて持ち歩こうとも思います。

この一ヶ月弱をみなさんとともに過ごしてみた僕の感想は、僕の話にみなさんがときには笑い、ときには首をかしげたりしてくれる表情がストレートに伝わってくる講義なので、大変楽しませてもらっています。(その結果が雑談かもしれません。)それでは、また月曜日に!よいゴールデンウィークを!

2005年5月 2日 (月)

とうとう来たか…

講義ノートを用意しながら、何気なくIBMのThinkPadのページを見ていたら、いつの間にか中国資本であるLenovoのページになっていました。来るべき時が来た…。2005年の第二四半期とは言われていたけど、5月1日きっかりにページが切り替わっているとは…。移行が完遂したというふうに判断して良いわけですね。

世界経済のグローバル化に占める中国の勢いというか役割というかを考えれば、Lenovoのような企業がでてきて当然なのですが、以前留学していたときに肌身に感じたことは、北欧(正確にはスウェーデンですが)あたりからすると日本のニュースヴァリューが減っていて、例えば日本の政局などにあまり関心が寄せられず(自然災害などは報道されますが)、その一方で中国への関心が高くなっていること。何を今更…とも思われて仕方ない発言ですが、例えば今回のIBMにおけるPC事業のLenovoへの売却劇だって、日本を素通りしてアメリカから中国へと提携先が選ばれたわけです。

そろそろ日本を生活の場とする僕たちは、僕たち自身がこれまで思ってきたほどの経済大国意識の幻想から離れて、もう少し身の回りの生活現場にある具体的な問題を解決できるような、地味だけど充実した生活が送れる国づくりを目指したほうが良いのかも….。自分たちの国の財政が中央も地方もズタボロだというのに、「背伸び」して金出しまくって国連の安全保障理事国になるべきでしょうか…。北欧諸国の場合には「小国」意識は徹底していて、「小国」の自立を求めればこそ国際平和が自立の条件となるから、「小国」なりの確信犯として国際貢献に積極的な姿があるわけですけれど。日本も堂々と「小国」化宣言してみたらどうでしょう?以前、日本の工業製品は小手先ばかりでグランド・デザインがなってないと発言しましたが、この場合には国家をめぐるグランド・デザインがしっかりしていないということです。国際社会で栄えある役どころはなにも「大国」であることが必要条件ではありません。

あるいは「おたく(マニア)先進国」なんていう立国の仕方もありかもなぁ…アニメとか映画とかゲームとか、欧米の最近の日本に対する眼差しの一部(例えば、「アキバ(秋葉原)を世界のおもちゃ箱」なんて紹介するような報道ぶり)からは、そんな一部のソフトウェア産業このとでしか彼らが日本に期待していない素振りさえ感じたりします。

意識の転換はすでにはじまっていて、海外からの正直なそして冷めた目がそれを明らかに物語っているような気がします。まぁ、このことについては「日本」人は大局的なものの見方ができないなんて紋切り型の批判はしたくありませんし、そもそも僕自身は余り悲観はしていていません。「日本」人だって幕末・維新の世代とか、戦後復興の世代とか、必死に格闘してあり得るべき「日本」像を構想した先輩たちがいましたからね…僕たちの世代ができないわけではないでしょう…目先のマネーゲームなんかにとらわれず、ほんの少し世の中のことに目を向ける余裕があれば良い?!

でも…いまだにDOSをインストールしているような格安パソコンを売っているLenovo製品はまだしばらく買いたくないですね。

地域研究VIII

次週5月9日の講義ファイルをアップします。まだ子供は産まれません。ですから今日の授業は平常通りやります。巷はゴールデンウィーク中ですが、スウェーデンについて考えてみましょう。僕も語らせて頂きます。

第5回 デンマークの基本 をダウンロード

2005年5月 1日 (日)

大成功か、大失敗か?!

昨日までの夏を思わせる好天から一転、今日は雨が降っているので小降りの午前中のうちに近所を散歩。ついでにこれから夏へ向けて夏仕様のスーツを近所の紳士服やさんへ買いに行く。以前から気にはなっていたのだが、こういうところでスーツを買うのははじめての体験。入店後、まず安さに驚き、次にスーツの機能に驚く! 3万円以上のスーツを買うと2着目が1000円で作れる!っていうんで(・・・とは言っても、ほとんど夏向けの薄手のものは5万円台なので、例えば5万1千円で2着ということになる…)、これは安いと思った。

で、これまではこういう店のものは「安かろう、悪かろう」と思っていたのだが、とんでもない。これがなかなか仕立てとデザインの良い、そして機能性の高いものばかり。(もちろん安かろう、悪かろう・・・もあったよ。)とりわけ夏仕様のものは、もうほとんどメッシュ状態で軽々と仕立てており、五月人形ではないけれど冬ものや春もののスーツが「鎧」のように感じたくらい。それに最近のスーツは細身で足が長くみえるようデザインされたものが主流らしい・・・お節介に見えなくもないがデザインとしてはスリムで無駄が無く、気に入った。

僕が今働いている業界は意外と肉体労働を強いられるので、スーツはいわば作業着のようなもの。何事にもおおらかだった昔の大学でのようにジーンズにTシャツのような格好で出勤すると最近は白眼視されるので、さらにスーツは必需品。それがこんなに安く買えるとは…「これは良い買い物をしたな」と上機嫌になって、帰り道につきあってくれた(そして買い物を認めてくれた)妻と子にカレーをご馳走したのだけれど…帰ってきてみてその店のホームページを見てみたら、一着あたり1万5千円引きのクーポン券が掲載されていた…うーむ、これは大失敗だったか?!すでに支払いは済んでいたので、悔やんでみても後の祭り。

何事も下調べは大切ということを実感。

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