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2005年4月27日 (水)

なぜスウェーデンにシンフォニストが多いのか?

新学期の疲れがドーッとでてきた今日この頃、余り確証はありませんが音楽でも聴きながらボーっと考えたことを記します。

先日ペテション=バリイェルというスウェーデンの作曲家の話題を書きましたが、19世紀から20世紀にかけて活躍したスウェーデンの主だった作曲家は大抵熱心な交響曲作曲家でもあったことが知られています。ペテション=バリイェルは5曲、スウェーデン近代音楽の扉を開き最近は日本でもたまに演奏されるまでになったステーンハンメルは断片を含めて3曲、かの富田勲が作曲したNHK教育『今日の料理』のテーマ曲に第一主題が似ているスウェーデン狂詩曲第一番が有名なアルヴェーンは5曲、シューベルトの「未完成」交響曲を完成させる(!)という素っ頓狂なコンクールで優勝した「1万ドル」交響曲で知られるアッテルバリは9曲…といった感じです。

19世紀おわりから20世紀はじめの作曲家は、どこの国でも大抵若い頃は熱烈なワグネリアンになり、ドイツ音楽の手法に憧れ交響曲を若書きするものの、年をとって落ち着いてくると独自の作風を築いて交響曲のような形式からは離れていく傾向がみられます。またかのバーンスタインの言葉を借りれば「20世紀は交響曲にとって受難の時代」なのであって、大抵は交響曲は古くさい様式と思われていたと思います。それなのに、なぜスウェーデン人は交響曲にこだわったのでしょうか?

ここで僕たちは、19世紀以降のスウェーデンやドイツに生きた人たちの自己意識が、お互いに自分たちにとっての歴史や文化の遺産だとか、伝統だとか考えていたものを混じり合わせながらつくりあげていった道程を振り返る必要があります。例えば、スウェーデンの場合、自分たちの祖先と信じた“ヴァイキング”の表象の多くが、同じ時代のドイツにおけるロマン主義美術でつくりあげられたモチーフをもとに意図的に“再構築”されたイメージであることが知られています。そもそもヴァイキング活動に従事した人たちの実際のイメージ(…例えば『小さなバイキングビッケ』なんていう昔のアニメに見られるような角の生えた兜にモジャモジャの顎髭といった荒々しいイメージ…)は、ヴァイキング活動に生きた人々が自らの手で文字や絵画を残さなかったためによく知られていないのです。そこで19世紀スウェーデンの知識人や芸術家は、同じ頃のドイツでつくられていった古ゲルマン文化のイメージ(それもまた想像の産物でしたが)を借りて具象化していきました。

それに対して19世紀ドイツでも、北欧の歴史や文化への記憶を利用して自分たちは何者の末裔なのかという話をまとめあげていきます。文化面ではゲルマン(というかチュートンといったほうがピンときますが)文化の原風景が北欧神話のモチーフと混淆しながら作り上げられました。その極致が、ワーグナーの『ニーベルングの指輪』であることは言うまでもありません。また19世紀におけるドイツの政治的統一がプロイセンを中心に実現したものですから、来るべきドイツ帝国では北ドイツにおけるプロテスタント信仰を守った“英雄”としてスウェーデン王グスタヴ2世アードルフへの崇拝熱が高まりました。グスタヴ=アードルフは軍人王、フリードリヒ“大王”らとともにドイツ帝国をつくりあげた系譜につなげられたというわけです。

こうした19世紀以降の自己意識の作り上げられ方に見られたスウェーデンとドイツとの間の文化的混淆と、それによってつくられていった両者の近しい距離感が背景にあってこそ、さまざまな音楽様式のなかでもベートーヴェン以降なんとなくドイツ的様式と“神話化”された感のある交響曲がスウェーデンの作曲家たちに積極的にとりいれられていったことは、(あくまでも僕の想像の域を脱しませんが)想像するに困難なことではありません。文化的な親近感もそうなのですが、例えばそれが政治的なものとなれば20世紀スウェーデンにおけるナチス・ドイツへの親近感(これがあってこそ第二次世界大戦のときのドイツ軍の国内通過を認めたという背景も理解できる)や、現代スウェーデン社会の骨格となっている労働運動の源流としてのドイツといった理解も可能になってきますね。

つまり文化はもとより政治的問題でも、社会的問題でもスウェーデン固有のものと思われがちな価値には、その裏で意外と多くの外来要素が入り込んできているという次第。スウェーデンの場合これはドイツ的なるものが多いわけですけれど、お隣りのデンマークはどうかと問われれば、これはドイツ以上にイングランドですね。日本ではスウェーデンとデンマークはなんだか「兄弟国」のように思われていますが、それこそ“幻想”です。両者は近親憎悪的にお互いを強く意識して、相反した歴史的・文化的過程を辿っているのが現実です。例えば、デンマークにとってのドイツは、なにせ南ユランの国境問題が直接近代デンマークにおけるナショナル・アイデンティティの問題とつながりましたから常に大きな“壁”であり、スウェーデンのような親近感はなかった…ってこの話、続けていったらとまりませんので、イングランドとデンマークの親近感とかの話はまた別の機会にしましょう。

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